第7話

 その日の午後、私は希望を胸に歩いていた。


 雲一つない空が遠くまで広がっていて清々しい。朝から秀平さんが出掛けていて、顔を見ていないのも気分が上がっている要因だ。


 不思議だ、以前の私ならば勝手に外出してしまうなんて寂しくて堪らなかった筈なのにね。今では清々している。




 今私が目指しているのは、先日パーティーで声をかけた若者の辰巳瞭の事務所である。まぁ事務所と言っても、彼の住居であるアパートなのだが。


「すみません、散らかっていて」


 辰巳瞭は、恐縮しながら部屋へ通してくれた。


 確かに、いろいろな物が散乱していて御世辞にも綺麗とは言えないし、それに狭い。ここで寝泊まりをして、生活しているというの?




「あの、お手洗いはどこに?」


「それなら、すぐ近くにコンビニがあるので」


「え?」


 お風呂もトイレもないとのことだった。


「お風呂なんてもちろんありませんよ」


 清々しいほどに、きっぱりと告げられたので「そうよね」としか返すことが出来ず、私の笑顔は引き攣っていなかっただろうか。




「それでは、投資の話をしましょう」


「はい」


「あなたのプロジェクトは必ず成功すると思うの」


「ありがとうございます、そんなに評価してもらうのは初めてです。まずは説明させてください、あ、これが資料です」


 渡された分厚い資料をめくってみるが、専門用語が多くて意味がわからない。


「これは、AIを搭載したペット型の玩具で、こちらが問いかければ何でも答えてくれます」


「ペットなのに?」


「そうです、ペットと会話が出来るのです、良いでしょう? さらにGPSが付いているので位置情報も遠方から確認できます。カメラが搭載されているタイプは安否確認も出来るという、これからの高齢化社会には必要なアイテムです」


 ぼんやりしている私に対して、彼のプレゼンは続く。


「要するに、孤独な寂しい一人暮らしの高齢者が、会話をすることによってボケ防止になり、徘徊すればすぐに見つけられ、生死の確認も出来るというものです。オプションで警備会社への通報も出来るようにしようかと考え中です。いかがですか?」


「それだけ?」




 アイデア的には珍しくないと思う、実現できるかどうかは別として。


「実は他にも色々な機能を付けられますが、例えば――AI搭載ですのでネットに繋げばデリバリーも通販も可能なので食事の心配もありませんし、各電化製品のオンオフも可能なので掃除や洗濯も出来ます。定期的な病院受診もモニターカメラを使用して可能になります――ただ、それらを付けると高価になると思うのです」


「なるほど」


 前世でこの製品が爆発的に売れていたのは事実であり、それは高齢者にも手の届く価格だったことが大きいのかもしれない。必要な機能を低価格で! ということなのだろう。


 これからも高齢者は増えていく一方だものね。




「それで、商品化までにはいくらかかるの?」


 こんな生活をしている若者では、商品化から売り出すまで全て投資や貸し付けで賄わなければならないだろう。


「AIの開発と共にまずは試作品を作って、それから改良していくので……結構かかるかと」


「いくら?」


「少なく見積もっても、一億……」


「そう……」


 私はタブレットで自分の口座を確かめる。


「あぁ……」


 残高に唖然とする。そうだった、前世の私は秀平さんに貢ぎ過ぎていて、個人的な財産――私が自由に使える金額はそう多くなかったことに気付いた。それでも。


 このAI事業は必ず当たるのだから、どうにかしないと。




「今すぐに確約は出来ないけれど、必ずなんとかするから」


「えっ、大丈夫なんですか?」


「大丈夫よ、信じて待っていて。かまわず開発を続けていてくれる?」


「は、はい」


「あなたはお金の心配はしなくていいから――」


 お金がないからって、プロジェクトを中止してしまったら勿体ない。辰巳瞭があまりに不安そうな顔をしているから、私はもっと励まそうとしたのだけど、途中でスマホに着信が入った。




