第3話 旅立ちの日
その日、大公の屋敷に勤めるメイド達は、いつになくソワソワした様子で玄関大広間前の控室に集まっていた。
誰も彼もが互いに視線を行き交わせて、楽しげに駆け引きしている。
メイド達が浮つくのも仕方のないことだった。
何せ今日は彼女達にとっても一大決心の日。
大公の4人の息子達がこの館を出発して、それぞれの与えられた領地へと発つ、通称、旅立ちの日であった。
旅立ちの日と呼ばれるこのユーベル家の伝統行事に際して、子供達には領主から餞別として家来を連れていくことが許される。
家来達は当然、兄弟の中でもっとも将来有望と思われる者に付いていく。
メイド達にとってもこれは重大な選択だった。
事実上、職業選択の自由がない彼女らにとって、人生で唯一己の進路を決められる瞬間であった。
また、うら若き彼女ら、夢見る乙女である彼女らにとって、ここでアピールに成功すれば、ワンチャン玉の輿を狙える、そこまでいかなくとも貴族の坊ちゃんの愛人に立候補できるチャンスでもあった。
そういうわけで彼女らは殊更張り切ってこの旅立ちの日に臨んでいるというわけである。
また、領主の子供達にとっても
というのも、戦乱のご時世である昨今において、リーダーシップのあるなしは貴族の子弟として将来を測る重要な指標だし、その重要性は混迷を極める時代の流れによってますます重視されるようになっていた。
何よりこの旅立ちの日は、父親である大公フリードからその人望や資質を厳しく査定される場面でもあり、ここでの査定は彼らにとって文字通り将来に関わることだった。
この日のために領主の息子達は、この館内において自分を売り込むための政治運動を少なからずしてきた。
長男アルベルトと次男イアンは、すでに領地持ちであり、以前にも旅立ちの日を経験していて、いくらかの家来を連れて任地に赴いていたが、それでも決して油断はできない。
有能な部下はいくらいても足りないし、先祖代々この家に仕える家老達はまだこの館に居座り、アルベルトとイアンの実力を認めてはいなかった。
もし、以前付いてきた家来が、別の兄弟に付いていくようなことになれば目も当てられない。
事実上、大公の御前での失態と言えた。
そういうわけでアルベルトもイアンも可愛い弟相手とはいえ手は抜かずに今日のこの日に備えてしっかり根回しをしてきたのである。
「ふむ。準備はできておるようじゃな」
広間の奥に
「は。すでに若様達の準備は整っております」
館の執事が恭しく言った。
「万事抜かりはないな?」
「はい。控室に家臣一同と召使いが控えており、外には彼らを送迎するべく馬車も用意しております」
「よかろう。では、始めい」
「はっ」
幾つかある控室の扉が開いて、家臣と召使い、メイド達が我先にと領主の子供達の下へと馳せ参じる。
「アルベルト様。どうかこの命、あなた様のために使っていただきたく」
「イアン様。私のことを覚えておいでですか? 学院にて学業の成績を競った同期の者でございます。この度はイアン様の右腕として学院で培った知識を使っていただきたく……」
「ルドルフ様。どこまでもついて行きますっ」
メイド達も負けていない。
流石に色香を振り撒くといった真似はしないが、一生懸命ご奉仕させていただく旨、一人ずつあるいはまとまって申し述べるのであった。
家来と召使い達はそれぞれ自分の仕える主人の下に集って、列を作った。
長男アルベルトの人気は盤石であった。
何せ次期当主筆頭。
野心ある騎士や進んで戦地を望む勇者は、彼の下に集まった。
特に鎧を身に纏った騎士達が多かったが、召使の中でも特に有能を自負するメイド達は彼の下に集まった。
次男イアンも外せない。
秀才である彼は、いかにも手堅い優良物件に思える。
戦地から離れた場所に領地を持っているのも見逃せない。
彼の前に列を作る家臣は主に学者や僧侶が多かったが、堅実志向のメイド達もその列に並んだ。
3男ルドルフも捨て置けない。
いつの時代にも投機好きはいる者だ。
