無限の数学

森本 晃次

第1話 一周回って

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年12月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。


「それでも、地球は回っている」

 といって、処刑された中世の天才、

「ガリレオガリレイ」

 であるが、この言葉は、いろいろな意味で考えさせられることが多い。

 当時の常識から、

「地球が回っている」

 という発想は、あまりにも奇抜なものとして、

「天下を治める者」

 として、

「世間を騒がせる」

 ということは、許されないことだということであった。

 それが、正しいことであれ、間違っていることであれ、

「世間を騒がせる」

 ということがそもそもの間違いなのだ。

 世の中には、いろいろな考えがあり、それぞれのやり方で行動をするものだ。

 しかし、世の中を治めていくということは、それでは済まされない。法律もなく、各々が好き勝手なことをしていれば、

「無法地帯」

 ということになり、その治安はめちゃくちゃになってしまう。

 太古の昔から、人が生き残っていくために、助け合うことから、一つの集落が生まれ、それが、その地域でそれぞれ生まれることで、土地をめぐっての争いになってきた。

 そして、

「弱肉強食:

 という秩序から、次第に、小さな集落がだんだんと大きくなってきて、

「クニ」

 というものができてきた。

 そこでは、中心をまとめる、

「王」

 という存在がいて、日本であれば、

「天皇」

 ということで、朝廷というものが生まれ、そこから、秩序としての、

「法律が生まれてきた」

 日本の場合は、

「朝鮮半島を経由して、大陸から渡ってきたもの」

 ということで、大陸の文化や行政を取り入れることにしていたのだ。

 これが西洋では、

「ユダヤ教、キリスト教などの出現で、秩序が生まれてくる」

 ということであるが、それが、

「聖書」

 というもので書かれている。

 日本でいえば、

「古事記」

 であったり、

「日本書紀」

 というものであろうか、

「古事記などの場合は、神話に近いことから、ギリシャ神話に近いようなものなのかも知れない」

 ということである。

「ギリシャ神話」

 にしても、

「聖書」

 にしても、

「古事記;

 にしても、

「神というもが存在し、人間よりも、えらい存在ということであろう」

 日本の場合は、それが天皇であり、天皇を神と崇めることで、続いてきた、

「万世一系」

 と言われ、

「世界でも類を見ない2600年という歳月、王朝として続いてきたのである」

 今でこそ、

「天皇が国家元首」

 ということはないが、途中で、

「武家社会」

 ということで、

「征夷大将軍による幕府」

 というものが成立したといっても、

「国家元首」

 という意味では、どんなに勢力が衰えたといっても、

「天皇の権威は強大なのである」

 それを考えれば、

「日本国民という民族が、いかに天皇というものを敬っていたかのか」

 ということである。

 大東亜戦争にての敗戦後、日本が天皇制の廃止を余儀なくされると、果たしてどうなったことか。少なくとも、

「象徴」

 として残したことは、

「GHQのその後の、占領政策」

 および、

「日本国の復興」

への、ファインプレーだといってもいいだろう。

 そんな時代において、

「世の中が回っていた」

 というのは、やはり、法律というものを作り、それを運用し、そして、そこでの裁きが行われるということでの、

「三権分立」

 というものがうまく回ってきたからであろう。

 さすがに、独裁国家というものであっても、少なくとも、それらの部署は存在し、ただ、「それを一人が独占する」

 というところから生まれてきたものであろう。

 確かに、

「独裁者」

 というのは、過去の歴史において、ろくなことはなく、最後には、

「滅んでいく」

 ということで、

「共産主義」

 であったり、

「ファシズム」

 というものが、

「ソ連の崩壊」

「第二次大戦の終結」

 ということで証明されたといってもいいだろう。

 しかし、本当に、

「それらの体制が間違っていた」

 と言い切れるものであろうか?

