第6話
しばらく歩いて、公衆電話に入った。交換手に隼人を頼むと、保留音がしばらくなった後、再び交換手の声が戻ってきた。
『現在本宮は席を外しております』
「いつもどる」
『こちらではわかりかねます。折り返すようにお伝えしますか』
しばらく考え、交換手の申し出を断り、受話器を置いた。再度受話器を持ち上げ、電話をかけた。
『はい』
聞き取りずらい低い声だった。
「文護だな。大原だ」
『お疲れ様です。何かありましたか』
「摘発があった日の宮村一家の動きはどこまで調べてある」
『はい。その日はシマのみかじめを徴収した後は目立った動きはなかったようです』
「どうやって調べた」
『ヤツラのシマの近くの連中に聞いた程度です。すみません』
直接宮村一家のシマに乗り込んでの調査は同業の西村組には難しいか。
「わかった。やつらのシマはゴールデン街だったか」
『ええ。そこはほとんどが宮村一家のシマです。徴収もそこでおこなわれています』
文護はそのまま、みかじめを払っているいくつかの店の名前を挙げた。
「わかった。切るぞ」
『はい。お気をつけて』
受話器を置き、外に出た。新宿ゴールデン街は歌舞伎町の東に位置する闇市に起源をもつ街だった。
狭い区画にいくつもの木造の建物がほぼ隙間なく建つ場所で、そのほとんどが飲食店だった。大原は三番通りから、花道通りを抜けて新宿ゴールデン街に入った。
文護から聞いた店の一つ、『バー・ピロ』はG2通りを少し入った木造二階建ての建物の一階にあった。
「あんた、ここのマスターか」
店の窓を拭く男に声をかけた。
「ああ。あんたは」
「署の大原だ」
「お巡りさんか。何の用だい」
「一昨日の夜について聞きたいことがあるんだ」
マスターは手を止めて周りの様子を伺って言った。
『中に』
マスターに促されるままにバーの中に入った。バーは開店時間にはまだはやいためか、椅子はすべてカウンターに乗せられていた。
「困るよいきなり」
「なにかあるのか」
「ここは宮村一家のシマってのは知ってるんだろ」
「ああ」
「んだら、もし俺がお巡りさんと話してるのが見られて、一家の誰か捕まってみろ。俺ゃ殺されちまうよ」
マスターは大仰な態度で言った。
「一家は一昨日の夜、何かひっぱられるようなことをしたのか」
「いやいや。あくまで噂だよ。なんでも、若頭やったのは一家が雇った殺し屋だって」
「聞かせてくれるか」
「ああ。なんでも、みかけない男女が摘発の日うろついてたって」
「見た目に特徴はあったか」
「いや、おりゃ見ちゃいないから……見たってやつが後でウチにくるから会うか」
「ああ」
それからしばらく、マスターと会話を続けた。一家は最近めっぽう強いやつが増えてきたんだよ。ふぅん。なんでも銃弾くらってもびくともしないんだとか。たいしたもんだな。信じてないな。ああ。他にも――。そんな世間話を一時間付き合ったところで、バーの扉が開いた。
「まってたよ」
「わるいわるい」
マスターの声に応えながら男が入ってきた。
「お前は……」
扉を閉め、振り向いた顔には見覚えがあった。違法風俗店の受付をしていた男だ。たしか名前を川井といった。
「やすちゃん……俺を捕まえに来たのか……」
大原に気づいたとたん、川井は後ずさった。
「違う。今日は別の件でマスターに話を聞きに来ただけだ。そもそも、お前がここに出入りしているのも今はじめて知った」
「そういって、捕まえようってんだろ……」
川井は追い詰められた動物のように姿勢を低くしたが、大原はそんな態度に目もくれなかった。
「あのとき逃がしたのは俺なんだ。今さらひっぱる気はない」
大原の一言で男は姿勢をもどし、それもそうか、と川井は続けた。
まぁ、ひっぱる気があってもいまじゃできないんだがな。
「なんだぁ、あんたら知り合い」
「少しな」
大原そう言って、寄りかかっていたカウンターから椅子をおろして座った。川井もそれに倣うようにして椅子に座った。
「噂の男女を見たってのはコイツか」
視線だけをマスターに向けた。
「ああ。川井さんよ、このお巡りさんが、こないだの人の話を聞きたいって」
視線を川井に戻した。川井は鬼の首でも取ったように自慢げに語りだした。
「見たよみた。やすちゃんに手帳出されてすぐにビルをから出てったんだよ。そこらじゅう物々しい雰囲気でさ。怖くてとにかく走ったのよ。ここに逃げ込もうと思ってさ。そんで花園通りを区役所通りの方に抜けたくらいでさ、ひととすれ違ったんだよ。そいつらがなんかゾッとするような奴らでさ。なんて言うのかな。すれ違っただけで背筋が凍ったっていうか、なんか驚くほど無駄がない、なさすぎたのかな。なんか、この世のモノじゃないって感じがしたんだよ」
