The Created One 0

潮田晴嗣

第0話

彼の者、万人のために鉄を打つ


彼の者、正義のために心を打つ


彼の者、万人のために剣を振るう


彼の者、正義のために剣を振るう


故に正義は此処にあり



これは、神を導いた「均衡を保つもの」の不死を廻るめぐる前日譚prequel



――一九九×年 十一月 新宿署 ある一室


「ふざけやがってぇ!」

 大原おおはら安頼やすよりは三人の男に殴りかかった。勤めている新宿署からの突然の異動に、納得がいかなかった。


「ぐわっ!」

 殴られた一人が壁にふっとんでいった。


「この野郎!」

「せっかくむかえに来てやってるのによお!」


 残る二人が大原に向かいあった。


 この三人は大原の異動に際して、送迎のために出向いてきていた。


「だれが頼んだんだよぉ!」

 左に立つ男におもいっきり右ストレートをたたきつける。


「舐めるな!」

 男はストレートをかわし、大原の腹に膝をさした。


「げふっ」

 大原の身体はくの字に折れたが、すぐに姿勢を戻された。もう一人の男が大原をはがいじめにしたからだ。

 うしろから憎たらしい声が聞こえた。


「お前はもう警官じゃないんだよ」

 うすら笑うような気配も含まれていた。


 それに呼応するように、前の男も口を開いた。


「そうだ。お前はもうマッポじゃねぇ!」

 再び深くひざをさしこまれる。


「ぐっ」

鋭い痛みが走り、次いで吐き気がおそってきた。


「おい、俺にもやらせろよ」

 声のほうに目をやると、最初になぐった男がよろよろと立ちあがり、こちらに近づいてきていた。


 男は大原の髪をつかみ、顔をちかづけた。

「さっきはよくもやってくれたな。お礼してやんなきゃいけねぇな」


 ほかの男たちを見て、男は嘲笑の目をむけてきた。


「威勢がいいのは最初だけか。おい、なんとかいってみろよ」

 男は大原の頬をぱんぱんとたたいた。


「――――だ」


 大原は言った。


「あ?きこえねえよ。もう喋れなくなっちまったか」

 男たちは笑い声をあげた。


「なあ、もういっかいいってくれよ」


 男が大原の口元に耳を近づけた。次の瞬間!


「俺は警官だ!」


 叫びと共に、男の耳をおもいッきりかみちぎった。


「うぁぁぁ!おれの!おれのみみがぁぁ!」

 男の耳はうえからちぎれ、みみたぶのつけねあたりでぶらぶらと垂れ下がっていた。


「この野郎!」


 前の男が右ストレートを投げ出してくる。

 大原はこれに対して、ドロップキックをあびせた。


「うっ!」


 前の男はたおれ、はがいじめをしていた男はキックの反動でしりもちをついた。そこでようやく拘束から解放された。


 大原はしりもちをついた男を見下ろした。


「よお、さっきの言葉、もういちど言ってみろよ」

 

 男は怯えながらに答えた。

「ほ、ほんとうのことだろう!もうお前は異動が決まってんだ。もう警官じゃねぇ!」


大原はその言葉を聞いた瞬間、男の鼻っ面に振り子のような蹴りを力いっぱいくらわせた。男の鼻はまがり、鼻血を首まで流して倒れた。


 のこる二人に向き直って大原はいった。


「おい、お前ら。自分たちんとこ戻ってよぉ、こう言ってくれ。『大原さんは立派な警官だからうちに異動だなんてなにかの間違いです』ってよ」


 ドロップキックをくらった男が刺すような目を向けてきた。


 まだやろうってのか。


 にらみ合いがあり、どちらかが倒れるまで続くと思われたこの揉みあいは、しかし突如として終わりをむかえた。


「お前ら!さっきからなにやってる!」


 部屋に入ってきたのは友人の本宮もとみや隼人はやとだった。


 ネイビーのスーツに黒いステンカラーコートを着ていた。スリムな体系にスーツがよく似合っていた。身長は大原よりいくらか高く、一七〇後半といったところだった。

 隼人を見たとたん、男たちの表情が変わった。


「も、本宮さん。どうしてここに……」

 男たちはさきほどの威勢はつゆほどもなく、おびえたようすに一変していた。


「そこでのびてるヤツひろってさっさと帰れ」

 隼人は鼻血のおとこを見て言った。


「でも、コイツの異動が……」

 男の一人が大原に目をやった。ドロップキックをくらった男だ。もう一人は鼻血の男をかかえ、今にも部屋からでたいといった具合であった。


「今日つれてこいと……」

「ここは新宿署だ。これ以上いすわるってんならこの部屋の一件でひっぱってもいいんだぞ」

 男たちはその言葉を聞いて、一目散にとびだしていった。

 