 実際に、社会的に認められ、合法のうちに政権を取ったわけで、ソ連の場合は、

「クーデターという、革命」

 ということであったが、これも、当時の世界情勢から、

「絶対王政の国家は革命に見舞われる」

 ということで、当たり前のように起こった革命であり、政権を取ったのが、

「共産主義」

 というだけのことで、ファシズムと同じではないだろうか。

 それに、ファシズムであっても、選挙で単独与党になったわけで、しかも、その政府の、

「独裁制というものを、国民が認めた」

 というわけである。

 何といっても、ドイツの場合はどは、第一次大戦において、戦勝国から、莫大な賠償金であったり、植民地を根こそぎ取られたりして、連合国の中にも、

「これでは、時期戦争を引き起こそうとしているのと同じだ」

 ということをいわれていた。

 だから、当時のドイツは、経済的には、

「ハイパーインフレ」

 に見舞われ、他の国からは、踏んだり蹴ったりで、国民も委縮していたことであろう。だから、国民が望んだのは、

「強いドイツ」

 であり、そのためには、カリスマ性のある強力な政治家の登場ということであった。

 そこに引っかかったのが、

「ヒトラー」

 であり、彼を強力に後押ししたのが、ドイツ国民であった。

 つまりは、ファシズムというのは、そういう国民を代表する、

「強い政治家によって、強い国家体制を作る」

 ということで、だからこそ、

「結束主義」

 と言われるもので。当時のイタリア、ドイツがそうであった。

 イタリアも、

「ローマ帝国の過去の栄光を再度」

 ということから始まったものであり、ドイツと同じで、

「民族主義」

 に裏付けられたものだといってもいいだろう。

「共産主義とは違うが、結局は、反対勢力の弾圧などという意味では一致している」

 といってもいいだろう。

 それが、結果的に、

「他国を攻める侵略国家になってしたった」

 ということであり、ただ、これも、そもそもは、第一次大戦において、その講和条約が、あまりにも相手を追い詰めるものだったということから起こったことであり、言ってみれば、攻められた国も、

「自業自得」

 という考え方が成り立たないわけではない。。

 それを考えると、ドイツやイタリアも、ある意味、無理もないことであっただろう。

 それら、

「ファシズムの国と結びつくことになった」

 日本という国も、

「満州事変において、満州国建国を行ったことで、それを、自衛のためという理由を世界から棄却されたことで、孤立してしまった」

 という中において、暴走した軍備が、政府を動かす形で、

「日独伊三国同盟」

 を結ぶことになったといってもいいだろう。

 そもそも、大日本帝国というのは、体制が少し歪であった。

 というのが、日本は、他の国と違い、国家元首が天皇ということで、

「立憲君主の国」

 だということである。

 そんな中、

「大日本帝国」

 の中にある、

「天皇の統帥権」

 というものがあった。

 そこにある、

「天皇の統帥権」

 の中に。

「天皇は、陸海軍を統帥す」

 という条文があった。

 これは、どういうことをいうのかというと、

「陸海軍は、天皇直轄であり、政府であろうと、軍の作戦などに口出しができない」

 ということである。

 つまりは、

「軍は、天皇の命令以外聞いてはいけない」

 ということであり、

「その天皇の命令は絶対であることから、軍の統制に、政府がかかわってはいけない」

 ということで、それは、

「越権であり、憲法違反になる」

 ということであった。

 だから、

「統帥権違反ではないか?」

 ということで、

「軍縮会議において、外務大臣が、軍縮に調印した時」

 あるいは、

「満州事変の際、天皇の命令なくして、朝鮮軍司令官が、極暖で、軍を、満州に派遣した」

 というのが、

「統帥権の干犯に当たる」

 という論議が起こったものだ。

 それだけ、軍の力が強いともいえるだろう。だから、これも、一種の、ファシズムに近いといってもいいかも知れない。

 何といっても、明治維新からこっち、大日本帝国の最初の目標であった、開国の際に結ばされた他国との、

「不平等条約の撤廃」

 ということを目標に掲げられたのが、

「富国強兵政策」

 だったのだ。

 何をおいても、

「軍部の強化」

 というのが、急務だったということである。

 そのためには、

「軍を、天皇直轄にする」

 というのは、ある意味、当然のことであったのだろう。

 そういう意味で、

「世界の列強」

 という国と、

「ファシズムを中心として、生き残りをかけた国との対決」

 というのが、第二次大戦だった」

 といえるだろう。

 それぞれの国に言い分はあった。

 日本の場合は、

「欧米列強に侵略された東アジアの国を解放し、日本を中心として、新秩序を建設する」

 という立派な大義名分があったのだ。

 しかし、それも、

「敗戦」

 となると、かすんできてしまう。

 しかも、その大義名分を軍事裁判の際に、

「邪魔になる」

 ということで、戦勝国の連中は、

「大東亜戦争」

 という、日本において、

「閣議決定された名前」

 を、

「使ってはいけない」

 ということになったのだ。

 本来であれば、講和条約が結ばれ、日本が占領から解放された時点で、この使用してはいけないと言われた、

「大東亜戦争」

 という表記を使ってんもいいはずなのに、

 なぜか、いまだに、これを、

「太平洋戦争」

 などという、戦勝国から、押し付けられた言葉を使っているというのは、

「いまだに、戦勝国に対してこびている」

 ということになるのか、

 それとも、

「押し付けられた民主主義」

 というものを正しいと思い込み、

「大日本帝国というものに戻してはいけない」

 という思いが強く、そうなっているのかということである。

 確かに歴史というものは、その時の政府の都合によって、捻じ曲げられたり、一つの凝り固まった考えの元に操られていたりするものであった。

 それを考えると、

「大日本帝国」

 という歴史が、日本人にとって、

「黒歴史となっている」

 ということになるのではないだろうか?

