壊れた世界に花歌を、見上げた桜に終焉を。

 ……いつの間にか眠ってしまっていたようだ。それにしてもいつのときの夢だ? もう何年も前のことだろう。あの場所にあまり良い思い出はないんだけどなぁ。いつものことだが、あの場所のお陰で私が生き残れてると考えるとなんとも言えない気持ちになる。あの人は今どうしているんだろうか……。


『感傷に浸っているところ悪いけど、そろそろ目的地につくよ。』

「……ああ、『モノ』か、おはよう。」


 寝ぼけ眼を擦る。聞こえてくる声に欠伸をもらしながら返事をする。まだまだ頭が働かない。


『まだねぼけているみたいだね。僕のことがわからなかったのかい? 寝ずにここまで運転してきたのは僕だと言うのに。』


 妙に芝居がかった声の、スマホから流れる音が聞こえる。小気味よく揺れる車が眠りに誘う。頭を起こそうと欠伸を噛み殺しながら私は言う。


「ふぅ、あんたに睡眠なんて必要なの? 今までしてたとこ見たこと何だけど。世界最高峰の人工知能さん? 」

『いやいや、必要だとも。ただ使用メモリの半分を順番に使っているから常に半分眠っているようなものだけどね! 』


 一拍の後、二人の笑い声が響く。互いが互いの軽口をたたきながら車は進む。その響き渡るような笑い声は誰もいなくなってしまった世界の荒野にしばらく響いていた。


『ていうか、目的地見えてるよ。』



 もう何時間経っただろうか。延々と変わらない退屈な荒野を走り抜き、停車予定位置にようやく辿り着こうとしていた。


「そろそろって言ってたけどもう5時間以上かかってるね。」

『ちょうど目的地が見えてきたんでそこから距離を逆算するとそろそろだったんだよ。それにしてもおかしいな。2時間もかからないと思ったんだけど。』

「まあ良いや、レーダーに反応は?」

『相変わらずないね。周囲に動くものは何も無いと考えて問題ないよ。でもやっぱり興味深いね。動物がいなくなっても植生が変わらないのか。ちょっとデータを取ってみよ……。』

「こら先に計画を進めるよ。時間がないんでしょ。」


 運転席から車体にチョップをいれる。少し考えて本体はスマホだからそっちにチョップすべきだったか? まあどちらでも良いか。ううん、思考が逸れていっているな。


「ふぅ、ここらへんで車を止めてくれ。」

『了解。』


 柄にもなくクライマックスを前にして緊張しているらしい。1つため息をつき、目をつぶる。『モノ』は何も言わず周囲のサーチをしているようだ。何もかも止まった世界にわかるのは胸の鼓動のみだ。彼女は今、終わりの前に何を考えているのだろうか。



 「突然だが地球は終わった。」とビデオメッセージで言われてから幾数年。あの場所、あの施設が何と言うか知らなかったが、何やらアルファベットの小難しい名前がついていたらしい。長期睡眠用ポッドから出てきてからの大変さは今思い出しても頭が痛くなる。人間という人間がいなくなり、動物もほとんどが消失していたのだから。あの施設でいろんなことを知らなければすぐに死んでいたかもしれない。そう考えると感謝したほうが良いのだろうか。私の為に世界中の知識を持った『モノ』もあの施設にあったし。いやそれも私の為とも言いきれないし、そうでもないな。ああ、あの施設といえば、《花歌計画Blossom Song Project》の文書には特に悩まされた。たかが十年ちょっとも生きていない、普通の生活をまともに送って来なかった小娘に決断させるとは酷な話だ。まぁ、あの施設は私にあまり優しくなかったがむしろ守られていたとも知った。名前は何故か思い出せないがあの研究員も優しかったし。私は計画を実行することに決めた。ここまで長い時間がかかって、色々なことがあった。でも計画の終着点までに地球を一周する必要があるのはどうかしていると思う。この長い旅も終わりを迎えると考えると少し寂しいものを感じる。さぁ、最後まで頑張ろう。



