第3話 救助隊員の訓練その1

 真剣な顔で言われると、本当に気持ちさえあれば何でもできそうな気がしてくる。

 ぼくは、ぶるぶるっと首をふった。ヤバい、引きこまれそうだ。


 すると真名子先生は、またいたずらっ子みたいな笑みを浮かべた。

「光太郎、お前、おれのこと、全然信じていないだろう?」

「だって、さっき会ったばっかりだし」

「それでいい! オッケーだ!」

 先生は体をかがめて、声をひそめた。

「会ったばかりの大人に、車に乗せてあげるとか言われても、乗っちゃダメだ。光太郎は、ちゃんと分かってる。でも今、とりあえず何があるのか、おれが何をしようとしているのか、自分の目で確かめてみようって思ってるんだろう?」

 ぼくは、小さくうなずいた。


 ニコニコしながら、先生はまた歩き出した。

「光太郎は、自分で考えて最初の一歩を踏み出したんだよ」

 ぼくに合わせて、ゆっくりめの歩調で歩いてくれているのがわかる。

「おれはな、イジメ救助隊を勧誘するとき、強制はしないんだ。救助隊員になってほしい、って熱い気持ちは伝えるけど、なるかどうか決めるのは本人だからな」


 ぼくは、「はぁ」とこたえて、そのわりには結構、かなり、強くさそわれたような気がする……と心の中で思った。でも、自分の目で確かめたいって思ったのは、その通りだ。

 あたりを見回してみた。この先に、ジムやトレーニングセンターがあるんだろうか。花屋に携帯ショップ、その先は、駅だ。

 

 歩道の信号が青に変わった。

「行くぞ!」

 信号を渡った先生は、駅に向かって歩いて行く。

「どこに行くの?」

「まあ、楽しみにしててくれ」


 平日昼間の駅は、がらんとしている。先生は、券売機で電車の切符を二枚買った。

 一枚をぼくに差し出す。

「光太郎は交通系ICカードを持ってるかい?」

「ううん。お母さんは持ってるけど」

「そうか。切符はこうやって改札に入れるんだよ」

 

 先生から切符を受け取って自動改札を通る。

「知ってる。電車に乗ったことあるし。映画にも行ったし、恐竜博物館にも連れて行ってもらったし。春休みには、電車でおじいちゃんちにも行ったよ」

 思い出して胸がちくっといたんだ。五年生のときは、自分が学校に行けなくなるなんて、一ミリも思ってなかった。まさか、自分がこんなふうになってしまうなんて。


「切符はなくさないようにおれが預かっておくよ」

 先生に切符を渡して、ホームへの階段を上がる。どこかから、焼きたてパンのいい匂いがしてくる。時間は十一時四十五分。もうすぐ給食の時間だ。五年生のときは、普通に学校に行って、普通に授業を受けて、普通に給食を食べて、友達とだって、普通に話してた。


 なんだかむなしくなってきて、小さくためいきをついた。

「つかれたか? 何か飲むか?」

「ううん。大丈夫」

「そっか、のどかわいたら、言えよ」


 先生の横顔を見ながら思う。何歳なんだろう。20代後半くらいに見える。背の高さは、180センチはありそうだ。腕はとにかく太いけれど、ウエストは細い。細マッチョだ。足は長いけれど、緑のジャージズボンは、ひかえめに見てもイケてない。でも似合ってはいる。髪には、後ろの方にちょっとだけ寝ぐせがついている。


 青い電車がホームに近づいてきた。

「あの電車に乗るぞ」

 先生にうながされて、ぼくは開いたドアから電車の中に入った。中もすいていた。ふたり並んで座った。

 電車が走り始めた。

「この電車がどこにいくか分かるかい?」

「知ってます」

 ぼくは終点のターミナル駅の名を言った。お母さんと映画を見に行ったことがある。

 先生がうなずく。

「それも大事なサバイバルだ」

「サバイバル?」

「ああ。電車で出かけることも、人と話すことも、学校に行くことも。生きてくことはすべてサバイバルだ。簡単じゃないぞ。たった数キロ先の学校に行って、イスに座って、授業を聞いて、給食食べて帰るだけだって簡単じゃないんだ」

