私は走る、竜を乗せて、どこまでも。

十文子

英雄と白竜1

 ――いったい何の恨みがあるんだ。ここはもう教国の領空だぞ……!?


 まだ幼さの残った竜騎兵――従騎士ニコラは、飛竜の背中で後ろを見やった。


 連綿とした山々のあいだを縫うように飛ぶニコラたちを、つかずはなれずで追うのは鋼鉄の群れ。


 この辺境の地を警備する帝国空軍の艦隊――国境警備隊である。その推定戦力はおよそ二〇〇〇。高速巡洋艦アハトアハトを旗艦として、駆逐艦3、フリゲート艦4からなる編成だ。


 その図体の大きさから小回りこそ効かないものの、その最高速度は飛竜を上回っている。執拗な追跡をうけたニコラたちは、ついに狭い山あいに追い込まれてしまった。


 対する竜騎兵たちの構成は、聖竜騎兵1、魔導竜騎兵2、結界竜騎兵2、装甲竜騎兵6。推定戦力にしてわずか八〇〇。国境警備隊の1/2にも満たない。まともな司令官なら撤退すらあきらめて降伏するところだろう。


 しかし、竜にまたがる兵たちの表情は妙に楽観的だ。それもそのはず、教国と帝国は、2年前から事実上の休戦状態にある。


 どうせ今回のこの追いかけっこも、国境警備隊の悪ふざけだ……。


 竜騎兵の誰もがそう思い込んでいた、そのとき。最後尾にいた大型艦が、艦隊の先頭にぬっと出てきた。


「――高速巡洋艦アハトアハト……!」


 帝国が誇る最新鋭の大型艦に、誰かが息を呑んだときだった。


 ――ドォオオン、と轟音。


 そんなまさかと耳を疑ったときには、巨大な砲弾は竜騎兵たちの横を通り過ぎ去っている。当てるつもりはない一撃だったが、もはや冗談では済まされない。


 実弾だと!? ばかな、戦争をしたいのか!?


 同じ思いを胸に、竜騎兵たちは青ざめた顔をそろって隊長に向けた。


 白い竜にまたがる聖騎士は、全員の顔を見渡してから重々しくうなずく。


「ここは俺たちの国の上空で、先に手をだしたのは奴らだ。――正義は我らにある!!」


 おおっ、と竜騎兵たちがどよめく。聖騎士がその旗を立てたのは実に2年ぶりだった。地に伏した赤い鳥が空を恨めしそうに見上げながら、破れた翼を今まさに羽ばたかそうとするその図形こそ――『不死鳥分隊』の紋章である。


「つづけ馬鹿者たち! ――ただ前だけを見据えろ!」


 聖騎士の勇ましい声に鼓舞されて、分隊の兵たちは手綱を強くひいた。二手に分かれて散開したかと思えば、くるりと旋回して敵艦に迫る。


 まさかの総突撃に敵艦隊は動揺したようだった。しかしそれは一瞬だけのことで、すぐに砲弾の雨を浴びせてくる。


 だが、いくら通常弾を撃ったところで、機動力に優れる竜騎兵にはまず当たらない。敵艦隊の攻撃は、定石どおりの炸裂弾によるものだった。


 ――炸裂弾には近接信管が内蔵されている。直撃せずとも敵を感知して爆発し、鋭利な破片を広範囲にばらまく脅威の兵器である。


 だが、不死鳥分隊もその特性はよく理解している。炸裂弾は攻撃範囲にこそ優れるものの貫通力にとぼしいのだ。防御結界さえ展開すれば、豆鉄砲に等しい。


 しかし、なぜか、分隊はその防御結界をまったく展開していなかった。それどころか、その結界を任されているはずの結界竜騎兵の姿がどこにもない。――まさかすでに撃墜されたというのだろうか。


 幸運にも負傷者はまだ出ていないが、防御結界なしでは時間の問題だ。


 雨あられと降り注ぐ炸裂弾のかけらを浴びて、飛竜たちが甲高い悲鳴を上げた。いくら強固な鱗をまとった飛竜とはいえ、翼膜は薄くもろい。穴があけば機動力がぐんと落ちてしまう。


 動きが鈍ればそこで終わりだ。飛竜など一撃で消し飛ばしてしまうアハトアハトの主砲が、いまも虎視眈々と分隊を狙っているのだから。


 ――まだか? まだなのか!? このままではじり貧だ!!


 従騎士ニコラは、攻撃するわけでもなく敵艦隊の周りを旋回している聖騎士を見た。


 絶望的な戦況を何度もくつがえした『毒食らいの聖騎士』といえど、この状況はあまりに不利か。そんな余念がよぎったとき、巨大なツーハンドソードが星のように輝いた。時が満ちたとばかりに、聖騎士が巨大な剣を天に向けて叫ぶ。


「――いまだ!! 腹の下にもぐれ!!」


 聖騎士を先頭とした不死鳥分隊は一気に高度を下げた。船底をなぞるように、敵艦隊の下を通り過ぎていく。不意をつかれた敵艦隊は散発的な砲撃をくわえつつ、いささか愚鈍な動きでそれを追って左へと旋回し始める。


