私は走る、竜を乗せて、どこまでも。

英雄と白竜２

　二つの大国を東西に分ける中央山脈は、大陸一の難所でもある。切り立つ山々の標高は５万ｍをゆうに超え、飛翔力に優れる白竜や、帝国の戦艦ですら越えることはできない。

　人が通ることを許されているのは、山々の谷底をつないだ『狼のはらわた』と呼ばれる山道のみ。

　帝国と教国という巨大な二国の長年の争いによって屍が積み上がったその道は、地理的に極めて重要でありながら捨て置かれて久しい。

　その狭さから、攻めるに難しく守るにたやすすぎるのだ。二国をつなぐ唯一の陸路だとしても、手を出したほうがかならず負ける場所に戦略的な価値はない。

　さて、そんな『狼のはらわた』を颯爽と駆ける大きな荷車があった。石や岩がごろごろとする悪路をものともせず驀進するそれを牽く者こそ――

　なにを隠そう、私――アーテル・ティリンツォだ。

　年齢は１８、性別は女。とんでもない速度で走っているけれど、ただの人間だ。

　外見はまずまず。女にしては背が高くて鋭い顔つきをしているから、遠目には男に見えるときもあるかもしれない。……無駄に大きいふたつのふくらみがなければの話だけれど。

「アーテル！　あれはなに！？」

　岩肌の陰から顔を出した真っ白な鳥を指さしたのは、私が背負っているドラコニアン（竜人種）のマルファエラーク。外見上は１６歳くらいだけれど、実年齢は２４６歳らしい。長ったらしい名前なので、私はマルーと呼んでいる。

「あれは雷鳥だよ」

　私はそう答えながらお腹のベルトを締めなおし、マルーを乗せている背負子（しょいこ）をしっかりと担ぎなおした。

「まえに見たときは茶色だったよ！？」

　そう驚くマルー。山のたもとにあった宿場町を出てからもう６時間が経過していたけれど、彼女は元気いっぱいだ。

「冬は白い羽毛なんだよ。なんだったっけ――ええと、そう、保護色ってやつ！」

　私がそう答えると、マルーがもどかしそうに足をじたばたとさせた。

「ね、もうちょっと右に寄って！　ヒナが見えそうなの！」

「こっち？」

　私は進路を少しだけずらして道の端に寄る。

「逆だよ！　アーテルから見て左！」

「えっ！？　こ、こっち？」

　みぎにふらら、ひだりにふらふらである。

「うん、ばっちり。でももう巣穴に隠れちゃった……」

　なんだそれ。私はがっくりしながらも、いつものように仕方ないなと苦笑する。私たちの日常はいつもこんな感じだ。

　まったく奇妙な二人だと我ながら思う。人間の私の背中には、いつもドラコニアンのマルーが乗っている。そう、私たち二人は世界でも珍しい、竜騎（ドラゴンライダー）ならぬ人騎竜（ライダードラゴン）なのだ。

　――そんな私たちがなぜこんな山の中を走っているかというと、それは今日も今日とてお客さまから預かった『荷物』を目的地に届けるためだ。

　代り映えのしない景色にも飽きてきたところだ。さっさと仕事を終わらせてしまおうと加速したとき、車輪が小石を踏んで、荷車が派手に跳ねた。

「――ひゃあっ！？　も、もうちょっと手心というものをですね……！！」

　苦情を言ってきたのは、荷車の上の荷物――じゃなかった、白い法衣に緑のストールといういでたちの、なんだか偉そうな姿の司祭さまである。

「――喋ると舌を噛みますよ」

　落石らしき大きな岩が道をふさいでいる。避けるのもおっくうなので、私は荷車のハンドルを握って一足で飛び越える。ふわりと荷車が浮くと、いい歳こいた司祭さまが乙女のような悲鳴を上げた。

「きゃあっ！？」

　できるだけ優しく着地したつもりだったけど、司祭さまは荷台の上で派手に転がってしまったようだ。ちょっとやりすぎてしまったかと足をとめると、司祭さまはよろよろと起き上がって両手を合わせた。