 車を降りて歩く。重いリュックを背負いながら、もう数キロは歩いただろうか。立ち止まり、目の前の景色を見ながら呟く。


「ついた。」

『着いたねぇ。……しっかし、こんなバカでかい樹は見たことも聞いたこともないねぇ。』


 そこには光を失った雲1つない灰色の空を貫かんとばかりの巨大な、色鮮やかな桜が広がっていた。灰色のなかで光り輝いてさえ見えるその樹は神々しく、そしてどこか恐ろしさを感じる。


『ふむ……。高さ約10キロメートル、直径約3キロメートル、蕾もできてるね。しかももう咲きそうだ。データベース上より成長しているねぇ。』

「そろそろ限界な感じだな。間に合って良かった。」

『どういうメカニズムなんだろうか。気になるなぁ。やっぱり車持ってきて調査したかったなぁ。』

「はぁ、あれに近づいちゃいけないのは知ってるでしょ。それに計測してどんな影響があるかわかったもんじゃないって。諦めな。」

『わかってる。わかってるけど、探求の道が閉ざされることに悲しみを覚えるのは仕方ないじゃないか! 』


 相変わらずな様子の人工知能だ。随分前から思っていたがこいつはとても人間臭いと思う。あの施設はどうやってこんなのをつくったんだろうか。それでもまあ、こいつがいなかったら私は1人で発狂していたのが容易に想像できる。感謝の念こそあるが、実際のを見るとこれだからなぁ。面倒くさいと思ってしまうのが常の話だ。


「嘆いてないで準備するよ。」

『ああ……。そうしよう……。』


 リュックを地面に置き、スマホをリュックのポートに接続する。


「『モノ』展開よろしく。」

『了解。展開完了まで後……8時間くらいかな。先に寝床生成しておくから休んできたら。暗くなってきてるし、最後の最後でミスしたくはないだろう? 』

「そうしようかな。じゃあ後は任せるよ。」


 リュックから無数の光が飛び出て空間に投射される。投射された設計図に合わせて建物が生成されていく、今まで幾度となく見たそれを横目に作られたばかりの寝床に向かう。1つ伸びをする。流石に長時間の乗車と歩きに体も堪えたようで疲れを主張している。


「おやすみ。」

『ああ、おやすみ。』



 まだ日の出ていない、薄明るい朝空に歌が響く。灰の空に澄み切った蒼が広がるようなそんな美しい歌だ。


『おや、起きたのかい。ずいぶん早くに起きたもんだねぇ。』


 今の時間は……4時か。昨日寝たのが8時くらいだから、まあちょうどいいか。


「おはよう。そんなことはないさ、昨日は早く寝たからね。準備が終わったら始めよう。」

『そうしよう。ああ、神殿の展開は完了しているよ。』

「わかった。」


 遥か高くに屹立する桜を見やる。かすかな光に反射して薄く光るそれは開花を今か今かと待ち望んでいるようだ。ボソリと呟く。


「今日で終わらそう。」


 朝食、神殿の確認、儀式の確認……後着替えなどを手早く終わらせる。逸る気持ちを抑えながら丁寧に丁寧に。そんな中『モノ』はポツリと、誰にも聞こえないような声を出力する。


『ふむ、なんの因果だろうか。のときが夜明けと同時だとは。』




 歌が始まる。現代の叡智の結晶である神殿に何処か古めかしくも美しいドレスを纏った女性が一人。彼女は歌い、神殿は明るく温かい光を纏っていく。歌に呼応するように輝きを持って光は拡散していく。この光は彼女の歌を世界中に、いやこの宇宙全体にまで響き渡らせる。響き渡るその歌はとても、とても美しく、荘厳でこの星の終わりを告げる先触れにふさわしいものであろう。歌が最高潮に達したその瞬間、夜が明けた。歌は広がり、日が昇り、それに呼応して蕾が開く。瞬く間に満開となった巨大な桜に、《常磐の桜》に朝日が重なる。灰空の中、朝日の仄暗い温かな光に照らされる《常磐の桜》はもう二度と見ることのできない絶景であるはずだ。歌に呼応して更に一層美しく咲き誇る。そうして歌が終わった。



