第3話 自宅と隣人


 一日目の夕刻。病院の外は一風変わっていた。

 砂混じりの風が止んだと思えば吹き、不規則に繰り返していた。道路や信号待ちしている自動車の上には砂が積もり、運転手はワイパーを掛けながら視界を確保し、車外に出てはワイパーを切り、フロントガラス全体をタオルで拭き取っていた。車内に戻ってはまた一度ワイパーを付けていた。

 大型トラックはなす術もなく、ワイパーを付けるのを止めていた。

 至近距離は見えたが、そこから先は視界が全く効かなかった。

 大型の黄砂がやってきたのだろうかと推察してみたが、分からなかった。

 歩道を歩けば砂の足跡がつく程、砂が積もっていた。病院での肉体改造は全く通用しない世界だった。まるで雪を踏み締める様に、ゆっくりと足を運んで行った。

 途中、病院に向かっていたのだろうか。救急車が滑って横転していた。人もまた横転し男女のカップルは倒れて気を失っていた。

 また別のカップルは見えない中、互いに「今日はありがとう!大好き!」と呼び合っていた。そして咳き込む声。

 家の窓ガラスには砂が吹きつけられ、軒先には砂が積もっていた。空き家は窓や玄関の隙間から砂が吹き込み、中で積もっていた。

 徐々に不気味さと不安が増していく景色に恐れを抱きながら、家路に向かった。進む道路は片側二車線で綺麗に舗装されており、ほぼ直線だった。

 車列は積もった砂に不安になり、渋滞を作って上りも下りもほとんど動いていない。砂が目隠しになり、車の中の様子を伺う事が出来ない。

 私のサイボーグの足は滑りにくくなっており、歩道の積もった砂にものともせず、走る事はできないが普通に歩行する事が出来、先へと進んでいく事が出来たのであった。

 財布もなく途中でコンビニエンスストアに寄ってみた。表のガラス一面は砂で覆われて中の様子を伺う事が出来なかったので、無銭だが中に入ってみる事にした。

 自動ドアから中に入ってみると驚くべき光景で、来店客の密集具合が、朝の通勤電車かと思う程であった。皆不安なのである、商品をカゴに入れてレジに並んでいた。少ない商品を取り合っていた。驚きの光景に圧倒され、私は外に飛び出した。

 私のメンタルは弱いままなのか?この手に入れた筋肉の様に強くはないのかと、奥歯を噛み締めた。

 再び普通の歩幅で家路に向かった。

「後数百メートル、後数百メートル」と言いながら歩いていた。景色も普段良く見慣れている場所までやって来ていた。養鶏場の前を通る。こんな中でも元気な鶏の鳴き声が聞こえる。もう最寄りまで来ている。

 歩道を右斜めに歩いて行った。

 そして自分の自宅アパートが見えて来るはず、左手に。


 玄関扉が並んでいる通路にも砂が吹き込んでいた。カギをジャージから取り出し、開錠してドアを引き開けた。

 ドアの開いた隙間から膝の高さくらいの砂が外に押し流されて来た。私は身体のバランスを取るのに精一杯であった。砂は室内から通路側に流れや流れ、ドアを開けて中に入ると自分の室内の光景に目を疑った。フローリングの上に一面に、砂が積もっていたのである。

 その深さは膝下くらいあり、愕然としてどうすればいいか暫し混乱した。先ずは気持ちを落ち着けようと、何度も深呼吸した。こうなった原因を探ってみようとした。室内をじっくり観察した。引き違いの窓が十五センチ程開いており、そこから砂が吹き込んで来てる様だった。

 私は戸締まりをしっかりとして外出しているつもりだった。しかし違っていた。わずかに開いた引き違い窓を砂の力で十五センチまで押し広げたのか?推察でしかなかった。

 どうしようと単純に呆気にとられていた。考えた。シャワールームにある取手のある洗面器と洗面所に置いてあるバケツを使って、地道に砂を外にかき出す事を思いついた。

 洗面器で砂をかき集め、バケツに入れて窓の外へと砂を捨てる考えだった。これを数時間やった成果は、無意味だった。どうしても新たな砂が窓の隙間から入ってくる為だった。

 別の案を考えて窓を閉めて、バケツに溜まった砂を玄関側に捨てる方法を思い付いた。これをまた数時間繰り返した。室内の砂は残っているが、ある程度取り除く事が出来た。

 しかし玄関外廊下は砂が山と溜まってしまった。この方法は何となく失敗した感じだった。   

 これは一人でどうこう出来る作業ではなかった。数人に助っ人を頼む必要があった。私は勇気を出して隣人に助けを求める為、砂を避けながらインターホンを押した。面識はないが焦っていたので、インターホンを何度も押した。