「徳川幕府の時代になって、豊臣政権時代のもの」

 あるいは、

「明治時代にあって、徳川時代のもの」

 などを、徹底的に破壊し、旧政権の人たちの歴史上の事実などを捻じ曲げたりしたというのと、同じように、

「大日本帝国」

 において、

「国家を憂いて、必死に軍部として戦ったり、政府として外交を行ったりしたものを、すべて、軍国主義が悪いということで、一刀両断にしてしまう」

 ということになるのであろう。

「本当の真実がどこにあったのか、それは歴史が答えを出してくれる」

 というこという人がいるが、

「果たしてそうなのだろうか?」

「歴史を政府の都合で捻じ曲げる」

 ということを行っている以上、本当にそう言い切れるのであろうか?

 日本の歴史、特に中世からこっちは、平安時代までは、律令制というものから、貴族や公家、さらには、天皇が中心の社会であった。

 その中において、土地というものを公家や、貴族、そして、寺院が荘園という形で持つことで、それを守るために作られた、

「僧兵」

 であったり、

「武士」

 というものが、いずれ、平安末期では、いろいろな公家の都合による戦が起こり、武士が兵力として使われるようになったのだが、その武士が時代とともに、力を持つようになって、次第に、公家の官位に食い込んでくることになる。

 それまでは、公家からは、

「しょせんは、武力しなかい野蛮な集団」

 という意識があったからか、政治参加ができなかったのだ。

 しかし、次第に力をつけてきたところに、そもそもの武力があるのだから、公家に対応できるわけがない、

 今まで、こき使っていた武士が、その不満を、爆発させたことで、源平の争いなどを経て、最後には、

「荘園制度の崩壊」

 とともに、武士が土地を支配するようになると、その土地を保証し、その代わりに、保障された武士が、領主のために戦うという、

「ご恩と奉公」

 という形の、

「封建制度」

 というものが確立することで、

「武家の世界」

 というものが確立されたのであった。

 しかし、これはあくまでも、

「朝廷から、政治を行うことを認められた」

 ということで、対外的にいえば、天皇が、

「国家元首」

 ということに変わりはなかったのだ。

 だから、幕末の徳川幕府が力が衰えてきて、諸外国から、開国を迫られ、倒幕が現実味を帯びてきた時、幕府は、

「天皇の権威にすがる」

 ということで、

「公武合体」

 を勧めたのである。

 そうでもしないと、

「幕府に不満をもつ勢力を抑えきれない」

 という幕府の苦肉の差だったのだろう。

 朝廷としても、

「幕府の力を使い、外国を打ち払うという、攘夷を勧める」

 ということで、幕府の力を必要としたということで、お互いに、その利害が一致したといってもいいだろう。

 ただ、そのうちに、

「やはり幕府ではダメだ」

 ということで、倒幕運動が力をつけてきた。

 そんな中で、幕府に一番恨みを持っていて。力のある藩として、浮かび上がってきたのが、

「薩摩、長州」

 という、二つの軍事同盟である。

「薩長同盟が結ばれた」

 ということで、一気に倒幕が進んだのだ。

「天才と言われた徳川慶喜であっても、時代の大きな流れを止められず、結局、明治維新は、曲がりなりにも出来上がり、天皇中心の、中央集権国家としての、明治政府というものが成立した」