「ああ、神よ、どうか私をお守りください――！」

　おじさんと言ってもいい年齢なのに、そのへんの町娘より艶のある黒髪を後ろで三つ編みにして、目元には小さな丸眼鏡。聖職者らしくない個性的すぎる容姿なのだが、信心はしっかりあるようだ。

「大丈夫そうなので、発車しますね」

　司祭さまは蒼白になった顔をぶんぶんと横に振った。

「き、休憩にしませんか！？」

「あとすこしで『山の民』の村に着きます。そこまで我慢してください」

　この曲がりくねった谷底の道――『狼のはらわた』をあとすこし進めば『山の民』の集落がある。

　山の民は、帝国にも教国にも属さない土着の少数民族だ。彼らは両国とは一定の距離を置いているから手厚い歓迎は期待できないけれど、それでも村の中ならモンスターに襲撃されることもないし、落石の心配だってない。

　司祭さまは荷車の上の樽に手を置いて、あきらめわるく言う。

「な、なんならこの食料も提供します！　好きなだけ食べていただいて構いませんから！」

　それはありがたい申し出だけれど、休憩するなら落ち着いた場所がいい。却下だ。そう思ったときだった。

「どうしよう！？　好きなだけだって！！」

　背負子の上でマルーがぴょんと跳ねた。そんな風にされては、その顔を曇らせることなどできるはずもない。私はマルーの笑顔を守るために、司祭さまの要望を受け入れることにした。

「どうぞ、遠慮なく」

　私がマルーを荷車の上に降ろすと、司祭さまは大きなパンと脂ののった厚切りのベーコンを皿に乗せてくれた。驚いたことに、パンの中身は真っ白だ。

　小麦だけのパンなんて何日ぶりだろう！　ベーコンも本物の豚だ。口にいれるとすぐにとろりと脂が解けてしまう。

「おいしい！　――もっと！！」

　一瞬で食べてしまったマルーに、にこにことしながらおかわりを差し出す司祭さま。その姿に驚いた私は、つい聞いてしまった。

「ドラコニアンがお嫌いではないのですか……？」

「どうしてですか？　彼女は実に愛らしいではありませんか」

　司祭さまはきょとんとした顔になったが、それは私も同じだ。

　この国――教国では、ドラコニアンのような異人種に対して友好的な人は極端に少ない。それどころか、人間以外の人種を下等なものとする差別がまかり通っているのだ。

　宗教国家である教国の国教は『教会』という宗教団体だ。その教会があがめている神さまが『人神ロゼッタ』。

　その名のとおり、ロゼッタは神になる前は人間だったらしい。そんな神さまを信仰しているわけだから、人間こそがもっとも優れているという思想になるのは自然かもしれないけれど……。

「愛らしいって……。『教会』の司祭さまでしょう？」

　私の問いかけをさらっと流す司祭さま。

「神といえば、まさに『捨てる神あれば拾う神あり』ですね。アーテルさんとマルーさんがあの『ミスリル便』だなんて夢にも思いませんでしたよ……！」

　不快ではないけれど、なんともつかみどころのない人だ……。私はパンを咀嚼しながらあいまいに笑う。

　――ミスリル便。それは私とマルーが生きるために始めた運び屋業に、人々が勝手につけた名前だ。黒すぎて『青髪』と称される私の髪と、マルーの銀色の髪を合わせて青銀（ミスリル）というのがその由来だろう。

　しかし、私たちはそんな希少な金属にたとえられるほど上等なことはしていない。

　私たちの営業方針はたったの３つ。――その１、できるだけ早く届ける。その２、どこへでも運ぶ。その３、なんでも運ぶ。

　もし荷物の中身が違法な薬物や誘拐されたお姫さまだったとしても、私たちには関係がない。たとえ砲弾が飛び交う戦地だろうと、地獄の果てだろうと、それに見合うだけの報酬があるなら必ず届ける。それだけなのだ。

　そんな単純でわかりやすい営業方針が功を奏したのか――『ミスリル便』の名は、いつのまにかこんな辺境の地にまでとどろいているようだ。

「司祭さまこそご無事でよかったです」

　当たり障りのない私の返事にも、司祭さまはおおげさに膝を叩いて応えた。

「本当に！　もしアーテルさんたちがいなかったら、私はいまごろ途方に暮れていましたよ……！」

　司祭さまの馬車は運悪く――といってもこの『狼のはらわた』ではよくあることだけど、大きな落石に通せんぼをされて立ち往生していたのだ。そこをたまたま通りがかった私たちが拾ったというわけである。