 あたりに静寂が満ちる神殿に巫女は佇んでいた。その片手にはスマホが握られている。ドレスにスマホという少し異質な組み合わせだがその姿は自然に見える。


「どうだい、私の歌は見事なものだろう? 」

『いやぁ、前々から思ってたけど聞くたびに惚れ惚れするようなうただよね〜。あ、そうそう。は観測されたよ。バッチリだね。』

「ふぅ、こっからが大事だからね。気を抜かずやろう。」

『一番大事なところだからね。がんばれ。』



 巫女はスマホをしまう。1つ深呼吸。光が溢れんばかりに輝く世界は静けさを保ったままである。そこにまた彼女の歌が響き渡る…………かのように思えた。彼女は歌っている。しかし何も聞こえず未だ神殿は静謐を保っている。その歌は音ではなく別の何かで伝わっているのだろうか。歌は聞こえないけれどその荘厳さはより増しているように感じられる。もし他に人がいたのならば誰であろうと、目覚めではなく、終わりを告げるものであると理解できる、そんな歌であった。クライマックスに入る。聞こえないがとても美しく感動しないものはいないと感じられるそんな歌が終わる瞬間、全てが眠った。



























 




 目が覚めた。旅をしていたときのどんな時よりも清々しい湖。どうやら眠っていたのは花畑の真ん中らしい。色とりどりの花が咲き誇っている。今までにない鮮やかな景色に、空に少し目眩がする。あたりを見回す。《計画》は、成功したらしい。思わず涙が零れ落ちそうになる。そういえば、あのおしゃべりな人工知能は――。


『やあ、おはよう。』


 バッと振り返る。すぐに足元に見慣れたスマホを見つける。手を伸ばし声をかける。


「ああ、おはよ……。」


 告げられた言葉に、手を伸ばして固まる。


『これはビデオメッセージだ。残念ながらメンテナンスなしでの限界がしてしまってね。この端末のみ高耐久加工を施したから、他のものは残ってないはずだよ。時間がないから手短に。まず1つ目、計画な成された。世界は徐々に正常化していくだろう。2つ目、僕は人間に近い精神構造で構築されている為いわゆる発狂することがある。そうなると手が付けられないから強制終了を掛けることにした。君が目覚めるときにはプログラムの欠片も残ってないだろうね。3つ目、《機械仕掛けの神》の再起動まで儀式終了時点から約930020346年、このビデオ収録時点では後約930000860年。それまでは君の先触れの力で人間だけがいなくなった平和な状態が続くと予想されているよ。こんなところかな。君と旅ができて良かったよ。最後に良い思い出ができた。それじゃ……さよなら。』


 彼女はしばらく呆然と手を伸ばしたまま口を開けたままでいた。ゆっくりと、ゆっくりと手を下ろし呟く。静かな風が吹いた気がした。


「そうか、彼は、行ってしまったか。」


 スマホを拾い上げる。ほとんどの機能が使用不可能になっていて基本的な機能しか使えないようになっている。ただ、2つだけ違うところがあった。1つはカウントダウンで今は[残り約134860023年]と表示されている。もう1つは記録である。彼女が今まで眠っていた時間に比べればほんの数年だが、彼との旅が記録されていた。目元の雫が大きくなった気がした。それはほんの数年でも彼女が自由うに過ごせた少ない時間なのだからかもしれない。


「今まで、ありがとう。」


 その声には少しの涙がにじみ、彼の褒めてくれた歌は小さく悲しみを隠すようにハナウタとなって風に流れていった。

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