第31話 3-12_イヌとオイラン2「番付、完了」



 どうやらカニ専用冷蔵庫を止め、緑猿関に損害を与えたのは、オイランの仲間らしい。その事実が、林檎Bの行動をどれくらい後押ししたのかはわからない。ともかく彼女は、オイランヘアーの群へ近づいていった。

「わ~。これ何かの撮影ですかぁ?」

 虎は獲物を仕留める直前笑うという。いっそ朗らかな声で林檎Bは語りかけた。

「あ? 誰?」

「おめえ関係ねえだろ」

「お前も出演してえか?」

 着崩したジャージ姿のオイランは、目の前の制服が自分のものだとはまだ気付いていない。背後から気絶させられたため林檎Bの顔を見ていないからだ。

 イヌ子ちゃんだけが気づいて複雑な表情を浮かべた。話しかけて善いものか迷っている。

 林檎Bは群を無視してイヌ子ちゃんの方だけへ問いかけた。あるいはそそのかした。

「欲しい物はある? 憎い相手は? ここに願いの叶うチャンスがあるとしたら、それをつかむ意志は? 返事はしなくていい。ただ思えば善い」

「憎い相手……」

 少女の瞳が復讐心に艶めく。

 切れた唇から血がこぼれ落ちる。頷いたのだ。

 他の少女たちはぽかんとしている。

「あ?」

「はあ?」

「あっ! お前、その制服――」

 すでにつぐねに見つかっている。ここで騒ぎを起こすべきではない。

 しかし、ある種の過去を持つ人には、自暴自棄に陥るトリガーといたものが存在する。そして林檎Bにとってのトリガーに、オイランたちの行為はことごとく抵触していたのである。集団加害。SNS。承認欲求。迷惑行為。

 ようするに林檎Bは全部ぶち壊したくなった。

「発気善いか? 願いが叶うのは一人だけ」

 林檎Bがディスコを掲げると、あふれ出した光が周囲を舐める。そして一切がぶち壊れた。



天地開け始めてより陰陽に分かれ、

清く明らかなるもの陽にして上にあり、これを勝ちと名づく。

重く濁れるもの陰にして下にあり、これを負けと名づく。

勝ち負けの道理は天地自然の理にして、これをなすは人なり。


「――口上が終わる前にこっちが片付いちゃった」

 謳う林檎Bの前で、すでに少女たちの戦には決着がつきかけていた。

 巨大なジャングルジム。

 タイヤの埋まった砂場。

 バスほどもある幼児用玩具。

 焦げたアルバム。捻り潰された煙草の空箱。

 巨人の児童公園といった趣の冥宮内に、極めて巨大な、毛足の長い獣がうずくまっている。頭上には乱ぐい歯のように歪な光輪が輝いていた。

 巨獣は人に近い形の両手で少女たちをつかんでは、一人ずつ、子どもが人形に怒りをぶつけるみたいに、めちゃくちゃに振り回した。

 被害者たちは意識を攪拌されて、立つこともできず、巨大な砂場へ次々に転がされていった。

「ごめんなさいごめんなさい……」

 少女たちの懇願は理性を失ったイヌ子の心まで届かない。

 巨獣は歯をむき出しにして唸っている。垂れ下がった長い毛並みで顔は見えないが、泣いているようでもあった。

 いったん少女たちに背を向け、もどかしそうに地面を叩いたり、巨人用玩具を破壊したりしている。人に対する暴力のやりかたが分からないのだ。その苛立ちをぶつけている。

 巨獣がふたたびオイランたちへ向き直った。

 やはり怒りの対象は、彼女たち以外にないと気付いたように。

「無理無理……」

「勘弁ッ……勘弁してください」

「……ちゃんとした家に生まれたら、こんなことしなかったのに……」

 少女たちは呂律の回らない状態で命乞いを続けている。

 彼女たちへ狙いを定め、汚れた毛並みの巨獣は爪を振り上げる。

「願い、叶いそう?」

 林檎Bがすぐ側に立って、そう訊ねた。

 イヌ子の動きが止まる。

 掲げた手がだらりと下ろされる。

 獣は途方に暮れたように頭を垂れて、もう動こうとはしなかった。

 涙が立て続けに落ちてオイランたちを濡らした。

「よかったね。あんたはまだ戻れるわけだ」

 自慢のヌンチャクが弧を描いて飛んで、巨獣の光輪を破壊した。

 冥宮が消えると、あとには折り重なって睡るイヌ子たちが残った。

「番付、完了――。そしてやっちまったぜ」

 林檎Bの背後に、冥宮の気配を嗅ぎつけたヘチ子が立っていた。

 倒れた少女たち。匣を手にした林檎B。自慢のヌンチャク。

 到着したばかりのヘチ子がどう判断したかは、訊ねるまでもないだろう。

「やったな――。取り返しがつかない行為だぞ」

 ヘチ子が切紙を抜いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る