 そのときだった。


 切り立った山脈の向こうに立ち込めていた暗雲から、一陣の風が流れ込んできた。――それは山脈に遅い春の訪れを告げる、『花起こし』と呼ばれる季節風である。


 風は山脈の複雑な地形によってかき回され、乱気流となって分隊を襲った。先頭の聖騎士だけでなく、後続の竜騎兵たちも散り散りになっていく。


 だが、それを楽しむように笑う者がいた。聖騎士のすぐ後ろを飛ぶ装甲竜騎兵だ。まだ若いその従騎士ニコラは、陶酔するように言った。


「――すごい……!! 聖騎士さまの言ったとおりになった……!!」


 ニコラは突風に振り回されつつも、敵艦をみやった。


 突風を横っ腹にあびたアハトアハトは、たまらず急旋回用のスラスター噴射機を停止させる。無理に逆らえば、船体がぽきりといきかねないからだ。


 そして風に押されるままに、今までとは逆方向――つまり右に旋回しはじめた。遠回りにはなるが、巡洋艦は意地でも船首を分隊に向けたいらしい。


 被弾面積の少ない船首を敵に向けることは艦隊戦のセオリーだが、いまばかりは大きな誤りであった。いつの間にか――アハトアハトの船尾に、姿をくらましていた2名の結界竜騎兵が取り付いている。


「――防御結界Ⅲ!!」


 詠唱とともに現れたのは、青に淡くかがやくガラス板のような2重の結界。そこへ旋回中のアハトアハトの船尾が、派手にぶち当たった。


 圧倒的な質量の衝突だ。2重の結界とて耐えきれるものではない。耐えたのは一瞬だけで、大きくたわんだ直後には、薄氷のようにあっさりと砕け散ってしまった。


 対するアハトアハトに大きな損傷はない。何枚かの装甲がゆがんでささくれ立っている程度だ。


 だが――何やら様子がおかしい。まるで振り回されるように、船首は空に大きな弧を描きはじめている。


 ――結界に尻を押さえ付けられたせいで、旋回の起点が船尾へと移ったのだ。何とか制御を取り戻そうとするアハトアハトだが、そこへ『花起こし』が容赦なく襲いかかる。


 竜騎兵のひとりが「ひゅう!」と口笛を吹いたときには、アハトアハトは外れたプロペラのように回転しながら、山肌へと堕ちていった。


 分厚い装甲が山肌に当たり、ぐしゃりとゆがんだ瞬間、いくつもの爆発がおこる。艦内の弾薬庫に引火したのだ。 


 もくもくと上がる黒煙を見て、白竜に乗った聖騎士はぽつりとつぶやいた。


「――ふん。運のいい船だ」


 この程度の爆発で済んだところをみると、『龍骨』への損傷は免れたのだろう。これだけの質量を浮かせることのできる龍骨だ。もし折れていたら、今頃は大惨事になっている。


 よかった……。ほとんどの乗組員は無事だ。


 そうニコラが判断したとき、がまんならぬと一隻の駆逐艦が前にでてきた。矢継ぎ早に主砲を撃って一矢報いようとするが、砲弾は分隊までとどいていない。


「よほど頭にきているのでしょうか。錯乱しているみたいですね。――いかがなさりますか、聖騎士さま」


 そう従騎士がたずねると、聖騎士は兜のバイザーを下ろした。


「ついでにもらっていくか。――そこでしっかり見ていろ、ニコラ!」


 聖騎士はそう不敵に笑うと、駆逐艦へと向けて単騎で突撃をしかける。竜がそれに応えるように翼をたたんで強襲の姿勢を取ると、彼は十字架のようなツーハンドソードを握りしめる。


 人間が扱うにしては大きすぎるその剣は、聖騎士の証である『聖剣フルンティング』である。


「一騎討ちと洒落こもうじゃないか!」


 ぺろりと唇の端を舐めて姿勢を低くする聖騎士。その上下左右を、彼の頭より大きな通常弾が通り過ぎても彼は身じろぎ一つしない。


「行くぞリリフロラ! ――飛べ、彗星のごとく!!」


 白竜リリフロラはうれしそうな視線を主に送ると、もう一段、ぐんと加速した。竜と聖騎士は一体となって、駆逐艦に正面から迫る。


「――はしれッ!!」


 駆逐艦とすれ違おうとするまさにその刹那、聖騎士は光の柱と化した剣を振りぬいた。


 手ごたえありと後ろを振り返ったときには、すでに駆逐艦は二つになっていた。そのまま緩やかに堕ちていくかと思われたとき、ずどんと大きく爆ぜた。龍骨の中身に引火したのだ。


 大破で済んだアハトアハトとは違って、駆逐艦の最期は悲劇的なものだった。爆発が起こるたびにふたつによっつにと砕けて、その断面からは無数の命がぼろぼろとこぼれ落ちていく。


 聖騎士は駆逐艦の最期を見届けると、うやうやしく十字を切ってから、聖剣を天高く掲げた。


「――次は誰だ! 我こそはと思う者がいれば、前に出るがいい!!」


 旗艦のアハトアハトのみならず駆逐艦をも失った敵艦隊は、すっかり戦意を喪失したようだ。無防備な尻をこちらへと向けて、なりふりかまわず敗走の途についている。


 わっと歓声があがる。兵たちの勝どきだ。


 まさに奇跡的な勝利であったが、それを奇跡だと口にするものはひとりとていない。なぜなら彼らはこの奇跡に匹敵するような大勝利を幾度も経験してきたからだ。


 ――夕日を浴びて神々しく輝く聖騎士の姿を見た従騎士ニコラは確信を深める。たとえ辺境の地に追いやられたとしても、不死鳥はいまだ翼を失っていないのだ、と。

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