ボーイ・ミーツ・ガールじゃ救えない

@3furlong

第1話 ボーイ・ミーツ・ガールじゃ救えない

 ボーイ・ミーツ・ガール


 それは、物語の始まりとしてありふれていて、青春のはかなさや恋の切なさや夢のきらめきを予感させる、素晴らしいもの、そう思っていた。











 中学生の時の僕は一言で言えば悲惨だった。人とのコミュニケーションが苦手で避けていたので学校では孤立していた。そんな僕が家でゲームやアニメやラノベ漬けになっていったのは、川の水が海へと向かうくらい自然な流れだったと思う。

 そんな僕はいつしか、普段はやる気を見せないがやる時はやる、的な主人公にあこがれた。そして自分もそんな風に振舞っていれば、いつかは何かとの劇的な出会いが待っていて、壮絶な物語が始まるのではないか、そんな妄想にとらわれるようになっていた。僕は前髪を長く伸ばし、けだるげに日々を過ごしながらその出会いを待ち続けた。僕が期待する何かとの出会いがボーイ・ミーツ・ガールに偏っていったのは、僕の思春期の有り余る性欲がそうさせたのだろう。僕はずっとそれを待った。

 毎日空から少女が落ちてきていないか確認したし、ある日突然妹ができてもいいように家の空き部屋を掃除していたし、角を曲がるときはできる限り左右を確認せずに曲がるようにしていた。そしていつかは、長い休み時間や億劫な学校行事を全部忘れさせてくれる、そんな出会いがやってくると、そう信じていた。


 そして、結局そんな僕に待ち受けていたのは、確かに劇的で壮絶だったけど、ただ悲しい出来事だった。それは中学三年生の春のことだった。あまりの出来事に僕の人生は一度終わったかのような錯覚に陥ったけど、何が起ころうと地球はしっかり回っているようだった。その出来事を乗り越えられたかは今でもわからないが、とりあえずそのとき僕は冷静になった。鏡の中の自分を久しぶりにしっかり見ると、それはもうひどい姿をしていた。クマがひどく、猫背で、やせ細っていて、肌は青白かった。日々をけだるげに生きていたつもりだったが、その時の僕は怠惰そのものだった。勉強も運動も、ましてや他の何もかも、僕には人より優れているものなど何もなかった。そして、僕には友人はおろか、まともに会話できる人も一人もいなかった。僕は何もない人間だったのだ。僕はそんな自分を誇りに思うことができなかった。自分の人生を良いものだとは思えなかった。僕は誇れるような人間になって、満たされた人生を送ることを目指そうと決意した。


 変わる決心をした後は、どう変わるかがまずは考えるべきことだった。中学卒業間近だった僕には高校デビューという言葉も思い浮かんだが、僕はそれをすぐに却下した。なぜならそれがうまくいくとは到底思えなかったからだ。僕は何も人は変われないとは思っていない。ただ、変わるにはしかるべき手順や時間が必要なのだ。太っている人間が、ある日突然、俺は今日から痩せた人間だ、と思い立って痩せた人間の食事をして、痩せた人間のように生活をしたところで、それはただの頭のおかしいデブだ。世の中には痩せたい人間は多いので、その方法は様々な形で共有されている。そのどれも、即自的なものではなくある程度時間をかける必要がある、というのが前提だ。あいにく、心を変えたいと大っぴらに明かす人は少ないので、その方法は調べても大した知見は得られなかったが、僕は僕なりにできることを高校生になるのを待たずに地道にしていくことにした。


 僕は最もわかりやすい努力として、勉強を選んだ。毎日時間を作って勉強する習慣を作った。思えば昔から同じことの繰り返しは好きなのだ。レベリングはしすぎるくらいにするタイプだった。それと同じことだ、とはさすがにとても思えなかったが、何回か重い腰を無理やり上げて机に向かうといつしか面倒に思う回数も少なくなっていった。勉強のリフレッシュ兼、運動不足解消のために始めたランニングも僕の身体と精神を豊かにしてくれた。家から全くでないのはよくないと思って始めたが、これも僕の性分によく合っていたようだった。走れば走るほど自分の心肺機能が上がっているのを感じられる。積み上げることがしっかり成果に出るのがうれしかった。


