清き少女
清き少女
「はぁー素敵。エジプト王にもっとも愛された女性か~」
エジプトの首都カイロにある、カイロ大学。エジプトを代表する名門大学だ。
その図書館で、一人黙々と本に目を走らせる女子生徒がいた。彼女の名前はエリカ・パレルモ。
エジプトに惚れ込んだイギリス人の父と、教師をしているエジプト人の母から生まれた。
考古学者の父に触発され、現在は考古学科に所属している。彼女は大変勉強熱心で毎日図書館に入り浸り、古代エジプトについての参考書を読み漁っていた。
ふとその時、携帯のバイブが鳴り着信を知らせた。
ーー父からだ。
それは帰宅のサイン。彼女は素早く本を閉じ、荷物をまとめ、図書館を後にした。
「もしもし、パパ?」
『エリカ、まだ大学にいるのか?』
「えぇ」
『じゃあ、いつもの所で待ってるから早く来なさい』
エリカが毎日遅くまで図書館にいることを知っている父は、こうしていつもエリカを大学まで迎えに来ていた。
大学の門を出て左側に停められた古めかしい黒い車。エリカは慣れた手つきで、その艶やかなドアに手を掛けた。
「パパ、ただいま」
『おーエリカ、お帰り』
父親のマークはいつものように娘に柔らかい笑顔を向けた。
「今日は何か見つかった?」
「いや、今日は何も…」
二人で帰る時、エリカは必ずマークに発掘の様子を尋ねるのが日課であった。
マークは今、ピラミッドがあるギザの発掘現場で進められている発掘に従事していた。
「そっかぁ…何もなかったんだ」
「エリカ、お前は本当に考古学が好きなんだな」
マークは落胆を隠せていないエリカとは逆にニコニコとした表情で彼女を見た。
「そりゃあ、この家庭で育てば誰だって考古学が好きになるわ!」
マークはエリカが小さかった頃、仕事から帰るとすぐにエリカのもとに向かい、絵本の変わりに古代エジプトの本を読み聞かせていた。
「まぁ、そうだな。メディナも考古学が大好きだしな」
メディナとはエリカの母親のことだ。彼女も教師をしながら趣味で考古学を学んでいた。
「ママとも考古学がきっかけで出会ったんでしょ?」
「あぁ、エリカのママは昔から凄い美人だった。考古学がきっかけというか、パパの一目惚れだな」
確かにママは娘の私が言うのは何だけど、かなりの美人だ。若い頃は道を歩けば誰もが振り向いたって言ってた。まぁ、ママにベタ惚れなパパがだけど…。
「ねぇ、パパ。今度の休日に家族でアブシンベル大神殿に行かない?」
アブシンベル大神殿とは、ラムセス二世が建設した神殿であり、その隣にはラムセス二世が最愛の妻ネフェルタリのために建設した、アブシンベル小神殿もある。
「アブシンベル大神殿?
急にどうしたんだ?」
「今日ね、ネフェルタリについての本をずっと呼んでたの!そしたら無性に行きたくなっちゃって!!」
「そうか…。よし、メディナにも聞いてみよう」
「ありがとう」
パレルモ家は、マークが家族を大切にしていることもあり、非常に仲が良い家族だ。休日には必ず家族で小旅行に出かけていた。
「ママ、ルーナさん、ただいま!」
カイロ郊外に立つ、ちょっとした豪邸がパレルモ家だ。マークとメディナの希望で余り目立つような建物ではないが、品が漂う優雅な洋館である。
父マークのイギリスの実家が大層裕福な家庭であったので、必然的にパレルモ家も裕福であった。
ルーナさんとは、マークが小さい時からお世話になっているパレルモ家のお手伝いさん。マークがエジプトに移住する時に、共にイギリスからやって来た。
「マーク、エリカお帰りなさい」
「旦那様、お嬢様お帰りなさいませ。」
母メディナは、ワインレッドのワンピースに身を包み、エントランスに出てきた。後ろに立つルーナさんはイギリス人の品の良さそうなおばさんだ。
「アリは帰ってますか?」
エリカはいつものように抱き合い熱い口づけを交わす両親を見て、呆れ顔を浮かべながらルーナさんにそう問いかけた。
「お坊っちゃまならもうすぐ帰られますよ。先程そう連絡がありましたから」
アリとはエリカの三つ下の弟で、今は高校生だ。
「そうですか」
ーーあいつ最近遊んでばっかりだな…。
アリはお母さん似の美形で、地味なエリカとは正反対のプレイボーイだ。
エリカは自分の容姿に少しばかりコンプレックスをもっており、アリの華やかな顔立ちを羨ましく思っていた。
