第六話「空狐の無茶振り」
清華女学園・大講堂――
学園中心に位置し、入学式や卒業式といった式典、生徒総会や講演会等で使用される。
現在その大講堂には、中等部高等部含めた全校生徒が招集され、それら全ての視線は静かに壇上へと向けられていた。
皆がしんと静まり返り、雑談の声も、咳払い一つすら聞こえない。
壇上に立ち、演台の前で皆の視線を一身に受けているのは桜花空狐だ。
凛とした余裕のある堂々たる態度で少しの緊張も見えない。
最初は小さな私語に包まれていた会場も、彼女が壇上に現れた瞬間物音一つなくなった。
ボクと犬童は皆からは見えない舞台の袖でその背中を見守るように控え、空狐に呼ばれるときを待っていた。
「学園長代理の桜花空狐です。皆様、ごきげんよう」
「「「ごきげんよう」」」
生徒たちが一斉に挨拶を返す。
空狐が学園長代理であったという情報は初耳だった。
「……緊張していますか?」
犬童は空狐から視線を放さないままボクに問いかけた。
まさか犬童から話しかけられるとは思っていなかったボクは少し驚いて犬童へ視線を負けると、一瞬だけ犬童と目が合った。
「どうなのでしょう……? このような大舞台に立つことなんて、人生で初めてなのでよくわかりません」
正直に答える。
「大丈夫ですよ」
視線は空狐に向いたままだったが、その言葉ははっきりボクへと向けられていた。
「上手くできなくても、空狐様が全てフォローしてくださいますから」
そこには犬童が持つ空狐への厚い信頼が見て取れた。
「そうですか……。なら、安心ですね」
「ええ」
無表情だった犬童が少しだけ微笑を浮かべた。
「本日皆様に集まって頂いたのは他でもありません。皆様も気になって仕方のないでしょう、特待編入生の件についてのお話があるからです」
「まぁ……」と、静かに聞いていた生徒たちの中からポツポツと、「待ってました」というような意味合いの、ため息や囁き声が聞こえ出し、場がしとやかにざわつき始める。
「三年ぶりに特待試験合格者が出た。と、発表されてからというもの、学園内では特待生がどのような方なのか? という話題で持ちきりでしたね。私もその一人でしたが、桜花さんならご存知では? とずいぶん質問を受けました。ですが、合格された方がどのような方なのか、私自身全く存じ上げておりませんでしたので、困ってしまったものです」
ふふ、と笑いが会場にこぼれる。
「そして、その特待編入生が、本日から高等部二年生として、皆様の新たな友人となります。質問したいこと、聞きたいこと、話してみたいこと、どのような人なのかと、興味は尽きないでしょう。ですが、皆様は淑女たらんと日々自己を研鑽する、歴史と伝統ある清華の生徒です。自身の興味が相手の迷惑とならないように、淑女たる態度で特待生へ接してくれるものである。と、私は信じています。彼女も慣れないことや、皆様に聞きたいこと、頼りたいことがあるでしょう。そのような時には、先達として、友として、そしてなによりも淑女として、その手を差し伸べてくださることを、私は願い、信じています」
一旦区切って辺りを見回した空狐は、生徒たちの反応を見て再び口を開いた。
「では、ここで特待編入生より、皆様へのご挨拶がありますので、温かい拍手でお出迎えをお願いします」
空狐は舞台袖に控えていたボクに向かって招くように片手を広げた。
「姫草ユリコさん、こちらへ」
「……ふー」
深く深呼吸をして、背筋を伸ばしゆっくりと壇上へと向かう。ボクの姿が生徒たちに見えたとき、割れんばかりの拍手が会場を包んだ
「まぁ……」
「なんて素敵な方なのでしょう……」
「美しいですわ――」
「キレイな方ですわね……」
「あの髪色、どこの国の方なのでしょう?」
様々に洩れる囁きを聞きつつ空狐の横に立つ。千を超える好奇に満ちた視線が一斉にボクに向けられている。
このような大人数の前に立つことなど人生で初めてだ。緊張なのか高揚感なのかよくわからない感情が少しだけ心を乱す。
「大丈夫だよユリコ、こんなことキミには朝飯前だろう?」
空狐がマイクに入らぬよう小声で話しかけてくる。
「それは過大評価なのではありませんか桜花さん? そもそも一従者が、こんな大人数の前で話す機会があると思いますか?」
「現に今あるじゃないか。大丈夫。キミの小粋なトークで皆を笑顔にしてあげてくれ」
「無理です」
「顔が笑っているよ」
「貴女のせいですよ」
軽い冗談を言いあって空狐の位置と入れ替わるように演台のマイクの前に立ち、生徒たちを見回した。
好奇、敬意、敵意、好意、様々な感情を持った視線が自分に注がれている。息を吸い、精神を律す。
これ以上ないほどにこの学園内で目立ってしまっているのなら、それを利用するように立ち回ればいい。
今一番の悪手は彼女らがボクに抱いている感情・想いに応えられないことだ。そうなればきっと彼女らは落胆するだろう。そして意識的にせよ無意識にせよ、ボクに反感を抱く敵となる。ならばそうならないよう立ち回らなければならない。
皆が特待生に抱いている感情は期待だ――
どれほど凄い人なのだろう、予期せぬ驚きを、刺激を与えてくれるのだろう? と。外から来たボクがもたらすであろう未知への期待、良き刺激の希求。それに応えるよう振る舞えばいいだけだ。
「温かい拍手ありがとうございます。只今ご紹介に預かりました、英国はシェフィールドより参りました、エリナ・バートリー伯爵の従者、姫草ユリコと申します。私は孤児出身であり、十歳の頃主人に引き取っていただいて依頼、英国のバートリー家のお屋敷で、住み込みの従者として働かせていただき、スクールにも通わせていただききました。皆様も気になられているでしょうこの白い髪は、孤児時代に罹った病のために、このような色になってしまったのです。清華学園には、主人の厚意で通わせていただけることになりました」
一旦言葉を止めて周囲を観察する。ボクが使用人階級と知った生徒たちがどのような反応をするのかを。
「この学園に最初の一歩を踏み入れたとき、私は校内に咲き誇る満開の桜たちに、その美しさに心を奪われました。そして舞い散る花びらと共に心が踊りました。なんて美しい。なんて幻想的なのだろう……。と。私は、それらの美しい光景が、この学園で私を待っているであろう、未来を指し示してくれているように思え、いったいこの先には、どのようなきらめく世界が待っているのだろうか? と、この胸は高鳴りました。今もまた、皆様という美しく清廉な花々を前に、予め用意し、何度も練習した口上が頭から消えてしまいました。淑女たらんと日々努力され、その大変な苦労を表に出さず、淑女として振舞われている皆様の姿は、私の目には、まるであの校庭の桜のように目映く、美しく映っているのです」
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