「ちょっとごめんなさい」


 表示を見ると、沙代里からだった。


 何よ、まったく。


 辰巳瞭から少し離れて――といっても狭い部屋の中なので話し声はどうしたって聞こえてしまうのだけど――電話に出る。




「どうしたの?」


「香澄さん、ちょっと困ったことになっているんです。今すぐ来てください」


 普段は冷静な秘書なのに、こんなに焦っているのは珍しい。


「えっ、落ち着いて。何があったのかゆっくり説明してちょうだい」


「今、クラブに来ているのですが、秀平さんがカードゲームをしていて――」


 あぁ、またか。途中まで聞いたところで、事態の予想をすることが出来た。


 お金大好きな秀平さんは、賭け事も大好きで、時々こうしてトラブルを起こすのだ。




「問題発生なのね?」


「はい、止めたのですが……申し訳ありません」


「わかったわ、今すぐ行きます。いつものクラブでいいのよね」


「はい、お待ちしています」




「ごめんなさい、急用が出来たので失礼します。また連絡をしますので」


 通話を終えると、辰巳瞭に挨拶をしてすぐにクラブへ向かった。


 外へ出た時に、向かいの通りに黒塗りの車が停まっていて少しの違和感を覚えたのだが、特に気にせず先を急いだ。






 香澄が去って五分後のこと、その黒塗りの車へ乗り込む若者がいた。辰巳瞭である。


 そして、車内で出迎えた男は、松平であった。


「やぁ、ご苦労さん」


「松平さん、おつかれさまです」


「うまく出来たかな?」


「はい、しっかり録れています」


 そう言って手渡したものはボイスレコーダーで、先程の香澄との会話が録音されていた。




 松平は早速再生する。イヤフォンを嵌め、目を閉じて聞き入る横顔はポーカーフェイスで、その場にいる辰巳瞭には感情を窺い知ることは出来なかった。


「話はわかった。資金については心配しなくていい。足りない分は私が投資することを約束しよう」


 松平のその言葉は、辰巳瞭にとっては願ってもないことだ。




 先程、香澄の口座残高がチラリと見えてしまった時には不安になったが、その足りない分を保証してくれるというのだから。これで大船に乗ったつもりでプロジェクトに専念することが出来ると思った。




 だが不思議だった。


 何がって、二人の関係性についてだ。


 あのパーティーで香澄が去った後、松平が現れ香澄との関係性を聞かれた時には、男女の関係なのかと思った。プロジェクトの投資話だと言ったら、次回の打ち合わせの時に録音を頼まれた。もちろん報酬付きだったので今度は仕事上のライバルなのかと勘ぐった。


 今、投資の独り占めではなく不足分を補うと言った。しかも香澄には内緒だということは……松平の片想いなのだろうか。


 現に、木暮社長のトラブルで急遽出て行った香澄について、何かしらの対応を考えているらしい。


 だが若い辰巳瞭には、そんな複雑な大人の事情は理解不能であった。






 その頃、香澄は件のクラブへと到着していた。


「やっぱり、ここにいたのね」


 私の声は聞こえている筈なのに、秀平さんは冷たい眼をこちらに向けただけだった。


 今、彼はカードゲームをしていて、そちらに夢中のようだ。


 私はしばらく、そのゲームの成り行きを見守ったが、案の定秀平さんは負けていた。




「何しに来た? 沙代里、お前が呼んだのか?」


「申し訳ありません」


 不機嫌を隠そうともせずに、心配している秘書の沙代里にまで文句を言うなんて、社長としても人としてもどうかと思う。




「全く、情けないわねぇ。引き際も大事よ、もう諦めて――」


 これ以上恥をさらさないためにも、秀平さんにすぐに帰るよう説得しようと思ったのだが……




「香澄さま、恐れ入りますが」


 突然、ウェイターから声をかけられた。


「はい、何でしょう」


「こちらを、よろしくお願いします」


「はい?」


 何かと思えば、ウェイターが手に持っている書類、それにサインをするよう促されたのだ。


 その書類を見て、私は目まいを覚えた。




『契約書』と記されたその用紙。間違いではないかと、私は再度すみずみまで読み込んだ。


 何度読んでも内容は変わらない――私個人名義の預金を、このカードゲームの賭けに使うという契約書だった。




 なんてこと!


 このロクデナシの秀平さんは、妻のお金を賭けに使用しようとしている。


 ただ、カードが揃うとか点数とか、運次第のゲームにだ。


 こんなロクデナシを、前世の私は心底愛していたのか。


 今も秀平さんは、私が喜んでサインすると思っていて余裕の顔をしている。


 秀平さんのためなら私の全財産を差し出すと思っているのだろう。


 実際にそうやって私は財産を削ってきた。


 だから、いざ辰巳瞭のプロジェクトに投資をしようと思った時に、それに足りる資金がなかったのだ。




 本当に後悔している。




 この男――木暮秀平だけは、絶対に許せない。


 どうにかして、復讐をしなければ私の気がすまないわ。








 To be continued

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