「派手にあばれたみたいだな、安頼」

 隼人の声はさきほどまでとは違い、やわらかなモノにもどっていた。


「ああ。お前が来なかったら危なかったよ」

「ほんと、変わらないな」

 隼人は笑った。


 隼人とは中学からの付き合いだった。高校を卒業してすぐに大原は警察に入り、隼人は大学を卒業してから、キャリア組として警察に入った。


 お互い職場で顔を合わせる機会はすくなかったが、月に一度は飲みに行くようにこころがけていた。しかし、隼人の昇進にともない、会う頻度は少なくなっていた。   

 実に一年ぶりの再会だった。


「しかし、なんでお前がここにいるんだ」

 最後にあったときは、どこか地方に転属されると聞いていた。キャリア組は警部補昇任後、本庁で二年間勤務する。その後、中央と地方の行き来を繰り返しながら昇任していく。

 戻ってくるにはいくらか早い気がした。


「ああ、実は本庁勤めになってな。少し前から戻ってきてたんだ」

 大原は驚いた。20代後半で本庁に戻れるのは異例な気がした。

「すごいな。本庁に戻ったなら、もう警視は超こえてんのか」

「いや、それがまだなんだ」


 隼人の方をみると、そのうしろに時計があることに気づいた。


「なあ、今何時だ。あの時計こわれてやがる」

「もうすぐ二十時になるころだな」

 隼人は腕時計に目線をおとしていた。


 まずいな。あまり時間がない。


「いくのか」

 隼人は腕時計から目線をもどし、大原を見た。


「……ああ」

「こんなこと言いたくはないが、今日の摘発からお前はもう外されてる」


 隼人のいう摘発とは、今日の二十時三十分から行われる、違法風俗店とそこにつながる闇金屋の同時摘発のことをさした。


「今日の事はほかの奴らにまかせて、お前は異動の準備を――」

 

 隼人が言い終わる前に大原は部屋をとびだした。

 うしろで隼人の呼ぶ声が聞こえたが、いまは気にしていられなかった。


 大原は新宿署から西武新宿駅の高架下をぬけ、歌舞伎町へはいった。そこらじゅうにネオンがひかり、下品な笑い声とアルコールが大気に充満していた。

 男も女もこれ見よがしに着飾り、日中稼いだ金を今夜使い切らんとばかりにみな意気込んでいた。


そいうった人間を横目にみながら、大原はコインロッカーからアタッシュケースを取り出し、違法風俗店へ向かった。


 店は雑居ビルの四階にあった。一見するとただのレンタルルームだが、合言葉を受付に伝えると女を紹介される仕組みだった。紹介される女の中には未成年が紛れていることもすくなくなかったし、本番行為も横行していた。


 雑居ビルに着き、エレベーターにのりこんだ。四階でとびらが開くと、風俗店特有のあまったるいにおいがはなに差しこまれた。精液のにおいをごまかすためのものだ。


 受付は手もとのみがあいており、それ以外はブラインドでお互いやんわりとしか見えないように工夫されていた。


「お、やすちゃん久しぶりだね。半月ぶりくらい?うちの女の子全員指名しきったと思ったら突然いなくなっちゃうんだもん」

 受付の男はブラインド越しに陽気なこえをあげた。受付におかれた時計に目をやった。


「ああ、そうだな。マコは出勤してるか」

「ああしてるよ。最近人気なんだよこないだも――」

「はやくしてくれるか」

 大原は言葉をさえぎって言った。男は少し驚いたあと、すぐに部屋のカギをてわたした。


「この部屋じゃダメだ。一番奥の窓際の四〇六号室にしてくれ」

「いまそこは清掃中だよ」

 しかめた声色がかえってきた。


 スラックスのヒップポケットから警察手帳をひきぬいてみせた。ブラインドごしに、男が青ざめるのが見えた。


「黙ってきくんだ。ここはあと数分で摘発される。四〇六号室に一分以内にマコをよこせ。でないとこの場でおまえにワッパをかける」

 男はだまって部屋のカギをわたした。


「いそげよ」

 そう言い残して部屋に向かった。


 清掃員たちにも手帳を見せて退散させた。


 部屋に入り窓から通りをみた。

 間に合うのか。


 考えているとうしろでノックが鳴った。

「ひさしぶりだね」


 扉を開けると、源氏名でマコと名乗る女が早くも到着した。


「ああ」

「なんか受付の人すごい焦ってたみたい。なんかあったの」

 説明している時間はなかった。手帳を女に見せた。


「黙ってきいてくれ。ここはもうすぐ警察がおしかけてくる。このアタッシュケースをもって、そこの窓から逃げろ」


 窓からはとなりのビルの屋上がすぐそこにみえた。

 狭い土地にいくつもビルが立ちならぶ、都会ならではのモノだ。


 大原は部屋のキャビネットを窓に投げつけてガラスを割った。すぐま下から叫び声が上がったが、気にしなかった。大原はベッドにおかれたタオルを拳に巻き付け、人がとおれるように穴を調整した。


