▼第四十四話「アジトと犯行計画」メンネフェル大神殿編③




 アヌビスたちはそのまま、ディラに連行される形でテーベ郊外にあるディラの隠れ家に向かった。そこは岩山の入り組んだあたりで、山に埋もれるような場所にある。しかも陣法で隠してあったから、そこには一見、何もないようにしか見えない。アヌビスたちは最初、ラーの秘庫に来た時と同じように戸惑ったが、ディラが口訣を唱えるや否や、そのアジトが姿を現した。さすがの警戒態勢である。


 ディラの隠れ家は、外観としてはとくに凝ったつくりではなく、一般的な住宅という印象を受ける。ふつうの日干しレンガの家だ。

 とはいえ、少年たちはさすがに「秘密基地」というものに強い憧れとワクワクを隠せなかった。早く中が見たい、とはやるアヌビスたちを、ディラは中に招き入れた。


 中は四部屋に分かれている。まず入り口と直結している二十畳程度の大きなリビングがあり、その奥にまた部屋と、左側の手前と奥にひとつずつ部屋があった。


 リビングの壁には、染めたリネンの布が垂らしてあり、睡蓮の花も飾られている。また、小ぶりの鉢植えにバジルが植わっているものもいくつか見受けられた。これらのものは、魔法で枯れないようにしているという。さらにリビングの真ん中には貴重な羊毛製の絨毯が敷かれていて、そのうえに銅製のテーブルが置かれていた。ちゃっかり、椅子も六脚ある。余談だが、椅子は古代エジプト発祥で、床に座る庶民とは目線の高さが異なることから、権力の象徴となり、玉座という言葉を産んだ。ここにあるのは背もたれのついた最新式の銅製の椅子であり、相当な高級品である。その椅子の上には、クッションまで置かれている。どこから盗んできたんだよ、とアヌビスは思わずにはいられない。テーブルの上には香炉があり、香の焚かれていた形跡がある。いいにおいがするのだ。


 それに、手製のソファ(ディラは時代を三千八百年ほど先取りしてソファを発明した。彼女はそれを安楽寝椅子と呼んでいる)の上に、羊毛で出来た羊のぬいぐるみまである。

 このぬいぐるみや手製の紙芝居などからわかるように、ディラは八歳からほとんど他人と接することなく生きていたからこそ、内面はどこか幼い。非情な面と、青く甘い少女の面とが、彼女の心にふたつ同居している。


 とにかく、殺伐とした秘密基地というよりは、そこはかとなく女の匂いがするような部屋だった。


 リビングの奥の部屋が寝室であり、ここは男子禁制で見せてはもらえなかった。インプトはそこでディラと寝ることになった。男たちはリビングで雑魚寝である。マスダルのエリートと言ってもメジェド以外は粗野な育ちであり、とくに文句は出なかった。左の奥の部屋が調理室であり、ここで各種の料理を行う。といっても、ディラがつくる料理は多少の豆料理くらいのものだったが。


 左の手前の部屋はウォークインクローゼットのような部屋で、衣装がたくさん掛けられている部屋だった。色とりどりの、美しい衣服に加え、ネックレスや指輪、ピアスなどの宝飾品もよく整理されて置かれていた。「美しい私を飾らせてくれ、引き立たせさせてくれ、とこいつらにせがまれて、暗い蔵から連れ出してやったのさ」履物サンダルさえも棚にぎっしりとたくさんの種類が置かれている。インプトは思わずため息を漏らした。それは少女にとって、どんな宝島よりも素晴らしい光景だった。インプトは一瞬、夢の世界に入り込み、自分が美しく着飾って、その類稀なる美形を、さらに威風堂々と見せつけるさまを想像した。