その才覚はちょっとしたチャンスを掴むだけで、トントン拍子に出世しそうだった。
列に並ぶのは商人や外部関係者、まだこの家に仕えて日の浅い者達が多かった。
それに彼は家中一の伊達男にして美男子。
絵に描いたような貴公子とのめくるめく恋愛を夢見るメイド達は、すっかり彼に幻惑されていた。
大公は広間の様子を見て満足した。
(うむ。3人とも上手くやっているようだな。さすがワシの子供達よ)
そしてチラリとノアの方を見る。
4人の下に家来達が集い、わいわい賑わっている中、ノアの列に並ぶ者は1人もいなかった。
当然のことだ。
家臣や召使いも将来がかかっている。
いったい誰が鬼の住むような僻地に飛ばされるうつけに付いていくだろうか。
誰だって思うだろう。
わざわざこの豊かな国を離れて、僻地になど行きたくない。
なるべくノアとは目を合わせないようにして、他の兄弟達に媚を売る。
ノアは1人ポツンと
すでに家来達は誰かの列に並んでおり、新たな主人の選定は終わろうとしていた。
しかし、そんな中、1人のメイドがノアの下に足を運ぶ。
(ん?)
大公は思わずその娘に目を留めてしまう。
身長190センチはあろうか。
目を見張るような上背の高さに、長い黒髪をポニーテールにして後ろに垂らしている。
腰には立派な剣を差していた。
その堂々とした歩き方には一種のカリスマ性を感じさせる。
大公はついつい見惚れてしまったが、彼女がノアの列に加わろうとする段になって我に返った。
「おい」
大公に呼び止められて、そのメイドは足を止める。
クルリと振り向きフリードの方を見た。
凛とした瞳だった。
「お主、名は……」
「オフィーリア、と申します」
「オフィーリアか。確か君はアルベルトの護衛を務めていたはずよの?」
「はい。正確には主人であるノア様の言い付けにより、アルベルト様に貸し出され、護衛を務めておりました。なので私の本来の役目はノア様付けのメイドです」
「ふむ。そうだったのか。しかし、そこはノアの領地に付いていくことを示す列だぞ? そこに並べば君はノアと共に僻地アークロイへと向かうことになるが、本当にそれでいいのかね?」
「はい」
オフィーリアは曇りのない笑顔で答えた。
この日が待ち遠しくて仕方がなかった、と言わんばかりの満面の笑みであった。
大公は慌てて言葉を続けた。
「家来にとって主人選びは重要なことだ。自身の立身栄達を左右することに他ならぬし、生死の境目となることもある。何より優れた主人に仕えなければ日々の仕事にも精が出ぬであろう。義理でノアに付いて行こうとしているのなら無理はせずともよいのだぞ? この私、ユーベル大公領の当主であるこの私が保証しよう。君達家臣には、好きな主人の下に
大公はノア以外の3人の方を指し示しながらいった。
「お気遣い痛み入ります大公様。しかし、私は心の底からノア様に仕えたいと思っているのです。嘘偽りのない本音でございます。どうかノア様の家来になる許可をお与えください」
「ふうむ。そうか」
(物好きな奴がいたものよの)
大公がなおも逡巡していると、オフィーリアはノアの前に片膝をつき、両手を組んで、騎士の誓いのポーズを取る。
「ノア様。常日頃から私はあなた様のことをお慕い申し上げておりました。つきましては、私のことを家来として召し抱えください。どうか私をあなた様の領地、僻地アークロイまでお供させてくださいませんか?」
彼女の純粋な心打たれる臣従の言葉に、大公はただただ圧倒されて、口を挟むことができなかった。
ノアは彼女に向かって手を伸ばし微笑む。
「ああ。もちろん。君を私の1番の騎士とする」
「ありがとうございます。誠心誠意
オフィーリアはノアの手を取り、その甲に口付けした。
(くっ。何、ワシを差し置いて勝手に話進めとるんじゃ)
大公は心の中でノアに対し1人毒づくのであった。
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