▼第四十五話「千年に一人の美少女」メンネフェル大神殿編④
いきなりヌビアの公女になれ、と言われたアヌビスの混乱はひと通りではない。
「いやそもそもヌビアってどこだよ!!!!」
「テーベの南の隣国や」とレンシュドラが言った。「ボクはテーベ国最南端の生まれで、ヌビア語は堪能な方やから、勉強はボクが付きおうたるよ」
「そして、アヌビスがヌビア語を習っているあいだ、メジェドは魔法陣を描く訓練をしておくのだ。目隠しをされた状態で十秒以内に描けるようになれ」
「は、はい! 頑張ります!」
「レンシュドラとウプウアウトは盗みの訓練を行う。これも非常に重要な役回りだ。徹底的に仕込んでやるからな、光栄に思え」
「ボク、そういう細かいこと苦手なんやけど……」
「何を言っておる。お前たち二人、狩りは得意か?」
ディラの問いに二人は頷いた。二人とも腕に覚えがある。
「ならば案ずることはない。気配を消し、獲物の隙を衝く。要領は同じことだ。お前たちは狩人の目をしているし、うまくやれるはずだ。この私の目を信じろ」
レンシュドラは「ほんまかぁ?」と首を傾げていたが、ディラは無視した。
「インプトは私と共に宝物庫にゆくぞ。全員、穏身術を学んでもらうが、お前にはとくに修練時間を取る」
「あっ俺も行きたい!!」とアヌビスが言った。地下百メートルの宝物庫なんて、絶対に見たい。
「ダメだ、お前には役割がある」
「ちぇっ、いいなあ」とアヌビスはぶすくれた。
「そう悔しがらないの。私、あなたのぶんまで頑張るわ」とインプトが言った。
ディラは全員を見回した。
「改めて言っておくが、これは命がけの計画だ。生半可な努力では足らん。ゆえに、私も心を鬼にしてお前たちの尻を蹴り上げて督励しよう。楽しく厳しく頑張ろうではないか」
それからディラは、まずアヌビスの女装に取り掛かった。計画の根幹を為すだけに、最重要課題である。アヌビスはディラの堀った井戸のそばで水浴びをし、身体をきれいに拭った。それからディラは、百四十センチ程度の小柄なアヌビスに合う衣装を見繕った。どれも着せてみたいディラは、散々あれこれと迷って、アヌビスに「まだかよ」などと急かされた。そして結局は、赤い布の美しい紋様の入った装束に決めた。そしてアヌビスは、ディラの手によって化粧を施された。メイクが終わって、アヌビスは銅鏡のなかの自分を覗き見て、思わず声が出た。それはたしかに女の姿であった。それもただの女ではない、ディラの言う”千年に一人の美少女”がそこにいた。アヌビスは己の変わり果てた姿を見て、言葉を失った。これが、俺かよ——。
アヌビスは仲間たちにその姿を見せた。見た者はみな、ざわめいた。レンシュドラなど、口笛を吹いて囃した。
「おいおいおいおい!! じぶん、ほんまに恵まれた顔をしてんなあ!!」
「私より美少女なんじゃない?」とインプトが呆れながら言った。
「うるせえな!! お前ら、俺を見るな!!」アヌビスは顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
そのとき、遅れてメジェドのメイクも終わった。メジェドはメジェドで、可憐な美少女に化けていた。アヌビスが気品がありつつも活発な美少女という印象なら、メジェドはまるで深窓の令嬢である。良家の出だけに、持って生まれたやわらかな上品さがあり、元々中性的な顔は、メイクによってどこからどう見ても女の顔にしか見えなくなっていた。
「僕、こんなの初めてだよ、どうしよう」と顔を赤らめている姿など、どこからどう見ても守ってあげたい美少女そのものである。ウプウアウトなどは、アヌビスよりこっちの方がタイプだ、などと評したほどである。
「ま、こんなところだ」とディラが自信ありげに言った。「どうだ、メンネフェル美少女大賞は貰ったも同然だと思わんか」
その後、アヌビスはディラの指導の下、歩き方や仕草を学んだ。飲み込み自体は速いのだが、ふとしたときに男の癖が出てしまうのは如何ともし難い。とくにディラは座り方に注意をした。アヌビスは女子にしては脚を開き過ぎるのだ。ディラはアヌビスに命じた。また、話しを聞くときの目つきや、口元など細かい部分も指摘していった。アヌビスはこれに閉口した。何をしてもだめだと言われる。
