プロローグ 出会いの話

「何か困りごとはありませんか?」


 フード付きの赤いコートに細身の黒いパンツ姿の少女。

 ボルトアクションライフルを背負う。腰のホルスターには45口径のダブルアクションリボルバー。

 空虚で穏やかな碧眼を店主に向けた。

 髭面の店主は首を傾げる。


「おぉ噂の何でも屋さんか、んー別に困っちゃいないな」

「人食い狼の駆除でも、片付けでも、買い物でも」

「駆除も都の兵団にまかせちまったんだ。悪いな」

「そうですか。失礼しました」


 何も買わずに立ち去った。

 道を歩くと、向かいの牧場にいる農夫2人の立ち話が聞こえてくる。


「親戚のシェリアから手紙がきてな、半年前、何でも屋がどこからともなく現れて、森を恐れず突っ込んでさ、狩人さながら人食い狼を蹴散らし旦那の形見を取ってきたんだと」

「あの噂か、人食い狼も恐れぬ美女の何でも屋、一度でいいから拝みたいもんだ」


 静かに通り過ぎていく。

 農夫は話を止めて、赤いコートを着た美しい背中を覗いた。


「……まさかな」

「あ、あぁそんなまさか、な」


 お互い軽く笑い、仕事に戻った。


「失礼します! 都から参りましたマッケナ軍駆除班のワイアットと申します!」


 元気の良い、少し震えが交じる声が町に響いた。

 軍服に鍔がついた帽子をかぶったワイアットが、町に到着を知らせる。

 20代前半のワイアットは背筋を伸ばして軍隊式の敬礼をする。

 食料雑貨店から顔を出した店主は首を傾げた。


「やっと来たか、ってアンタ本当に軍人? しかも、1人なのか?」

「はい!!」

「はぁそれはそれは……で、アンタはリボルバーだけで戦うのか」

「へ」


 間抜けな声を出し、確かめるように背中に手を伸ばす。

 見事に空を掴み、ライフル銃のラもない。


「あ……わ、す、大丈夫です! 駆除できます!!」


 豪語した。





 肩を落としてブツブツと不安を零しながら、森に向かう。


「どうしよう……ライアン隊長に手紙を……いや忘れたなんて知られたら今度こそ軍から追い出されるかも」

「どうも新米兵士さん」

「はぁーなんでいつも肝心なときに……えっ?」


 赤ずきんがボルトアクションライフルを手に森の入り口で立っていた。

 思わぬ人物に、口を丸く開け、数秒の間を置く。

 帽子越しに頭を掻き、大きくさせた目で赤ずきんを映した。

 そして、彼女の名前を声に乗せようと息を吸う。

 ほぼ同時に掌が口を塞いだ。


「むぐっ」

「約束、忘れましたか?」

「ぷぁ、ごめん、でも、まさかここで会えるなんて思わなくて……」


 喜ぶ姿に、赤ずきんは空っぽに微笑んでボルトアクションライフルを差し出す。


「え、あの、えーと」

「前に、駆除でお借りした分、今回お貸しします」

「あ、あぁ! いいの?!」


 間抜けな声がよく通る。

 赤ずきんは静かに頷く。


「あ、ありがとうぅ……本当に助かったぁ」


 ライフル銃を受け取ったワイアットは離すまいと握りしめ、真剣な眼差しに切り替えて森を見つめた――。






「え、えぇーと、赤ずきん」


 森の中の茂みを掻き分けながら進む。


「はい」

「駆除は俺だけで平気だよ、あの時の俺とは、もう違う。自分で」

「いえ、大切な銃ですから壊されたり、失くしたりされると困るので」


 微笑みに違和感を覚えつつ、人食い狼が巣食う場所まで進む。


「そっか、そうだよな。なぁ、じいちゃん狼はどうしたんだ?」

「さぁ……どうしたんでしょう」


 空っぽな淡々とした返しに、居心地悪く帽子の鍔を摘まんで位置を直す。

 茂みの中を進んでいくと、途中から獣道に繋がり、草が折れ、足跡がいくつも残っている。


「人食い狼の足跡にしては小さい、他の獣が居るかもしれないから気をつけて」


「縄張り争いをしている可能性もありますね、あとは、そうですね」


 赤ずきんは喋りながらダブルアクションリボルバーを掴む。

 淡々とした動きに、ワイアットは不思議そうに傾げた。

 獣道の外れ、草同士が擦れるような騒がしい音にワイアットは遅れてライフル銃を掴んだ。

 音は一瞬、次には太い牙を剥きだしに涎を垂らした人食い狼が姿を現し、赤ずきんに向かって一直線。

 穏やかな瞳のまま破裂音を轟かせた。

 大きな口に撃ち込まれ、人食い狼は仰向けに転がる。

 ビクビクと痙攣を起こして、数秒も経たないうちに動かなくなった。


「あ、あ……すご、いね」