 さらにその衣装室には、化粧台まで置いてあった。よく磨かれた銅鏡までついている。インプトはまたも羨ましそうに嘆息した。「いいわねえ……。私もいつか、こんな化粧台を買うわ」彼女が物心ついたときにはもう、名家とはいえ火計は火の車で、こういったぜいたく品はとっくに売られて消えてなくなっていた。十四歳の多感な少女にとって、この化粧台はどんなに魅力的だったかしれない。


「誰にも見せる機会などないのに、やはりこういうものが好きでな。私も女なのだ、と実感するよ」とディラが言った。

「そうね、私もいまそれを実感したわ。でも、人の世に紛れて生きる怪盗の方が多いでしょう? あなただって、そうできるはず。なのに、どうしてあなたはそうしないの?」

「それが一族の伝統だからだ」と言ってディラは少し黙った。それからぽつりと言葉をこぼした。「だがな、最近はよく考えるんだ。私にも違う生き方があったのではないかと。このままこのうら若き生命を朽ちさせるのが、どうにもむなしくてな」

「そうね、あなたは本当にきれいだから」とインプトが言った。エジプト全土でも五本の指に入る美貌、上澄み中の上澄みであるインプトでさえも、ディラの美しさには目を見張る。

「今回の仕事が終えたら、私は生き方を考え直す。だからお前たちの協力が必要なのだ。期待しているぞ」


 インプトは女同士として、ディラの持つ苦悩がよくわかる。自身も逼迫ひっぱくした経済状況ゆえに、女として生きる前に、まず人として身を立てねばならない境遇だったからだ。インプトはディラに親近感を覚えた。


「私もお金がどうしても必要なの。それまで、女としてなんて生きられない。だから、あなたのためにも、私自身のためにも、最善の努力を尽くすと約束するわ」



 その日から早速、訓練が始まった。


 ディラの家を囲むように存在する岩山のうち、右隣の岩山が丸ごと体育館のような大きな建築物になっていて、そこでさまざまな予行演習を行うことになった。アヌビスたちは隠れ家はこの家一軒だけだと思っていたから、またしても度肝を抜かれた。ディラの陣法は完璧なまでに作用していたのである。


「これを秘密裏に建築するのには金も要ったし、苦労も並大抵のものではなかった。だが、メンネフェル大神殿を攻略するならば、これくらいの投資は必要だからな」


 これも十二か年計画のうちの一部である。ディラは長年そのことだけを考えていたとはいえ、物凄い行動力と実行力だ、とアヌビスは感嘆した。どれほどの苦労があったのか、その建物の威容を見て想像するしかない。


「さあ、役割を発表するぞ」とディラが言った。

「ああ、どんなことでも任せてくれ!」とアヌビスは胸を叩いた。

「その意気やよし。貴様には計画の根幹を為す最重要指令を言い渡す。貴様を見て計画の最後のピースがはまったのだ。うまくやり遂げろ」

「俺に任せろ! で、どんなことをすればいい?」

「それでは申し渡す。アヌビスとメジェドは女装し、そのメンネフェル大神殿の式典の日に余興として行われる『メンネフェル美少女大賞』で優勝せよ」

「は、はあああああ????」

「ぼ、僕も!?」とメジェドは心臓が止まる思いで問うた。

「お前たちという逸材がいてくれてよかった。とくにアヌビス、貴様は千年に一人の美少女にもなろう。メジェドも優勝候補の一角をなせる素晴らしい素材だ。お前たちならやれる」

「い、インプトでいいじゃねえか! インプトだって千年に一人の美少女だろ!!」インプトはアヌビスの思わぬ言葉に少しだけ頬を赤らめた。

「バカ者。インプトが優勝したら、あっという間に正体がばれて広まるだろう。男が変装するから足が付かんのだ」

「ぐっ……!」

「肌の濃いアヌビスは、ヌビアの公女としてそこに参加するのだ。これから忙しくなるぞ。ヌビア語、上流階級の礼儀作法、そして舞いを覚えてもらう。期限はわずかに三週間しかないからな、心せよ」


(つづく)

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