「まったくお前は、面ばかりよくても中身はガサツそのものだな」
「孤児なんだからそりゃそうだろ」
「なるほど、孤児だったか。まあお前を見てると納得するよ」とディラは言った。「とにかく、決行まで三週間しかない。これは遊びじゃない、絶対に成功させなければならんのだ。お前は決行日まで女として生き、すべての対応を女として取れるようにしろ」
アヌビスは渋々飲み込んだ。命が危ないとなれば、やるしかない。
しかしながら、ヌビア語の方は、教師のディラとレンシュドラが驚くほどの速度で吸収していった。アヌビスには語学の才があった。そもそもリスニングが得意なのだ。教わった単語を基に、相手が多少くだけた発音でも何を意図しているのかを明確に聞き分けた。発話はさすがに自分の思っている意図とヌビアの単語とを結びつけることや、適切な文法を探すために時間が食われ、ラグが発生するものの、初学者としては驚異的な言語能力を獲得していった。
舞いの方も、武功を身に付けたアヌビスにとっては児戯に等しいものだった。アヌビスの歩法は戦いのさなかでさえ目を奪われるほどの流麗さ、美しさを秘めている。アヌビスは舞いをあっという間に覚え、しかも短い期間でディラが感心するほどの完成度までに高めた。女に化けたアヌビスの舞は、それは見ごたえがあった。濃い褐色のアヌビスには、黒い睡蓮のような蠱惑的な美しさがある。舞うほどに芳しい香りが拡がるようだった。ラーはアヌビスの舞踊を見て、この百年間で最も優れた舞い手だと内心認めたが、口先では「もっと音楽に集中するのだ」ともっともらしいことを言った。
穏身術は全員で学んだ。それにしても全員、飲み込みが速かった。マスダル合格の才覚は伊達ではない。ディラは自分も天才なので、さして驚かず、教えたら出来て当然だという態度であった。しかし、一人だけ脚を引っ張る者がいた。
「レンシュドラ! お前はまたそこで気配を現したな!」
「堪忍してくれえ、ボクに向いてなさすぎる」
「なぜこの程度のことが出来んのだ!!」
これはディラの方が無茶を言っている。ディラは実に高度なことをやらせようとしているからだ。即対応できるアヌビスたちが単純に凄いわけで、ふつうはもっと時間を取らねばならない。ディラは八歳から独習で武功を磨いてきた女だから、幼いころに父に教わったこと以来、誰かに物を教わることは絶えてなかったし、それ以上に人に物を教える経験もなかった。だからこそ、レンシュドラが出来ないことが理解できない。
「ちょっと待ってくれ!!」とアヌビスはレンシュドラとディラの間に割って入った。
「なんだ小僧」
「出来るようになるまでの期間は、人によって違うんだ。それに、得意なこともあれば、苦手なこともある。レンシュドラに合わせてやってくれないか」
「そいつが落ちこぼれなだけだろう」
「マスダルの十二傑に入った男が落ちこぼれのはずないだろ? 俺が一番の落ちこぼれだよ」
「お前が?」とディラは驚いた。己の全力の一撃で仕留められなかったアヌビスが落ちこぼれだなんて、冗談にしか聞こえない。
「とにかく、人にはいろいろな得意・不得意があるんだ。うまくやりたいのに出来ないときほど、優しく手を差し伸べてやってくれ」
アヌビスは武功を学びたくとも学べなかった経験がある。だからこそ、そのことが痛いほどによくわかっていた。
「生意気なやつめ。私は父から厳しく教えられた。だから、このやり方でよいのだ」
「わかるよ。ディラの父さんのことは否定しない。ディラが天才だったから、それでよかったんだ。ただ、人によって教え方は変えるべきなんだ」
「ちっ。そこまで言うならば、お前が教えろ! 私は知らん!」
「ありがとう」
アヌビスはレンシュドラに歩み寄って肩を叩いた。
(つづく)
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