第35話 あぶなくバレそうに…
絵里奈は、最初の日、桃太くんに会ったときのことを思いだしていた。あのとき、桃太くんは、地図をなくしてこまっていた。ひとりで道ばたにしゃがみこんで。だけど、そのとき、桃太くんの心がどんなに傷ついていたかなんて、考えなかった。見えなかった。
「見えないけど、こんなに傷ついているんだよ」
先生の言葉はシンプルだ。
先生が、ケガを見えるようにする作戦、と名付けた通りだった。先生の作戦名はいつもそのまんまだ。そのまんますぎる。
先生は、包帯ぐるぐる巻きの桃太くんの頭をなでた。
「心が見えたら、もう少し、優しくなれると思わないか? 人を傷つけたりしないようになるだろう? 心の傷が見えたら。心は見えない。だけど、人間は想像することができる。今この桃太の姿を忘れずおぼえておくんだ。心が傷ついた人の姿を」
絵里奈は、深くうなずいた。
「傷つかない人なんていないし、そもそも傷つかない人間関係なんてないんだよ。だれでもみんな、傷ついて、治って、また傷ついて、そして強くなっていくんだ」
真名子先生と目が合った。
「じゃあ、次は水野絵里奈。おまえの傷の手当てをしよう」
「え? あたし」
先生が手に包帯を持って手まねきする。
絵里奈は首をふり、一歩あとずさった。
「あたしは、いい」
「水野さん」
呼びかけてきたのは桃太くんだった。桃太くんは包帯だらけのまま、よたよたと走って、自分の机の上の、包帯を持ってきた。
「今度はぼくが、手当てしてあげるから。水野さんは、いつも優しくしてくれたから。今度はぼくが」
桃太くんが心から善意で言ってくれているのがわかる。
「あたしは、違う……ぜんぜんかわいそうじゃないから!」
口にした瞬間、ハッとした。
でも、桃太くんは気づかなかったみたいだった。一生懸命笑顔で話しかけてくる。
「大丈夫だよ。言いたくないことは言わなくていいんだよ」
桃太くんがなぐさめてくれている、そう気づいた絵里奈は、混乱した。桃太くんはお世話される子だったのに。
そして、お世話するのは、あたしのはずだったのに。
混乱した頭で、先生を見上げる。
先生、助けて……。
先生が、小さくうなずいたように見えた。
「そっか。手当されるよりするほうが楽しいよな。よーし。じゃあ、桃太。今度はおれを包帯でぐるぐる巻きにしてくれ! おれの繊細なハートはいつも傷だらけなんだ」
桃太くんが、「えー」としぶった。礼王くんが桃太くんの包帯をひっぱる。
「おれがやるー!」
すると、それまで黙っていたオサミさんが、ニコッと笑った。
「先生、お手当してあげますよ」
オサミさんはいつのまにか手に消毒液とピンセットを持っている。
真名子先生の顔が引きつった。
「それ、お手当じゃないんじゃないか。どっちかっていうと」
「……人体解剖?」
タケシくんの言葉に、礼王くんが包帯を放り投げた。
それをきっかけに四方八方から包帯が飛びかうはめになった。
先生が、オサミさんを追いかける。桃太くんが包帯をひきずりながら走る。
いつのまにか、追いかけっこになってしまった。
絵里奈はみんなをながめながら、心の中でほっとしていた。あぶなかった。
ケガを見えるようにする作戦で、絵里奈が何を思ったのか、他の人に知られなくてすんだ。バレなくてよかった。
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