-卒業- アフリカDT

井荻のあたり

これは昔の話。今は知らない。

 1998年12月13日。

 スペイン最大級の貿易港アルへシラスから、ジブラルタル海峡を渡るフェリーに乗った。初めてのアフリカ大陸。気分は高らかにアフリカDT卒業しまーっす。


 モロッコの港町タンジェまではたった1時間の船旅だ。とても良い気候だったのでデッキに出ていると、日本人の青年と知り合った。地球上、いついかなる場所においても、日本人と出会わないことの方が珍しい。彼は25歳くらいだっただろうか、唯一の荷物であるバックパックの中身は、ぎっしりと音楽CDが詰まっていた。数百枚はありそうだったが、(本人は自分で聴くためと言ってはいたが)どこかに売りさばくルートでもあったのかもしれない。


 タンジェ港に着きフェリーを降りると、途端に大勢の男たちに囲まれた。

 ガイドに雇え、いや俺をガイドに、いや俺だ俺だ、と大変な騒ぎになる。

 まだ入国審査もする前だというのに、なんだこれは。なんで入管の内側に現地の一般人がこんな当たり前に大手を振って観光客を取り囲みに来てるのだ? 少なくとも税関を越えて入国した途端にこれならまだわかる。だがまだ入管前だぞ。入国さえしてないんだぞ。


「この国はめちゃくちゃ危険だからガイド無しでは一歩も歩けないぞ。お前は俺が守ってやる。俺を雇え」

「いや俺だ」

「俺だ」

「俺だ」


 そしてだ、困ったことに、ガイドを断ると、次のセリフは「殺すぞ」、だ。

 I Kill You!

 殺す殺す殺す。雇わないなら俺がお前を殺してやる。

 口々にみんなで殺してやると喚く。

 もう一度言うが、入国審査もまだなのに。


 ええい、とにかく入国審査を済ませようと無理やり歩き出す。少し動いたところで、日本人の若い女性が二人、男たちに円柱に押し付けられるように追い詰められ、一歩も動けない状態でいた。

 あらまぁ、しょうがないな。


 ぼくは彼女たちとガイド(?)の間に割って入った。

「殺す」「殺す」「殺す」「殺す」

 はいはい。

 「お姉さんたち、泊まる宿とか決まってんの? とりあえずそこまで送っていくよ?」


 こちらは船で知り合った青年も含めて4人になった。男たちに殺す殺すと背中に叫ばれながら街に出た。


 びっくりしたなぁ。街行く人々はまるであいさつのように、

「ガイドに雇え」「殺すぞ」と言う。小さな少年まで言う。老人まで言う。

 港近くのバックパッカーズに宿をとったが、そこの主人まで「俺をガイドに雇え」「殺すぞ」と言った。


 ここまで一緒だったCD青年は疲れ切り、もう寝る、とベッドにもぐりこんでしまったので、ぼくは一人で街に出た


 なんか酒場の二階の飯屋で腹ごしらえをしたんだった気がするけれど、案の定、また若い男が「ガイドに雇え」とぼくのテーブルの向かいに座った。

「いや、別にガイドは要らんよ」

「So、ファッキン仏陀!」

 おお? こいつ別バージョンで攻めてきた。一瞬で周囲の空気が張り詰めるのがびりびりわかった。


 ははぁん、返す言葉で言って欲しいんだな、ファッキン〇〇〇ってさ。全員で一人迷い込んできた観光客を、自分たちの神様を汚すようにと誘導しといて、袋叩きにして楽しみたいんだ。はあん? みんな待ってる待ってる。卑怯者どもめ。


「ふん、ファッキン仏陀って、お前、ブッダになんかされたの?」

「ブッダなんて知らねぇ。仏教徒なんてクソだ」

「ブッダってさ、神様じゃなくって、人なんだよね。昔の人。今の国籍で言ったらネパール人。で王子様。昔のネパール人の王子様にファッキンて、俺に言われてもよお、俺べつに仏教徒でもねえからブッダがファックならそれでいいけど、でもお前、俺自身にケンカ売ってんだよなぁ? んじゃ言ってやろうか? ブッダはどうでもいいがな、てめぇがファックだ」

 と、それで一人でぼくに殴りかかってくる度胸はやつにはなかったのでそれで終了。


 ま、アフリカ最初の国モロッコ、最初の街タンジェ、最初の夜はこ~んな感じで、翌日にはカサブランカを目指して出発した。揉めた街は即、離れないと、宿にいたって襲撃される危険がある。その足で街を離れなかった時点でヤバい時はヤバいから、その頃はイスラム教の断食月、ラマダンの真っ最中というタイミングに助けられたのかもしれない。


 それから数年後……てか十年くらい経ってた頃だったかもしれないが、地上波テレビで、モロッコに関するニュースを見た。

 モロッコの観光業が大打撃を受けている、というものだった。モロッコを訪れた旅行客のおよそ50%が到着した便の次の便で帰ってしまうので、観光収入激減でたいへんだという。


 経済損失が莫大なのでモロッコ政府が対策に乗り出すということだったが、乗ってきた飛行機の次の飛行機でやっぱ帰る、て、何? やっぱり国際空港ででも、飛行機降りたら入管にたどり着くより先にガイドに囲まれ殺すぞ殺すぞってやられてたって、そういうこと? 知らんけど。


 でも二人に一人がたぶん空港から出ることもなく次の飛行機で出国するって、それツアー以外の個人旅行客のほとんどがそうだったのかもしれないと思うとすげーことだが、あの国じゃあさもありなん、と思ったものだ。


 モロッコでぼくはマラケシュまで行ったことは確かだが、カサブランカもマラケシュも、街に関する事柄のほとんど何にも覚えていない。記憶にあるのは、ガイドガイド、コロスコロス。

 立ち寄ったどこの町でもそればっかし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

-卒業- アフリカDT 井荻のあたり @hummingcat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画