「自分の命は守れますのでお気になさらず」

「う……うん」


 気を取り直して獣道を辿る。

 すると、道中に急所を噛みつかれて息絶えている人食い狼が倒れていて、ワイアットは状況を掴めずにいる。

 その先、開いた場所に他の木々より太く伸びている樹があった。


「血が、たくさん飛び散ってる」


 土や草を濡らす黒にちかい血液と、樹の根元にぶるぶると震えている何かが見えた。横には、腹を噛み千切られて倒れている四足歩行の狼。

 赤ずきんは碧眼を大きくさせる。


「狼? 小さい……あ、無暗に近づいたら危ないって」


 吸い込まれるように近づいていく。

 ワイアットは辺りを警戒しながら赤ずきんの行動を見守る。

 震えているのは毛が赤く汚れた赤ん坊に近い狼だった。


「…………元気そう、親は」


 隣で口を半開きにして微かな息を漏らす親狼。

 親を求め、精いっぱい喉を鳴らす小さな狼。


「どうして……」


 力なく零した声に、ぴくり、と尖った耳が動く。琥珀の瞳が大きく開き、上体を起こした親狼は、鋭い牙を剥き出しに襲い掛かる。


「赤ずきん!!」


 右腕に太い牙が沈んだ。

 離すまいと噛みつき、我が子を見つめる親狼の瞳孔に、赤ずきんは呆然と目を合わせる。

 遅れて爆裂音が森に響き渡り、親狼の首に穴が開いた。

 だらん、と顎の力がなくなり、真っ赤な体液が土を染めていく。

 小さな狼の悲痛な鳴き声が耳に残る。

 ライフルを背中にかけ、急いで駆け寄るワイアットは声色高く慌てた。


「す、す、すぐに止血する!」


 救急道具が入ったポケットからガーゼと包帯を取り出す。

 小さな狼はワイアットに向かって吠えた。

 右腕にガーゼを当てたいワイアットを邪魔するように暴れる。


「どけって、赤ずきんが、彼女が死んじゃう! どけよ!!」


 涙目になり、震えた喉で必死に叫んだワイアット。

 真っ赤に染まるガーゼをテープで押さえ、包帯で圧迫させて、赤ずきんを抱えた。

 その間も赤ずきんの胸にいる小さな狼はワイアットに吠え続けた……――。






 ――町の診療所へ駆け込んだ。

 他の患者を押しのけて受付もせずに診療室に突入。

 医者と看護師は驚いたが、怪我の状態を見て、すぐ治療に取りかかる。

 縫合し、血まみれのガーゼと包帯を交換。

 感染しないよう薬も注射してもらう。

 その間、小さな狼はワイアットに抱えられているが、暴れて何度も噛みつこうとしている。


「もう大丈夫ですよね、死なないですよね?」

「軍人なら毅然としてなさい。で、怪我だけど経過も診たいからもう少し町に滞在してくれ。いいね?」

「はい……」


 空っぽで穏やかな瞳をした赤ずきんの返事に医者は、ふぅ、と息を漏らす。


「何があったか訊かないが、迷惑かまわず突っ込んできたボーイフレンドに感謝しなさい。命を大切にするんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 静かに感謝を零し、赤ずきんは立ち上がる。


「あ、おい、こらっ」


 ワイアットの腕から離れ、赤ずきんの胸に飛び込んだ。


「まぁいいけどさ、とにかくホントに良かったぁ……」


 力が抜けたように安心する。

 診療所を出た後、町の宿屋に確認を取ると、


「ダメダメうちは動物禁止、狼なら尚更。どんな病気持ってるか分からないし、危険すぎる。悪いけど野宿してくれ」


 拒否されてしまう。


「狩人の部屋に、いや、テントの方がいい?」


 ワイアットは腕を組んで軽く唸りながら提案する。


「そうします。あとは私ひとりで大丈夫ですから、ありがとうございました」

「いや、元はといえば俺が武器を忘れたからこうなったんだ、完治するまで責任持って一緒にいる」

「と、言われましても……ねぇ」


 胸の中でぐるぐる唸る小さな狼を覗き、肩を落とす。


「俺に! 責任が、ある。俺も面倒見させて……それぐらいしかできないしさ。でも、本当に君が生きてて良かった」


 鍔を摘まんで、安心した口調で呟いた。

 赤ずきんは穏やかに微笑む。


「ありがとうございます」

「落ち着くまでの間、都においでよ。色々、考えることもあるだろうから」

「…………」


 小さな狼の顎を指先で撫でると、軽く唸りながらも喉で鳴く。

 キラキラと光る琥珀の両眼。

 赤ずきんは唇をキュッと締めた……――。

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