▼第二十九話「身剣合一」




 アヌビスら同室の四人は、夜が更けるまで、お互いの話をした。

 アヌビスが自分は孤児だと言うと、よくマスダルに入れたな、と一同は仰天した。

 ついでに武功は一か月前に独学で覚えたと言うと、むしろ座は白けた。嘘だと思ったのである。


「あのなあ、嘘も大概にしろよ。どうやったらたった一か月でその腕前に達するんだよ」とウプウアウトが言った。静かに怒っている。

「ジャウティジョークは大胆やなあ」とレンシュドラも真に受けていない。

「本当だって言ってんのに!!」


 アヌビスの美しい顔が、むきになることでかわいげを増す。


「ぼ、僕は信じるよ、アヌビスくん」メジェドが言った。

「あーあ、もっと強え武功覚えたいぜ」とアヌビスが言った。「お前らはいいよな、すげえ技持ってるし」


 他者を妬んでいるわけではない。ただ自分への焦りがある。


「アヌビスくんなら、すぐにラー様の創った武功を覚えられると思うよ!」

「やれやれ、お前が新しい武功を覚えたら、次は苦戦するかもしれんな」とウプウアウトが言った。

「まるで苦戦しなかったみたいに言うじゃねえか」

「あのときは七割の力しか出してなかったからな」

「は? 俺は六割の力しか出してなかったけどな」とアヌビスが応酬する。


 すかさずウプウアウトが言った。「俺は朝から四十度の高熱が出ていた」アヌビスも負けじと応ずる。「俺は四十一度」「実は右腕が折れていた」「俺は両腕折れてた」「栄養失調で目が霞んでいた」「二十日間何も食べていなかった」「そういえば運勢も最悪だった」


「もうええわ!!」十分に泳がせてからレンシュドラが言った。



 マスダルの初夜。アヌビスはいつものように夢の修練場に来た。ラーはたまらず駆け寄ってきた。弟子の活躍に、はからずも興奮していたのである。

 アヌビスの両肩を、若いラーががっしと掴む。


「この馬鹿弟子が!!」思わず感情と正反対の言葉を言ってしまった。この男、照れ屋である。

「な、なんだよいきなり」

「やりよったな!! 合格おめでとう!!!!」


 アヌビスはやや照れながら、ありがとう、と言った。


「ウプウアウトのときに使った三才剣法、あれは合格点だぞ」とラーはしきりに褒めた。それほど、魂の震えるような剣捌きであった。

「あのとき、剣の使い方が無意識的にわかった気がするんだ」

「それが剣を使うということだ。無意識のほとばしりと剣先とが同一になる境地を、『身剣合一』という。たった一か月でこの境地に至ったとは信じられんが」

「あれが、身剣合一……!」アヌビスは興奮した。長らく武功の達人になることを夢見ていたのだから、無理もない。

「玄明蝶丹を飲んで、身体も強くなったようだな。身体が才能に追いついてきて、ようやく少しばかりの片鱗が見えたというところか」


 ラーはまじまじとアヌビスを見る。末恐ろしい才能だ。


「師父」とアヌビスが改まった。「新しい武功を学びたいのですが、いかがでしょうか」

「こんなときばかりかしこまりやがって」とラーはため息をつく。

「俺に強い武功を教えてください!!」


 アヌビスは頭を下げた。


「たしかに三才剣法で学ぶべきことはもうないだろう。身剣合一に剣気まで出しよったからな。とはいえ、まだお前の身体では俺の真伝の剣法を使うには早すぎる」

「でも!」とアヌビスは食い下がる。

「何も教えないとは言っとらん。俺がマスダルに遺した武功と同じ武功を教えてやる」

「その名は?」

「<五山燎火剣功>と<九天龍吟歩>だ」


 五山燎火剣功とは、五つの山を焼き尽くすほどの威力を持つ強力な炎の武功であり、三才剣法の発展版でもある。アヌビスには最適な剣法だった。

 九天龍吟歩は、七星歩法の発展版であり、使いこなせればどんな歩法にも引けを取らない。これもマスダルで学ぶことのできる、歩法だ。


「この二つをよく修練するように。それが私の奥義を伝授するときに役に立つ」

「はい師父!!」アヌビスは新しい武功を学べると知って、満面の笑みで答えた。



 翌日、アヌビスはハウランの元を訪ねた。だれか師匠に付くなら、旧知の仲であるハウランをおいて他にいない、とアヌビスは思っていた。わずかな交流でも、気心が知れているような気がしていた。

