第10話 リトルシスター・エンカウント

 「あ、今日卵セールやってるって!買っとくでしょ?」

 「あ、ああ。2パック取ってくれ」


 放課後、俺は幸と一緒に買い物をしていた。

 もちろん連れてきたわけじゃない。勝手についてきたたけだ。


 家から少し距離はあるが、安いことでちょっとした有名なスーパーだ。


 生鮮食品だけでなく、お菓子などのパーティーセットとなりうるものも安いので、制服姿の学生の姿もちらほら見られた。


 とはいえ学校から距離はあるので、同じ学校の生徒の制服は見受けられなかった。


 「ごめんね。わがまま言ってて」

 「自覚してんなら帰れよ」


 「それは嫌」


 なんてやりとりも、この三日間で何度目だろうか。

 幸には幸なりに譲れないものがあるらしく、まだ帰るつもりはないようだ。


 まぁ、生活面で大きな迷惑は今のところかかっていない。

 おそらくお年玉とかの貯金から、生活費(主に食費)も出してきてるところを見ると、かなりの決意があるように思えた。


 (結局、俺はどうしたいんだろうな)


 幸に対する怒りは、正直もう少ない。

 少なくとも、あの一件に対して幸に責任を問うことはないだろう。

 そのぐらいには、幸に対するわだかまりは解消されていた。


 そもそも怒っていたわけじゃないしな。失望。そんな言葉が1番似合うだろうか。


 だからって、あの一件の真実を話すべきかは悩むところだ。だからって、というよりむしろ、が正しいか。


 きっと今以上の責任を感じるだろうし、別にそれを俺は幸に望んでいるわけではない。


 きっと幸はそれを聞きたいんだろう。だからこそこうして強引な手を使ってきている。


 だけど、少なくとも今はダメだ。

 

 きっと幸も、あいつに似ているから。




ーーーー




 「大体買い終わったな。帰るぞ」

 「うん!」


 幸の元気良い返事をもってして、買い物終了だ。

 寄り道するつもりもないので、真っ直ぐと出口へと向かう。


 「「あっ……」」


 そこで、目があってしまう。あぁ、やっぱり今日はついてない。


 「喜多見、あんた、その子誰よ?」


 もう会いたくないと思っていた。だけど、そう簡単には逃れられない運命らしい。


 「板倉と、隣はーーーー」


 遭遇したのは板倉と、健司と呼ばれていたやつだった。

 

 (二人に面識があるってことは、そういうことか)


 つまり篠原とこいつにあの一件を教えたのは、板倉か。


 「帰るぞ、幸」

 「あっ!う、うん!」


 俺は幸の手を取って、二人の横を通り過ぎようとする。


 そこを、健司が止めた。


 「おい、その手を離せよ。どうせその子も騙してるんだろ?」


 あぁそうか。こいつらは幸のことを知らないのか。


 でも妹って知られて、変にちょっかい出されても嫌だ。

 

 どうするべきか思考を巡らせる。

  

 しかし、悩む俺を板倉は待ってはくれなかった。


 「ねぇ、そいつの過去、知りたくない?そいつのしてきたこと、教えてあげようか?」


 悪意によるトリガーが、今再び引かれたのだった。



ーーーー



 幸は、どこまで知ってるのだろうか。


 何を信じているかは別として、今まで幸が知っていたのは、「兄が学校でいじめをした」という情報だけだ。


 今はどうなのだろうか。聞かずにいたが、実は福村と連絡先を交換してて、色々そこから聞いている可能性だってある。

 