 継続した勉強の成果は、次の定期テストで思っているよりも早く明確に表れた。僕は自分の行動が、自分の何かを変えることができるのだと実感した。その後、髪を短く切ったり、突然話しかけられても対応できるように発声練習をしたりした。すると、徐々にだが、周りの僕の扱いも変わっていくのを感じた。何も昔もいじめられていたわけではないが、どこか腫物を触るような扱いというか、それかそもそも眼中にないというか、そういう扱いだった。そんな状態からだんだんとクラスメイトの何人かは話しかけてきてくれるようになったし、僕もそれに適切に対応できるようになった気がする。ただ、堂々と声を出して表情を自然にすれば、勝手に相手に好印象を与えられるのだということに気付いた。何かで結果を出すということは自分を変えるだけでなく、周りの見る目すら変えてくれるのだと気づいた。僕はその後も安定してよい成績を残すことができて、クラスメイトとは普通に会話できるようになっていった。


 そんな風に過ごした中学最後の1年間は気づけばあっという間に終わって、僕はこの春から地元では名の知れた進学校に通うことになった。第一志望だったこの高校に受かった時、僕はこの一年間やってきたことは間違っていなかったのだ、と強く感じた。受験に合格するという、今の僕にとって最大の成果は、僕に優越感と万能感を与えてくれた。それと同時に、ボーイ・ミーツ・ガールを心待ちにして何も行動していなかった昔の自分が馬鹿らしく思えた。

 結局、中学では恋人はおろか、友達と言えるような人は一人もできなかったが、僕はそれでもこの生活にほとんど満足していた。もとより人と話すことが苦手で一人でいたのではなく、一人でいたから人と話すことが苦手だったのだ。僕にとっては一人でいる時間はそこまで苦痛ではないようだった。逆に、誰かと話すことが苦痛かというと、それも違う。僕は人との会話をそこそこ楽しめていたし、ただ、それ以上に一人の時間を大切にしたいと思っていたのだ。心許せる相手がいなくても、適切な時に適切な対応できればそれほど生きていくのに困らないというのが僕の結論だった。何よりも成果を出すことが大切なのだ。

 







 今日、僕は高校の入学式を迎えていた。おろしたての制服を着た鏡の前の僕は、若干クマは残っているもののなかなか精悍そうな少年に見えた。成功体験から得た自信が顔にしみ出しているようだった。公立高校にありがちな駅からやけに遠い、山の中腹にあるこれから僕が三年間通う校舎に僕は到着した。毎日この道を歩くのかと思うと若干気落ちしたが、その通学路の長さも達成感をもたらしてくれるものとして好意的に感じられた。

 その階段の上にある校門を前にして僕は思う。もし、世の中に僕と同じようにボーイ・ミーツ・ガールを追い求めて何もできていない人がいるのなら、僕は声を大にして言いたい。ボーイ・ミーツ・ガールじゃ救えない。人生を変えるのに必要なのは劇的な出会いなんかじゃない。努力して築いた実績が自信になり、おのずと周りも認めてくれるのだ。僕は高校生になっても努力を続けて学校で良い成績を修める。恋人も友人も無理して作る必要はない。結局人は一人で死ぬのだ。生きているときだって、一人でいる時間の方がよっぽど長い。僕は他者と無理して関わらることはしない。ただ優秀な成績を修めることに集中すればよいのだ。そして、いずれは良い大学に行き、良い会社で働き、社会で望まれる大人になる。その先に満たされた人生と誇れる自分が待っているはずなのだ。そんなことを考えながら、僕は階段を一歩一歩着実に上っていった。











 …と意気込んで始まった高校生活も気付けば半年が過ぎた。

 僕は返ってきた定期テストの解答用紙を見て、思わずつぶやいた。


「…まずい。」


 簡単に言うと、僕は落ちこぼれかけていた。

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