 そして何と扉が開いたのである。中から出て来たのは、二十代の女性で白衣を着ており、肩には東邦大学総合病院の刺繍がしてあった。そして見覚えのある顔だった。

 お互い顔を見て「あっ!」と叫んだ。

 看護師が「高本さん?」と聞いてきたので、私は「はい」と答えた。

「私は特別室を一日だけ担当した坂西と言います。お元気になられたんですね」と言った。

 しかし私は焦っていたので頼んだ。

「ここの通路側の砂を歩道側に捨ててくれませんか!」

 と言い、室内に戻って財布を持ってきた。

「ただとは言いません、これ七万円で手伝ってくれませんか?」と頼んだ。

 彼女の服装といい、これから出勤のタイミング、遅番だったのだろう。条件を言って来た。

「一日七万円だったら手伝うわ。非常事態になって困ってたから」

「分かった、その条件を飲もう、ただ今日は遅くなって来たから、明日の午前からにしよう」

「わかったわ、じゃあ今から夜勤に行って来る、明日からよろしく」と坂西はカーディガンを着ながら答えた。彼女は砂塵の中に消えて行った。


 二日目の朝。彼女は何をどうしたのだろう。長袖ボーダーシャツにジーンズ姿で、ショベル、バケツを二つずつ持って、私の玄関扉の前に立ってインターホンを押して来た。ちょっと待ってと静止し、急いで朝食を取り、長袖にジーンズに着替えて坂西と合流した。

「高本さん」と言って、首に巻いていたタオル二枚のうち一つを手渡された。

「私は何をしたらいいの?まず」と以外に積極的な姿勢を見せる彼女に伝えた。

「そのショベルでここの通路にある砂をアパートの外に出して欲しいんだ」

「分かったわ、早速しましょ」坂西は言った。

「病院にはなんて言ったんだ」

「そんな事よりこっちが優先」

 彼女は東邦大学総合病院勤務だから住んでる所は知られているし、私も入院患者だったから住所地は分かっている。病院の教授達にはより注目されている二人となる。

 今日は風が止んでいた。作業にはもってこいの日だが、砂は降って来る。

 男女二人で十数分黙々と作業をしていたら、気まずい空気になって来た。

 私は女が苦手だった。三年で離婚した元妻のせいと言えばその通りだ。

 まるで小型犬が家の中で延々と吠えてる様でキリがなく、何がきっかけか突然噛みついて来る。その噛みつきという暴力が頻繁になり、これは妻のDVだと警察に届を出しに行ったが、相手にされなかった。私は警察も嫌いになった。

 にしてもこの看護師は話さないのか?それは作業に没頭するタイプだからなのか?分からないが沈黙は続いていた。

「ちょっと休憩でもしないか、良くがんばってるし。あまりしゃべらない人なんだな」

「そうね、べらべら話す看護師も嫌いかな。いや性格かもね、もう休憩していいの?」

「あ、うん、七万円はいつ払えばいい?高額バイト代」

「そうね、じゃあ一日の終わりに。この額、後悔してないの?何でまた七万円なんて」坂西が覗き込んで来た。

「正直ぱっと思いついた、女性に肉体労働だし、体格差もあるし、貴重な人材でもあるし。直感で弾き出した、多分。期待通りに頑張って」と私は説明した。それに数日の仕事だと思っていた。でもやはり高い日当と本音では。

「じゃあ一日頑張るね、高本さん」

 朝昼晩の食事は彼女がコンビニエンスストアで買って来た。お金は彼女の支払いで。

 作業は私の部屋の砂を優先して玄関先にショベルで私がかき出し、坂西が私の玄関前から歩道へとショベルとバケツで運んだ。この作業を百回超える回数、二人で暗くなるまで黙々とたまに談笑しながら、食べながら進めた。

 流石に一日では終わらなかったが、目処が立ちそうな気がしていた。坂西に今日の作業の終わりを告げ、七万円を渡した。彼女は戸惑いと喜びの感情を露わにした。取っておいていいと告げると私も充足感に満たされた。

「じゃあ今日はありがとう、そしたら明日もまた」私はそう言い手を振ってみた。

「私もこんなにありがとう、ほんとに。明日も出来るつもりだから」坂西は手を振り言った。

 坂西が部屋に戻るのを確認すると、コンビニエンスストアに向かった。お金を下ろすのとビールとつまみを買いに。

 砂は変わらず降っていた。うちはアパートの二階廊下が軒の様な役目を果たしていて、砂が一階に吹き込むのを防いでいた。ついていた。

 晩酌すると何とも言えず爽快で充足感に満たされた。女と言うのは色んなタイプがいるんだな、でもお金を渡せばそうなるかと多少の疑ぐり深さがあった。

 サイボーグの足は調子が良かった。

 砂は十センチメートル程、積もっていた。

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