 妹ならばと、福村が話してしまっていても仕方ないかもしれない。


 ともかく、幸はきっとこの話に興味を持つだろう。


 板倉の話し方からして、何のことかは想像がつくだろうし。


 「やめろ」


 気づけば、板倉の話を遮るように、そう言っていた。


 ああそうか。俺は怖いのだ。


 第三者の言葉によって、幸の態度が変わってしまうのが怖いんだ。


 「嫌よ。そーやって隠して、舞華のことも騙してたんでしょ?」


 口の端を釣り上げて、悪い笑みを板倉は浮かべた。


 やはり、情報を流したのは板倉か。


 「そうだ!そうやって舞華を騙しやがって!どうせその子にだって、本当のことは何も話してないんだろ!」


 健司がまくし立てる。あぁ。その通りだよ。


 幸どころか、真実を知ってるのは園田だけだ。


 おそらく、福村を傷つけたのもあいつだけどな。


 「ねぇ、知りたいでしょ?そいつがどんな奴か」


 板倉が、ダメ押しとばかりに幸に問いかける。


 幸の答えは、きっと「YES」だ。

 だって、俺からは聞かせてもらえないから。


 知るために、幸は俺のところに来たのだから。きっとこの申し出を受け入れる。


 そしてそれを聞いたら最後、幸は何かを選択するだろう。


 その選択が、何より怖い。


 遠ざけられようが、踏み込まれようが、どちらでもだ。


 だけど、賽は投げられた。


 考えうる中で、最悪の形で。


 そして、幸は、答えた。




 「興味、ないですけど」


 

 

 当然のように、そう言ってのけた。



ーーーー



 「興味、ない?」

 「はい。興味ないですね」


 信じられないことを聞いたように、板倉は目を見開いた。

 のだが、


 「ふーん。そいつが昔誰かをいじめた話でも?」

 「っ!板倉!」


 興味ないという答えを意に介さず、彼女はその話を切り出した。

 まるで最初からそうするつもりだったかのように。


 「興味ないですね」

 

 それでも幸が意見を変えることはなかった。

 

 「んなっ、そんなわけないでしょ?だって、そいつは最低野郎で」


 これは流石に予想外だったのか、板倉はその先の言葉を紡ぐことはできないようだった。


 「もう行こっか?修也」

 「お、おう」

 

 幸は俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。俺は幸に引っ張られる形で、その場を後にした。


 板倉と健司は、その光景に何かを言ってくることはなかった。





ーーーー



 「なぁ、その、何で嘘なんかついたんだ?」


 スーパーを出て、家に帰った。

 

 夕飯を食べて、そして今布団に入るまでに、俺たちは会話をほとんどしていなかった。

 

 どうとも言えない気まずさがあったからだ。


 それでもやはり気になってしまった。

 どうして、嘘までついてあの申し出を断ったのかが、俺は知りたかった。


 自分は話さないくせに、人の事情は気になってしまう。


 「別に、嘘なんかついてないよ」


 そんな俺のわがままを、何も言わずに幸は受け入れてくれた。


 「修也って呼んで妹じゃないふりをしたのは、お兄ちゃんがそうして欲しいだろうからって思っただけ。お兄ちゃんが妹って答えなかったってことは、そうなんでしょ?」

 「それは、そうだな。助かった」


 幸の気遣いに礼を言う。


 だけど俺が聞きたいのは、そこじゃない。


 「興味ないって言っただろ?それ、本心か?」

 

 きっとそうじゃないんだろ?そう含みを持たせて、俺は問いかける。


 「うーん。嘘というよりは、はぐらかしただけだよ」

 「はぐらかした?」


 あのね、と幸は続ける。


 「もちろんね?お兄ちゃんの口から話を聞きたい気持ちはあるよ?だけどね?それはあくまで私にとっては手段の一つなの」

 「手段?」


 「そう、手段。お兄ちゃんに近づくためのね」


 それはどう違うんだ?


