第38話 ミシェルの失態

 なりません、とレベッカが阻止しようとしたため、ミシェルは勢いをつけて書斎の扉を開けた。その勢いのまま書斎に入ろうとして、杖と体の動きが合わず、突進のように数歩進んだ後、膝折れして転んだ。

「ミシェル!」

 リカが駆け寄るより早く、弟に手が差し伸べられる。

「女王陛下……!」

 レベッカが、悲鳴に近い声を上げた。

 膝をついてミシェルに手を差し伸べたのは、喪の女王、イレーヌだ。色の濃いヴェールは着用せず、素顔をさらしている。その目鼻立ちは、ミシェルにも、亡き父にも似ている。余談だが、リカは濃い顔立ちの母親似だ。

「男の『魔女』よ、女王陛下から離れなさい!」

 レベッカがきんきんわめくのを無視して、ミシェルはもぞもぞと動いてイレーヌに抱きついた。イレーヌは嫌がらない。大きくなった弟を、愛おしそうに抱きしめる。

「そなた、怪我はありませんか?」

「……ない」

「何か紛失なくしましたか?」

「胸がない」

 弟の答えに、姉イレーヌの顔が引き攣った。

「ミシェル、あんた失礼なことを!」

「そうです! はしたない!」

 このときばかりは、リカとレベッカが同調した。

「あ……ああ! ……すみません、失礼致しました」

 ジャンが大声を出した後、咳払いをする。無理もない。書斎のテーブルで本を積み上げていたのは、ジャンが旦那様と慕っていた男性、かつての王配ローランである。簡素な服装だが、椅子にゆったりと座る様は気品がある。広げた本に目を落とさず、イレーヌとジャンに交互に目をやった。

「ジャン、久しぶりですね。ちょっと、そこの少年を捕まえてくれませんか」

「承知しました」

 旦那様の命令とあらば、ジャンはすぐに実行する。ジャンがイレーヌからミシェルを引き剥がしている数秒の間に、ローランは椅子から立ち上がり、イレーヌの傍らに膝をつく。

「陛下、不躾な少年を、どうぞひと思いに」

「え、俺、何かされんの? え、何? 姉貴! 兄貴!」

 ミシェルがリカとアルベールに助けを求める。

「リカ、どうする」

 アルベールが、小声で訊ねる。

「ミシェルが悪い」

 女性の外見を指摘したミシェルが悪い。何かお仕置きされるんだろうな、とは想像するが、外傷や後遺症を負うような拷問でなければ、お灸を据えられて来いと見放したい気分だ。

「僕はこれから、少々用事があるので出かけることにするよ」

「あたしも、そろそろ帰るね。ミシェル、ごゆっくり」

「兄貴! 姉貴! ジャン! おばさん!」

「レベッカさんをおばさん呼ばわりするんじゃない!」

 気遣いの余裕なんか、なかった。リカはアルベールと一緒に、きびすを返したが、一度だけ振り返った。

「……あの、こんなこと言える状況じゃないのはわかっているんですけど……弟のことをよろしくお願いします。元気に吠えていますが、本当は無垢な子です」

 レベッカは眉をしかめ、頭を抱え、苦渋の決断と言いたげに深く頷いた。

「さすがのわたくしでも、女王陛下が民を傷つけるところは見たくありません。そうなりそうだったら、間に入ります」

 今のこれならレベッカに任せれる。リカは書斎を離れ、帰り支度をすることにした。

「姉貴! 裏切り者! もう家事してやんねえ!」

「悪い子ですね、ミシェル。がお仕置きしてあげましょう」

 当時は名も知らなかったローラン殿下のよく通る声を、リカは久々に聞いた。彼だって、まだおじさんという歳ではないのだけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る