「あんた、いったいなんなの……。このケースはなに?」

 困惑した女の声がうしろであがった。


「俺はこの店の女全員を指名した。指名したのは働いている理由をきくためだ。聞いていって、ここの女たちは全員闇金屋の債務者だとわかった」


 金を借りる際に書類に住所や家族の情報を記載させ、返済できない女にはこれを脅しの材料として使い、風俗に誘導する仕組みだった。


「だが、女たちのほとんどが遊ぶ金欲しさや、ホストに貢ぐために闇金に手を染めて風俗におちた。そいつらは助けやしない」

 女は黙ってきいていた。


「だがあんたはちがう。親が侠東会きょうようかい傘下の西村組でヘマやらかしただけだ。あんたが背負う必要はない」


 女の父親は西村組で働くチンピラだった。さかずきも交わしていない半端な奴だ。

 あるときそんな男が組の金に手を付けた。男は殺されたが、盗まれた金は消えていた。そこで目の前の女がここで働かされていた。


「あんた、なんでそんなことまで……」

「お前のおやじを殺ったたやつにワッパかけたのは俺だからだ」


 女は目を見開いた。


「だがそいつももうすぐムショをでる。このケースにはお前がやり直すための金が入ってる。これをもってはやく逃げろ」

 女は戸惑ったようすでうろたえていた。


「こ、こんなのもらえないよ。しかも、逃げたってどうせ闇金業者がおってくる」

 大原は窓枠に足を乗せながらいった。


「そんなら逃げる途中、その闇金屋のまえ通ってみろよ。面白いもんみれるぜ」

 そう言うと、入口の方から警官たちの怒声が聞こえ始めた。

「いそげよ」


 そう言い残して大原は隣のビルに飛び移った。



 いくつかのビルを経由してから、建物の外階段を使って大原は地上にもどった。

 さきほどまでいたビルをみに行くと、大量の警察官が路上まであふれていた。


「くそ!俺は西村組の若頭だぞ!」

 声の方を向くと、闇金屋からでてきた男がパトカーに押し込まれているところだった。西村組若頭、三木みき遼輔りょうすけだった。

 風俗とつながりのある闇金屋はこれでつぶされる。


 あの女は大丈夫だな。


 大原はそう思いながら、彼女の無事を祈った。



 雑居ビルから離れようと足をすすめたところで声をかけられた。

「やっぱりここか」

 声の主は隼人だった。


「なんでぇ。お前も駆り出されてんのか」

「まさか。安頼を探しに来ただけさ」

 家までおくるよ。隼人はそう続けた。



「しっかしすごい摘発だったな」

 運転する隼人に言った。


「ああ、まさか西村組の若頭までひっぱるとは、大したもんだよ」


 西村組は歌舞伎町一帯でもっとも大きな組の一つだった。侠東会へのシノギも大きい。今回の摘発でしばらくは闇金屋や裏風俗もなりを潜めるだろう。


「ところで安頼、ひとつ聞いていいか」

「なんだよ」


 車は新宿御苑をこえて、四谷方面に向かっていた。

 家から少し遠回りにはなるが、大原は気にしなかった。


「今日の摘発で、女を一人逃がしただろ」


 大原は言葉に詰まった。まさか、見られていたのか。大原は答えなかった。


「恋人だったのか」

「いや」

「片思いか」

「いや」

 隼人は溜息をついた。


「こんなことするのも、三年前の事件のせいか」

 大原は流れゆく街に目をやった。


 三年前、無差別連続殺人事件があった。大原はその犯人を捕まえたが、犯人のその後が、大原にとって深い影を落とすことになった。


 タバコに火をつけた。窓を開けると、つららのような風が吹き抜けていった。


「今回の異動に反抗したのもそのせいか」

 ふぅーっと、タバコをはいた。


「なあ、きいてるのか」

「きいてるよ。異動は納得がいかない。それだけだ」


 大原はごまかした。しかし、納得がいかないのも本心だった。本来、警察の異動は四月に発令される。内示に関しては三月に通知がでる。しかし、今回の異動は夕方、署に戻ったとたんに言い渡されたものだった。加えて明日からは警官ですらなくなる。とうてい納得のいくモノではなかった。


「協会にいったからって、二度と警官に戻れないわけじゃないんだ。向こうに数年いって、昇進して戻って来た先輩たちもいるんだ」


 協会とは、大原の異動先である陣影協会の事を指した。


 大原はもう一度タバコを吸って、深くけむりをはいた。

 けむりは、冬の空気に囲まれて、霧散していった――

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