 「全然違うよ。だって私がここにいたい理由に、真実は関係ないもん」


 幸は真実を望んでいないと言う。だけど、俺にはその意味がわからない。


 幸は続けた。


 「別に私は、お兄ちゃんが誰のこともいじめてないって、わかったからここにいるわけじゃない」

 「それって」


 「うん。仮にお兄ちゃんが誰かをいじめていたとしても、私はここにいたいと思う」


 幸の言葉の真意が見えてきた。


 「もちろん、接し方は変わってたかも。今はお兄ちゃんがいじめなんかしなかったって、そういう確信があるけど、そうじゃなかったら冷たい態度を取ってるかも」


 「だけどそれと向き合わないことって、それは違うから。私がしたいのはね、あくまで向き合うことなの。あの時の間違いを繰り返したくないだけなの」


 「願望としては、そりゃお兄ちゃんと昔みたいに仲良くしたいよ?でもね、それが無理なら絶縁でも、その時は仕方ないと思ってる。私が悪いことは私が1番わかってる。」


 「結局は、自己満足だって自覚してる。あの時の自分の間違いを正したくて、やり直したいからっていう、身勝手な願いなの」


 「もしお兄ちゃんが悪いことしてたなら、それは償わせたい。そうじゃないなら、ひとりにしたくない。ただそれだけ。どちらにせよ、私がここにいたい気持ちに変わりはない」


 「その上で、お兄ちゃんがそうじゃないって分かってる。私にはそれで十分なんだよ。その先は、お兄ちゃんが言わない限り、聞かないし別にそれでいいの」


 布団の中で、手が握られる。果たしてそれはどちらからだっただろうか。


 「一つ、聞いていいか?」

 「なに?」


 これだけは、聞いておきたい。


 「どうして俺がいじめをしていないって、信じられる?」


 俺は理由を求めた。求めずにはいられなかった。


 「そんなの、決まってるじゃん」


 だってーー



 「お兄ちゃん、ずっと昔から変わらないもん」


 だからこそ、お兄ちゃんを突き放しちゃった自分が情けないけどね。

 そう言って幸は、自嘲するように笑ってみせた。


 その時俺は、幸と仲の良かった頃の、優しい兄のイメージのことを言ってるのだと思った。


 だけど俺が本当の意味でその言葉の真意を知るのは、もう少し先の話だった。


 だけどこの夜、握られた手が振り払われることは無かった。




ーーーー



 握られた手に、少し力を込めた。

 もう離してしまうことのないようにと、そう自分に言い聞かせるように。


 顔が熱を帯びているのがわかる。いくらお兄ちゃん相手とはいえ、恥ずかしさが凄まじかった。


 (ちょっと、偉そうだったかな)


 さっきの言葉を思い返せば、全部お兄ちゃんの都合なんて考えられていない。

 一から百まで、自分のためだ。


 (やっぱり、変わってない)


 改めて思う。私のお兄ちゃんは優しい人間だ。


 あの時、私のことを妹って言うこともできたはずだ。

 でも、それをすれば私を巻き込むとでも思ったのだろう。

 私に「悪者の妹」ってレッテルが貼られるのを、防いでくれた。


 そんなお兄ちゃんの優しさに、嬉しさの反面、どこか寂しさを覚えてしまう。


 つまりは、私にお兄ちゃんの苦しみとか悔しさとか、そういうものは背負えていないと言うことだ。


 こんな私でさえ守る対象として見てるのだ。


 あぁ、本当変わらない。


 力になりたい。そう心から思う。


 もちろん罪悪感、義務感もある。

 お兄ちゃんをそうさせてしまったのは、私たちだから。


 だけどそれ以上に、大好きで、大切な人だから。


 きっとそう言っても、理由が不十分だってお兄ちゃんは言うんだろう。


 だけどきっと、お兄ちゃんは気づいていない。

 

 理由がないのなんて、お兄ちゃんなんて私よりそうだ。


 私が妹であることを隠して、庇うようにした理由。

 

 きっと、理由なんてないんだと思う。


 ただ優しいから。それだけなのだ、お兄ちゃんにとっては。


 それがどれだけすごいことなのか、きっとお兄ちゃんは気づいていない。


 これは完全に推測だけど、真実を話さないのもきっと、自分のためじゃないんじゃないかって思う。


 話したことで、誰かが傷つく可能性を恐れてるんじゃないかって、そう思う。


 何があったのか、真実は別に関係ない。


 本当は知りたいとは思う。だけど、それを知る必要はない。


 ただ、真実を隠す理由。それを私は知りたい。


 その理由がきっと、今お兄ちゃんを苦しめているものだと思うから。


 (だけど、今は)


 こうしてせっかく近くに感じられるのだ。

 久しぶりの温もりに、私は甘んじることにした。

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