「そういえばエリカさん、トレール様からパーティーの招待状が届いていましたよ」
「え?トレールから!?」
トレールとは大学の男友達で、エリカが密かに思いを寄せている人。
男らしい整った顔つきに、女の子が大好きな甘い笑顔の持ち主。しかも彼の父親はアラブの石油王なため、実家はかなりのお金持ちである。近づきたいと望む者は星の数程いるであろう。
そんな彼の住むお屋敷で開かれるホームパーティーは豪華絢爛だと大評判で、そこにお呼ばれされるなどエリカにとっては夢のような話であった。
「何を着て行こうかしら…!」
「そうですね、あれ程のパーティーに行かれるなら、極上のドレスをご用意しなければいけませんね」
「えぇ。ルーナさん、明日にもドレスを買いに行きましょ!」
そう言って目を輝かせるエリカにニコニコと暖かい笑顔を向けるルーナさん。
「…どうしたんですか?」
黙って笑顔を向けるルーナさんにそう問いかける。
「お嬢様のそんなに嬉しそうな顔を見るのが久しぶりで、つい私まで嬉しくなってしまったんですよ」
「そ、そんなに嬉しそうでしたか?」
エリカはすぐに気持ちが顔に出るタイプで、嘘をついてもすぐに見破られてしまう。それを実感し少し焦るエリカであったが、愉快そうに笑うルーナさんに、墓穴を掘りそうで何も言えなくなってしまった。
「じゃあ私は部屋に上がりますね」
「お食事はよろしいんですか?」
「大学で済ませて来たので」
「そうですか。では、お休みなさいませ」
エリカはルーナさんの笑顔を背に階段を登り自分の部屋に向かった。
それから一時間程経った頃、エリカが部屋で読書をしていると、トントンという音とともにドアが開いた。
「姉ちゃん、ただいま」
「あ!アリ!」
ドアの方に目を向けると、開いたドアの隙間からアリが顔をのぞかせていた。
「遅かったわね」
「んー。ちょっとね。それより、ルーナさんに聞いたよ。トレールのパーティーに行くんだって?」
アリは綺麗な顔を少し歪ませて、そう言葉を続けた。
「えぇ…行くけど。それがどうしたの」
「姉ちゃんのことだからどうせ呑気に浮かれてるだろうと思って、忠告しに来たの」
「忠告?」
「まさかとは思うけど、あいつのことが好きとかないよね?」
「え…」
エリカはアリの問いかけに、一気に顔を赤らめた。
「はぁ…。そのまさかか」
「……」
エリカはすぐ顔に出てしまう恥ずかしさとやるせなさで、何も言えなくなり、黙って俯いた。
「あいつはやめなよ。あんな遊び人に本気になっても姉ちゃんが惨めな思いをするだけだ」
「遊び人?」
「あぁ。しかもかなりの。
あいつがホームパーティーに呼ぶ女は、あいつに狙われてる女だって、有名な話だよ。姉ちゃん知らなかったの?」
ーー私が、狙われてる?
「っ、え…」
狙われているという言葉で、ボンッと音が鳴りそうな程一気に赤面してしまうエリカ。
「はぁ…。これだからほっとけないんだよ」
アリはエリカに聞こえない程小さな声でそう呟き、ため息をついた。
「とりあえず、パーティーには行くなよ?」
「え!嫌だよ、私行きたい!」
「ダメだ。あんな遊び人…」
「トレールはそんな人じゃないわ!それに、アリだって遊び人じゃない!」
「なっ、姉ちゃんは何も分かってない」
エリカの頑固な態度に、アリは呆れたような表情で再びため息ををついた。
「もう!いいの、私はパーティーに行くわ!
さ、アリは出てって!」
そう言ってエリカは、不満顔を浮かべるアリを構わず部屋から押し出した。
ーーもう…アリの馬鹿。
優しい笑顔を浮かべているトレールの姿しか想像できないエリカは、トレールが遊び人だとは欠片も思っていなかった。
エリカにとってトレールとは、優しくて、親切で、誰にでも平等に接する聖人のような人物であった。実際トレールは、地味めなグループに属するエリカにも積極的に話しかけてくれていた。そんなトレールが遊び人だなんて、信じられるはずがないのだ。
結局その日は、ベッドに入ってからも、アリの言葉とトレールの笑顔が頭の中でぐるぐると回り、しばらくは混乱して眠ることができなかった。
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