神様の解決 (3)


「神様。朝です。起きてください」


 アンに起こされる。体感時間ではほんの数分。だが、現実にはちゃんと成人の睡眠時間分は眠ったようで、頭はかなりスッキリしていた。


 オレは寝ぼけ眼を擦りながら、身体を起こし、アンに返事をする。


「おはよう。アン」


 しかし、いつもならここで開かれるはずのカーテンが閉じたままだ。オレは不思議に思って、窓辺に目をやる。いつもなら「待機」しているはずのアンがそこにはいなかった。そう言えば、オレは昨日、アンに起こさないように指示を出していたことを思い出した。どうやら、オレは夢の中でアンに起こされたらしい。頭がスッキリしているのはオレの錯覚で、どうやらまだ半分夢の中にいるみたいだ。そしてオレの生活の骨の髄まで、アンが染み込んでいる証拠だった。


「朝食は既にできています」


 そんなアンの言葉が恋しくなったが、アンには朝一から工房の受付を任せている。食事は自分で準備すると昨日宣言したばかりだ。


「はあ……」


 溜息を吐きつつ、シングルベッドから立ち、キッチンへと向かう。


 朝食はいつも同じなので、アンの食事の計画が狂うことはないだろう。


 キッチンの照明をオンにし、調理場に立つ。朝食はトースト二切れと目玉焼き一つ、ベーコン数切れ、ブロッコリー少々、それとコンソメスープだ。アンに頼った生活ではあるが、一通りの家事は一人でできる。オヤジがいた頃に、アンドロイドの仕事と共に家事も教え込まれた。オヤジはアンドロイドの仕事以外はほとんどダメ人間だったが、それでもアンドロイドに頼らず生きていく術をオレは教わった。


 オレはとりあえず食パン二切れを多機能レンジに入れ、トーストする。その間に、加熱調理器にフライパンを置き、熱してサラダ油を引く。そっと生卵を一個割り、その脇でベーコンを炒める。っと、ブロッコリーをボイル……、いや、ボイルは面倒だからもうコンソメスープにブロッコリーを放り込もう。本来のコンソメスープは牛肉や鶏肉、魚などから出汁を取るのだが、我が家では固形のコンソメで手軽に作る。引き出しから固形コンソメを一食分取り、お湯に投じる。


 しかし、普段家事をしない人間がすると、ミスが生じるのは火を見るよりも明らかだった。


 トーストはコゲ、目玉焼きの黄身は潰れ、ベーコンはボロボロになり、スープは煮過ぎて濃い。食前のお祈りをし、そんな残念な朝食を取りつつ、オレは改めてアンの偉大さを文字通り噛み締めた。アンの作るやや白いトースト、固焼きの目玉焼き、少しコゲ気味のベーコン、ボイルしたブロッコリー、少し辛いコンソメスープ。何もかも恋しい。


 そして、そんな気持ちがマックスになったのは、お皿を洗っている時である。食事を作るのは、その先の楽しみを待つみたいでまだ元気だったのだが、後片づけはどうも気乗りしなかった。蛇口から出るお湯はお皿やカップに当たって跳ね返り、周囲をビショビショに濡らすし、油汚れは中々落ちないし、洗った皿から水気を拭いて食器棚に戻すのも面倒だった。


 そうして一通りアンの苦労を味わいながら、オレは工房の受付に顔を出した。一応、工房の営業時間よりもまだ早いためか、お客さんはいないようだった。これなら、アンに朝食を頼むべきだった。昨日の夕食といい、要領が悪い。オレはもう少しスマートだと自覚していたのだが、自意識過剰だったかもしれない。仕事を一人でできるようになったからと言って、人間として完璧にはほど遠いのだ。もう少し謙虚に生きよう。身の丈に合った生き方をしよう。


 アン以外に人がいないので、オレは普段着のまま堂々と受付の方に向かった。


「アン。おはよう」


 オレが声をかけると、アンもオレの方へと身体を向けた。


「おはようございます。神様」


 そんな普段通りの会話が、今は安心する。


「アン。昨日までの仕事の量を把握したい。どうかな?」

「はい。昨日の午前に受けたお仕事は全部で八十三件。午後に受けたお仕事は全部で六十二件。合計で百四十五件です。神様」


 とんでもない量の仕事を一日で引き受けてしまったものだ。向こう一年は仕事に困らない量である。だが、もちろんお客さんを一年も先に待たせてしまうわけにはいかない。長くても数か月程度が限界だろう。ってことは、概算して百五十件を三か月、およそ百日で消化するには、一日二件こなせばいいわけだ。だが、それは昨日一日に受けた仕事であって、これからも仕事の依頼は増えることが容易に予想できる。つまり、一日二件は最低ラインだ。


「了解。……それで、そのうちアンドロイドの仕事は何件?」

「はい。二件です」


 百四十五件中、本職は二件だけ。いや、むしろ万年仕事不足で閑古鳥が鳴く工房にしては、一日二件の依頼は珍しく多い方だ。一件あるかないか、これがこの工房のスタンダードなのだから。


「総数の割りに少ないな。それはマダム・サファイヤも含んでる?」

「はい。マダム・サファイヤのお仕事も含め、二件です」


 オヤジから受け継いだこの工房も、いよいよ鞍替えする時がきたのかもしれない。アンドロイド工房なんてニッチな仕事じゃなく、もっとロボット工房として看板を掲げれば、すんなり仕事は増え、収益も増加することだろう。場合によっては、大企業の下請け仕事が回ってくるかもしれない。そうなれば、大口の仕事だ。安心して働けるってものだ。


 などと考えはするのだが、実行するつもりは毛頭ない。オレはどうも心の奥底では、アンドロイド工房の主人という今のポジションが好きらしい。


 では、地方のアンドロイド工房の主人として、今現状起きている問題の核心に触れてみたい。


「じゃあ、別のアプローチだ。アンが言っていた、コンピュータ・ウイルスに起因すると考えられる仕事、と限定するとどれくらいある?」

「はい。百四十三件が該当します」


 ってことは、アンドロイドの仕事以外全てってことだ。


 抜本的な解決策が必要かもしれないが、それには設備も労力も知識も足りない。


 そうだ! 労力!


 オレは眠る直前に思い浮かんだ友人を思い出した。オレがカレッジに在籍していた頃の友人で、今はソフトウェアエンジニアをしている。そしてその友人は、今までオレが知っている中で一番の「ジーニアス」だ。


 思い立ったが吉日である。オレはアンに引き続き工房の受付を任せ、自室へと向かった。


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