身振り手振りを使って川井は仰々しく語った。
「それは男と女、どっちもそうだったのか」
「どっちもだよ。女の方は特に変な感じだった。それでソイツらの向かった先で西村組の若頭が殺されたわけだろ。もう絶対そいつらがやったんだよ。きっと宮村一家が雇った殺し屋に間違いないね」
話半分にも満たないな。しかし、話の男と女については気になった。
「その男女の見た目の特徴は何かあるか」
「男の方は身長が高かったな。たぶん一八〇はあったんじゃないかん。真っ黒いワイシャツに真っ黒いスーツ、真っ黒いダブルのチェスターコートを着てたよ。女の方は男の肩より低いくらいだったと思うから、一六〇後半とか、一七〇とかなのかな。コイツも真っ黒いスーツで、ダブルのコート。コートの上に真っ黒いポンチョを着てたな」
「顔は覚えてるか」
「覚えてる覚えてる。男の方はちょっとハーフっていうか、少し外人っぽかったな。女の方は百パーセント日本人って顔だったが静かそうで美人だった」
「そうか」
男女の特徴をメモに記した。
この男女が三木殺害に関与しているかはわからない。しかし、今後の糸口をつかむ可能性にもなりうる。大原はしばらく考え、メモ帳に文護の電話番号を書いて川井に渡した。
「もしその男女を見かけたら、すぐにその番号にかけてくれ」
「これあんたの番号か」
「いや。俺の知り合いのだ。話せばわかるようにしておく」
「……」
川井はメモを見つめたまま動かなった。
「協力するなら店で働いてたこと、忘れてやってもいい」
男は顔をあげた。
「わかった。すぐ連絡するよ」
男は大事にメモを上着のポケットにしまい込んだ。
「川井、もうひとつ聞きたい。摘発のあったあの日、マコを見なかったか」
「あんたも好きだね。なに、なんかあったの」
「マコはあの日から行方不明になってる」
「まぁ摘発がありゃ潜るのも当然よ」
「まぁな。じゃあ、見てないのか」
「見てないどころか、マコが行方不明なんてのも今はじめて知ったよ。とはいっても、他の女たちの事もしらないけどね」
マコの手掛かりはなかなか見つからないな。
「マスターあんたにも、噂の話で逸れたが、摘発のあった日の宮村一家の動きに何かなかったか」
「いつも通り、街見回って金集めて帰ってったよ」
「そうか」
こっちも特になしか。
「わかった。長く居座ってわるかった」
「いいよいいよ。落ち着いたら、客として来てくれよ」
マスターの言葉だった。
「ああ」
扉をあけたところで、川井にくぎを打った。
「川井、頼むぞ」
川井は任せろと言わんばかりにのけぞった胸に拳をあてた。
バーをでると、遠くに日が浮かんでいた。腹の虫も鳴きだすころだが、今得た情報を西村組に共有したかった。
ゴールデン街を出て、公衆電話を目指して歩いていると、文護が目の前を走っていった。
「おい、何かあったのか」
「シマが荒らされています」
文護は大原をみとめると、一息で言った。
「すぐなのか」
あそこです。そう言って文護が指さした先はすぐの喫茶店だった。向かいからも何人かスーツの男たちが集まってきていた。
「大原さん、あなたとは協力関係にありますが、あくまでカタギさんです。何かあればお伝えしますので、ここは」
シマ守るのにカタギが紛れていた、警察が紛れていたなんて噂が広まれば西村組の看板に傷がつく。
文護に先ほどのメモを渡し、大原は踵を返そうとした。そこでガラスが割れる乱暴で甲高い音がひびいた。見ると、スーツの男が反対側の店にうずくまっていた。店内から投げ飛ばされたようだった。うずくまっている男は動かない。
「店内で殺れ!カタギさんに迷惑はかけるな!」
集まってきた組の連中に文護が言った。その声と共に、男たちは店内になだれ込んだ。銃声が何発か響いた後、店から音がしなくなった。
「やりすぎじゃねぇのか」
大原はぽつりと言って踵を返した。白昼堂々の発砲事件。恐らく相手方は死んだのだろう。これだけの事があれば警察も動かざるを得ない。
極力私は一家を潰さないように動きたいのです。
大田原の言葉が浮かんだ。これじゃ、どっちも潰れちまうぜ。
道路に唾を吐いた。
そこで後ろからうめくような声があった。その声に呼ばれ振り向くと、倒れている文護や組の男たちが目に入り、次に入ってきたのは強烈な痛みだった。
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