　しかし、法外に高いミスリル便の料金を払ってまで運びたい荷物が、ただの食料と人間ひとりというのはいかがなものか。

　――早く届けないといけない理由があるのかしらん。

　私はそう思いながら、積み荷のワインをちらっと見た。とんでもなく甘いことで有名な、紅国（こうこく）産の貴腐ワイン――しかも有名ワイナリーの一級品である。

「司祭さま。――こちらもいただいてよろしいのですよね？」

　ごくりとのどをならしてワインを取ろうとすると、司祭さまはびっくりするくらい慌ててワインを隠してしまう。

「な、なりません！　これは聖騎士さまにお届けする大事なお品なのです！！」

　ちぇっ、４本もあるんだから少しくらいいいじゃない。そう心の中で愚痴りつつ、私は聞き返した。

「聖騎士さまって……もしかして、不死鳥を率いる『毒食らいの聖騎士』さまですか？」

「はい。その聖騎士さまであっていますよ」

　私は頭の中の辞書を二年ぶりにひっぱりだす。

　――たしか、その名前は聖騎士エルネスト・ベルタリア。一兵卒でありながら、前の大戦での武功が認められて聖騎士にまで上り詰めた人物だ。

　あまりの強さのために危険視されて上官から毒殺されそうになるも、猛毒すら彼には効かなかったという『毒食らい』の異名を持つ英雄である。

「どうしてエルネストさまがこんな辺境の地に……」

　彼はここからはるか北にある海沿いの要衝――本土防衛のための軍港に配置されていたはずだ。こんな辺鄙な場所を任せるには、正しい意味で「役不足」に思えた。

「私も詳しいことは知りませんが……太平の世になりつつある、ということなのでしょうね」

　司祭さまが言いにくそうに眉を下げると、なるほど、と私はあいずちを打った。

　彼は確かに傑物だけれど、英雄すぎるのだ。血の気が多く、戦火の中でしか生きられない人物と聞いたことがある。いくら優秀でも、そんな人物を最前線に置くのは、いまだにくすぶり続ける炭に油をかけるようなものか……。

「そのワインはエルネストさまへの献上品なのですね……」

　山の民の村に到着したのは、私がワインをあきらめてから３０分後のことだった。

　白い万年雪をいただいた山のたもとに広がる広い牧草地。その真ん中あたりに山の民の集落はあった。

　標高が高すぎて作物が育たないからだろう。彼らの生業（なりわい）は酪農だ。マッファローという高地に適応した牛のような家畜を飼育して、その毛や乳製品で生計を立てているらしい。

　畑がないから、小麦をひく風車も用水路もない。１０軒ほどの家がぽつぽつと建っているだけの、わびしい村だった。

　適当な石をしきつめた道をとぼとぼと歩いていると、民家の軒先につながれていた家畜が、つぶらな瞳で私をじっと見てくる。

　飼い主を失ったことを知っているのだろうか。私はさみし気なその瞳から目を反らすと、陰鬱とした気分で足を止めた。

　これで５軒目の民家だけれど……。

　蒼穹の下にある『山の民』の住居はどれも質素ながら優しい佇まいだ。組み上げた丸太の隙間を白い漆喰で埋めてあって、十字の小窓もとても可愛らしい。ぜひ一度は泊まってみたいものだ。

　――こんな状況でなければ。

「うっ……」

　玄関に一歩入るなり私は顔をしかめた。この家の主（あるじ）らしい男が、壁に背をあずけたままこと切れている。そのとなりにうつ伏せで倒れているのは妻か。ふたりともざっくりと胴を斬られていた。