 しかし、教員室にはハウランは見当たらなかった。


 青髪の女医セルケトがきょろきょろしているアヌビスを見て、何か用か、と尋ねた。


「ハウラン将軍を探しているのですが」

「ああ、あの男なら」


 とセルケトが教えたのは、駱駝らくだを競わせる興行を行っている、競駝場けいだじょうだった。


 アヌビスは、テーベと東部砂漠との境目に位置するその競駝場に向かった。

 しかしながら、とアヌビスは思う。生徒に放任主義なのはわかるが、教員までこんなに自由でいいものか?


 ハウランは、その競駝場のパドックにいて、周回する駱駝の面を見たり、毛ヅヤを見たり、筋肉の張りを見たりしていた。

 パドックの周りの人だかりは大変なもので、人の頭で埋め尽くされていた。何列もの輪が出来ていて、アヌビスはその人込みをかきわけてハウランの元にゆかなければならなかった。


「ハウラン将軍、こんなところで何してるんですか」とアヌビスは思わず言った。

「アヌビス!? どうしてここに!!」と突然の生徒の登場にさしものハウランも驚いた。

「セルケト先生に聞いてきたんですよ」

「まったくあいつめ」とハウランはぼやいた。

「将軍、大事な話があるんですが」

「いまはよせ」とハウランは駱駝を見ることに夢中になっている。「いまから、大レースが始まるのだ」

「やれやれ」とアヌビスは呆れる。


 グレードワンの大レースだけあって、どの駱駝もびっしりと手が入っている。磨き抜かれた肉体に、内臓まで栄養が行き渡っているのがよくわかる毛ヅヤである。

 そして、駱駝自身も我こそが王者也、という気迫を持って練り歩いていた。草食動物といえども、一群の長ともなれば、気性は荒くなるものだ。駱駝も例外ではない。


「それより、お前も駱駝を見てみろ。いいと思った駱駝がいたら、俺に言え」

「責任持てませんて!」とアヌビスはいやがる。

「大丈夫だ、賭博のことで恨みはせん。それに、これも修練だぞ」

「まったく大人ときたら、なんでもかんでも修練修練って言いやがる」

「とにかく選べ!」


 アヌビスは身剣合一の境地を思い出そうとした。深く深く集中の海に潜り込むあの感覚を。


 潜れ、潜れ。明鏡止水の水面を。


 心火を燃やし、視覚に集中する。


 すると、視界が急に開けたような感覚が訪れた。


 駱駝の、口をもごもごと動かす動作や、したたるよだれや、垂れ流される糞尿が、スローモーションで見える。


 駱駝の一頭一頭に、リズムがある。首の使い方や、背腰の使い方にそれがありありと現れる。

 アヌビスは、脚の運び方ひとつ、見逃さない。


「四番の駱駝、あれにします」とアヌビスが言った。

「よかろう。……なっ! “アマル・ブトゥーリ”だと!? 十六番人気の最低人気じゃねえか!!!!」

「選べと言ったのは将軍でしょう」アヌビスは少しふくれっ面をした。

「ぐうっ……。ちなみに根拠は?」

「目つきを見てください。内なる自信が感じられるでしょう。駱駝は群れをつくる動物ですから、優れたオスには自ずとそれなりの自信があるものです。この大レースのメンバーでも、あの気品と自信は一級品です」

「目だけが決め手か?」と言いつつ、ハウランはアマル・ブトゥーリの目を見てみた。たしかに、澄んでいて落ち着いている。錚々たるメンバーに混じって、これだけの衆目のなかにいて、なおこれほどの落ち着きと自信とを感じさせるのは、只者ではないとハウランも納得した。

「将軍、脚の運びと首の動きもよく見てみてください。うまく連動しているでしょう。リズムがほかの馬とぜんぜん違います。ほかの駱駝のほうが身体が大きいので見栄えはしませんが、筋肉の質がぜんぜん違います。ぶっちぎりますよ」


 ハウランはアヌビスのなかに巨大な相駝そうだの才を見出し、光り輝く財物を目の前にしたかのように眩しそうに手で目を覆った。


「お、お前……!! 何者だ……!」

「ただの孤児ですよ」とアヌビスはきざに笑った。


(つづく)

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