番外編
その蕾はやがて【咲と蒼の出会い】
白い床。障害物の一つもなければどこまで続くのかもわからない。正式な名称も何もなく『空間』としか呼ばずにはいられない。
そこに蒼は一人で立っていた。
時折歪む以外変わり映えのしない景色の中で、蒼は長らく一人だった。他人がいたこともこの場所以外の景色も、記憶の中に存在しなかった。
「ぱぱー? ままー?」
それは、蒼が生まれて初めて聞いた他人の声だった。
「……女の子?」
声のする方に駆けつけてみれば、4歳ほどだろうか。小さな女の子が立っている。この空間で迷っているようだった。
「おにいちゃん、だれ?」
「僕は蒼。君は?」
「さき!」
「さきちゃん、か」
その後、蒼は「さき」にどこからやってきたのかを聞いてみた。しかし、答えているのは幼い少女。的を得た説明もなく、話は明後日の方へ脱線していく。気がつけば走り出し、すぐに躓いて転んでは泣く。いつ、『空間』の歪みに巻き込まれてもおかしくない。
見知らぬ少女ではあるが、蒼は「さき」を放って置けなかった。
しばらくして、蒼は仕方なく「さき」を抱き抱えた。元の世界の側に送り届ける方法を探すことにしたのである。
「それでね……それでね、」
「うん」
少女はとてもおしゃべりだった。家族のことに、友達のことに好きなもののこと。他愛のない話に、読んだ本のことに、得意なこと。
そして蒼はひたすら優しく、聞き役に徹している。そんな蒼に「さき」は、すっかり安心しきったようだった。
「さき」がすっかり話題が尽きた頃。
「わたし、かえれる。 ばいばい」
突然「さき」はそんなことを言い出した。実際それは本当のようで、だんだん、『空間』での「さき」の姿は薄くなっていく。
「ここは危ないから、もう来ちゃダメだよ。またね」
気がつけば蒼は少女に呟いていた。
翌日。
「きーたよー」
「なんでいるの!? 昨日、来ちゃダメって言ったよね?」
「おにいちゃんのなまえ、よんだらね、ここにきた」
「どういう仕組みなの? それ」
静かでがらんとした空間は、ほんの少しだけ騒がしくなった。
蒼はそっと微笑む。
(これで、もう僕は独りじゃない)
空間に人が居ても静かになるまであと3年。
空間が歪まなくなるまであと8年。
空間の崩壊まで、あと13年。
当人たちに知る由などないが。
次の更新予定
黒薔薇の誓い〜ゴスロリ少女と不思議青年〜 及川稜夏 @ryk-kkym
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