 ということになったのである。

 つまり、

「元々は、公家たちにより、天皇中心の国家であった平安時代まで」

 そして、そこから、180度変わった形で

「武家というものが出てきたことにより、封建制度に基づく、武家政権が成立した時代があった」

 ということで、それが、

「鎌倉時代から、徳川幕府滅亡までの、約650年間」

 というものが成立していたということになる。

 そして、そこから倒幕が起こり、またしても、天皇中心の、中央集権国家ということで、180度変わったことで、

「一見、昔の律令制度に戻った」

 ということを想像するかも知れないが、その態勢は大きく違っていた。

 それは、世界が変わったということもあれば、

「平安時代の昔に戻す」

 ということが、大きな失敗になるということを、

「歴史から学んでいる」

 といえるかもしれない。

 あれは、鎌倉末期のことであった。

 鎌倉時代末期において、

「中国王朝の元」

 いわゆる、

「モンゴル帝国」

 というものが、

「元寇」

 という形で、日本に攻めてきたという事件があった。

 日本は、諸国の兵を集め、何とか撃退することに成功したが、この戦いは、

「日本国においての、国盗りということではないので、相手の土地を奪ったということではない」

 前述のように、土地を保証するというご恩を、幕府が果たしてあげられないことが、悲劇となった。

 国を守るために、兵として集まった人たちは、中には、

「借金をしてでも、従軍する」

 ということになったのだ。

 それはもちろん、勝った時の土地という褒美を期待しているからなのだが、勝つには勝ったが、

「恩賞がない」

 ということで、武士たちは、借金をそのまま抱えることになり、幕府に不満を持った。

 そのために、

「最後の手段」

 ということで、徳政令を出し、

「借金棒引き」

 ということにして、武士を助けたのだが、帳消しにされた金貸しは、溜まったものではない。

 一時的に、武家は助かったが、しかし、経済はそのままなのだから、結局すぐに、武士は困窮してしまう。また金を貸してもらいにいくが、今度は、商人が、

「武士には貸さない。また徳政令が出れば、大損だ」

 ということで、誰も貸してはくれない。

 そこで、武士は幕府に見切りをつけたところで、天皇が、

「この時とばかりに、天皇中心の社会にしよう」

 と考え、倒幕に動いたのだ。

 幕府の方は倒れたのだが、今度は天皇が政治を始めた時、公家を中心に褒美を与え、時代を、

「平安までの昔の政治をしようとした」

 ということで、武士の地位は、地に落ちたということで、結局、またしても、

「武士だけが、ひどい目に遭う」

 ということで、武士の棟梁によって、また幕府を作ってほしいと望んだことで、生まれたのが足利幕府であり、さらに、朝廷が分裂したことで、

「南北朝時代」

 というものができたということであった。

 明治維新後に、武家の不満が爆発し、

「士族の反乱」

 が各地で起こったというのも、それはそれで無理もないことだっただろう。

 それでも、何とかなったのは、

「南北朝時代」

 の教訓があったからだといっても過言ではないだろう。

 南北朝時代というと、元々、

「鎌倉幕府を倒し、朝廷中心の時代にしようとし、武家を蔑ろにsたことから、武家の反感を買い、最終的に、京を追われた後醍醐天皇が、奈良の吉野に逃れ、そこで朝廷を作ったのが、いわゆる、

「南朝」

 であり、

 幕府を開いた足利尊氏が京都において、作った朝廷が、北朝として、権威をふるったというのが、

「南北朝時代」

 ということである。

 そもそも、考えれば、

「南北朝時代」

 とまではいかなかったが、古代においても、中大兄皇子が即位し、天智天皇となったが、その弟と、息子の間で起こったいざこざから、弟の方が、京を離れ、逃れたところが、

「吉野」

 であった。

 その後、天智天皇の死後、この二人に戦が起こり、吉野に逃れていた方の。弟である、

「大海人皇子」

 が勝利し、大津宮に凱旋したことから、都に戻って、

「天武天皇」

 として即位したのであった。

 この戦を、

「壬申の乱」

 といい、古代戦争としては、

「最大のもの」

 と言われているのであった。

 朝廷は、時々分裂することもあったが、結局は一つになり、それが、その戦において、

「分岐点になる」

 ということでもあったのだ。

 しかし、徳川幕府が滅び、時代は、

「欧米列強に、追い付け追い越せ」

 ということになると、

「もう、武士の時代ではない」

 ということで、政治体制なども、

「欧米列強に習う」

 ということになるのであった。

 当然、武士の世の中というのは、終わりを告げる。

 刀での斬りあいなどという時代はなくなるわけであり、それ以降は、

「大砲」

 であったり、銃剣などという近代の武器を装備した、

「国としての軍隊」

 というのが必要となるということであった。

 だから、

「180度転換したことが二度起これば、同じ状態になる」

 ということはありえないといえるであろう。

 世の中というのは、

「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」

 という、

「数学の公式通りにはいかない」

 ということを示している。

 特に、もっと言えば、

「この問題は、時代を網羅するという、次元の問題をはらんでいる」

 といってもいいだろう、

 それを考えると、

「一周回って」

 ということがどういうことなのか? ということを考えさせられるというものである、


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