 ぼくはだまってうなずいた。それはよくわかる。簡単……だと思ってた、五年生のときまでは。でもそうじゃなかった。


「この世はすべてサバイバルだからな」

 ということは、電車に乗ることが訓練なんだろうか。

 電車の窓の外を、家の屋根とビルが、びゅんびゅん流れていく。ところどころに緑の木。平日のこんな時間に、一人で電車に乗っていたら、そわそわして落ち着かなかったかもしれない。でも、大人の人と一緒にいるっていうだけで全然違う。

 もし誰かに、こんな平日の昼間に何しているのか聞かれたら、先生に説明してもらえばいい。

 これが訓練なら楽勝だ。


 電車は終点のターミナル駅についた。平日昼間だけれど、さすがに結構人がいる。ホームに降りた人たちが、改札に向かっていく。

 ぼくも改札に向かおうとして、立ち止まった。

 となりに先生がいない。


 ふりむくと、数歩後ろに先生が突っ立っている。ポケットに両手をつっこんで、どうしたんだろう。何かをさがしているみたいだ。

「先生、どうしたんですか?」

 先生が、緑のジャージズボンのポケットを左右両方とも、ひっぱりだした。ティッシュの粉みたいなのがパラパラと落ちた。

「切符がない」

「マジで?!」

 改札を通ったあと、ぼくの切符は先生に渡した。二枚とも先生が持っているはずだ。

「ほかのポケットは?」

「尻ポケットにもなかった」

「ちょ、見せて」

 先生のお尻のポケットも、ふくろまでひっくり返してみたけれど、切符はどこにもなかった。

「どうしよう……」

 ぼくの言葉に、先生はうでぐみして目を閉じ、うーんとうなった。


 不安になりかけたころ、先生がパチッと目を開いた。一本指をかかげる。

「イジメサバイバル救助隊員、訓練その一! 駅で切符をなくしたらどうする?」

 ぼくは、あぜんとして、先生を見つめた。

 先生は真顔だ。

「どうする? 光太郎。おれはここで待ってる。どうすればいいか、お前が考えつくまで、ずっと待ってる」

「え……それって、まさか……わざと?」

 先生は腕組みして、大きくうなずいた。

「ああ、訓練のために、電車に乗る直前に、切符を線路に捨ててきた!」

「マジかよ! ありえない!」

 先生がまゆを寄せた。

「ありえなくないぞ。実際にあるだろ。大事な物をなくしちゃうこと。これも大事な訓練だ。なあ、光太郎。電車に乗ることも、学校に行くこともすべてがサバイバルだっていう話をしただろう? だけどな。サバイバルで一番大事なのは、いつもどおりじゃない、想定外の予想外の問題がおきたときに、どうするか? なんだよ。いつもどおりのことに、いつもどおりに対応できるのは当たり前だろう?」

「そりゃそうだけど……でもそんなこと習ってないし」


 先生がびしっと、指を立てた。

「そこだ! 習ったことに答えられるのは当たり前だし、そんなのは本当の勉強じゃない」

「勉強じゃない?」

「習ったことに答えられるのは、答があるからだ」

「当たり前だよ」

 ぼくは口をとがらせた。先生はなぜか楽しそうだ。


「うん。そうだな。でもな。世の中のたいていの問題には、答がないんだよ。友達とどう付き合っていくべきか。ケンカしたときどうすればいいのか。どこに進学するか、どんな仕事を選ぶべきか。トラブルがおきたとき、どうするべきか。ゆいいつの正しい答なんてない」

 ぼくは心の中で、つぶやいた。イジメにどう対応するか……も。


「答がない問題に、自分自身の力で答を見つけていくんだ。それがサバイバルってことだよ。生きていくってことだ。これもそのための訓練なんだよ」

 

 どうやら、本当に本気みたいだ。ぼくは、必死に頭を働かせた。

「ここから出られなくちゃ、お昼ご飯も食べられないよ」

「そうだなあ。お腹すくだろう。出られたら、焼きそばをおごってやろう」

「出られたらって、とにかく、出ようよ」

 先生の目がキラッと光った。

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