「この家もか……」

　絶望が混じった重いため息を吐くと、背中のマルーがすんすんと鼻を鳴らして淡々と言う。

「もう一人、奥の方にいるみたいだよ！」

　私は小さくうなずき返して、となりの寝室をのぞきこんだ。とたん、軽いめまいに襲われて、おもわず壁に手をついてしまう。

　――ああ……。なんてことを……。

　まだ二歳くらいだろうか？　小さな女の子がベッドの上に倒れている。その小さすぎる背中に、悪趣味な墓標のように突き刺さっているものがあった。――帝国空軍の銃剣だ。

「帝国軍がやったのかな……？」

　ふしぎそうに首をかしげるマルーに、私はなんとか返事を返す。

「状況だけみると……そうとしか思えないけれど……」

　私は銃剣のグリップの底や銃床、銃身などを細かく調べたけれど、識別番号はもちろん製造番号まですべてきれいに削り取られてしまっている。

「ごめんね……！」

　目をつむって銃剣を引き抜く。手に残った感触を頭から払いながら、汚れ一つない刃を確認したけれど、やはりなんの手がかりもなかった。

　銃剣を布で包んで、彼女の両親が眠っているリビングへと戻ると、テーブルの上に置かれた3つのティーカップが目に付いた。

　中身は――紅茶か。幼い子供にはふさわしくない飲み物だ。あの子の分ではない。

　二つは夫婦の分だとして、もう一つはここを訪れた何者かをもてなすために出した？　ということは、賊や冒険者くずれの無法者ではない。顔見知りということだ。

　彼ら山の民と接点があるものといえば、行商人くらいだけれど……。

　……だめだ。あの子の背中が脳裏に焼き付いてしまって思考がまとまらない。

　私はたまらず外に飛び出して、白い息を吐き出す。とたん、ぽろぽろとあふれるものがあった。

ひどい光景はいままで何度も見てきた。けれど、こんなにも人々の生活がそのまま残った景色は始めてだった。

　ふと顔をあげれば、そこに両親と手をつないだあの女の子が立っているような、そんな気がして、切なくてしかたがない。

「アーテル……。悲しいの？」

　私が言葉なくうなづくと、背中のマルーが「んしょ」と体をねじって、私の頭を撫でた。

「アーテルが悲しくても、アーテルの大好きな私がいるから。だから平気だよ」

　――ドラコニアンは人間とは考え方の尺度が違う。しかも彼女はまだ子供だから、とくにそれは顕著だ。私とは異なる価値観を持っていると言ってもいい。だから幼い子供が無残に殺されていたとしても、「人間が死んでいる」以上の感情を持てないのだ。

　けれどそんな彼女だというのに――私にだけは強く共感して、彼女なりにはげまそうとしてくれている。その事実が、私に力をくれた。彼女にとって私はそれほどに特別で、また私も彼女を特別だと思っている。それだけでよかった。

「ありがとう……」

　私はマルーの手を握って、顔を上げた。

　――うん。私は大丈夫だ。

　そう気持ちを切り替えたとき、手分けしてほかの家を確認していた司祭さまが、目を伏したままこちらへと歩いてきた。

「残念ですが……」

　……生き残りはなし、か。

　言葉なくうなずいた私に、司祭さまはなにかを差し出す。

「若い男性が握っていました。彼には大小の傷がたくさんあったので、おそらく惨劇をもたらした何者かと争ったのでしょう。これはそのときに、その相手から引きちぎったものかと思います」

　私の掌の上にころんと転がったのは、色褪せた金色のボタンだ。ところどころメッキが剥げて、鈍く光る銀色の下地が出てしまっている。

　それを見てきらりと目を輝かせたのはマルーだった。

「きれい……！　私、それ欲しい！」

　おとぎ話に出てくる竜が宝剣や金銀財宝を守っているように、ドラコニアンはきらきらと光るものを集める習性がある。手を伸ばそうとするマルーを「めっ！」とたしなつつ、私はそれをしっかりと観察した。

　――少し違和感があったものの、帝国空軍の士官が身に着けている軍服のボタンに間違いない。

「……なんで、帝国空軍がこんなことを」

　帝国に対して怒りが湧くことはなかったけれど、疑問だけはあふれるほどにあった。

　山の民は両国に対して中立の態度を取り続けている無関係の人々である。民間人なのだ。それを一方的に虐殺する理由なんて。……どんなに考えても、私にはわからなかった。

「……行きましょう。聖騎士さまに知らせなければ」

　私は司祭さまにうなずき返すと、荷車のハンドルを強く握った。