第一話 犬のお仕事


 眼前に広がる、呆れるくらいだだっ広い日本庭園には、心地好い春の風が吹き抜ける。



 手入れの行き届いたその庭には、鹿威ししおどしなんかもあって風情がある。



 そんな庭に面した矢鱈に長い廊下に座る俺は、庭になんて一切目を向けず、咥え煙草でスマホを手にパズルゲームで遊んでる。



――俺は今、今世紀最大級と言っていいほどムカついてる。



 俺は特別短気な訳じゃない。



 だからって温厚な訳でもないが、短気じゃないのは確かだと思う。



 短気だったら今ここにこうして座って、パズルゲームなんかやっちゃいない。



 十日前に暴れ倒して、この庭にある灯篭のひとつくらいはぶっ壊してる。



「あー! クソッ!」


 ケツの近くに置いてある灰皿で、咥えてた煙草を消した拍子に、やってたパズルゲームがゲームオーバーになってムカつきが増えた。



 スマホを放り投げるようにして廊下に置いて、首だけでチラリと後ろに振り返る。



 肩越しに、障子が見える。



 障子の向こうには多分部屋がある。



 曖昧に「多分」というのは障子の向こうを見た事がないから。



 でも十中八九部屋だろう。



 まさか障子を開けたら壁でしたってオチはないに決まってる。



 つーか、そんなオチであって欲しくない。



 もしそうだった場合、庭にある木を二、三本薙ぎ倒す勢いで暴れてやる。



 部屋であろう、障子の向こうから物音はしない。



 更にムカつきが増したから、庭の方に目を向けた。



――畜生、長閑のどかだ。



 それがまたムカつく。



 俺がこんなにもムカついてるっていうのに、それを嘲笑うかのような長閑さがムカついて仕方ない。



 気持ちを落ち着ける為に煙草を咥えて火を点けた。



 思いっきり肺に吸い込んで煙を吐き出したらムカつきがまた更に増えた。



 もう何をしても無駄なんだろうと思う。



 我慢の限界に達してるんだろうと思う。



 思うっつーか、絶対にそうだと確信してる。



 よくもまあここまで我慢したもんだと自分を褒めてやりたい。



 眉根が寄るのを感じた。



 歯を噛み締めたら煙草のフィルターがカタチを変えたのが分かった。



 顔の筋肉が重力に逆らって上がっていってる。



 今鏡を見たら分かりやすく「怒り」が表われてるだろう。



「ふざけんじゃねえぞ」


 吐き捨てるような呟きと同時に立ち上がった。



 咥えてた煙草を庭に吐き出した。



 グルリと体を反転させて、ぴっちりと閉まってる障子を睨み付けた。



 近付いていく障子の向こうから物音はしない。



 庭にある鹿威しの音だけが聞こえてくる。



 障子の真ん前に立ち、見えはしないその奥を睨み付け、手を伸ばす。



――どうにでもなりやがれ。俺の知った事か。



 障子に手を掛けた途端に、腹の底から湧き上がってくる感情。



「てめえ、いい加減に――」


 その感情を言葉として出すのと同時に力いっぱい障子を開け放った。



 開け放ったそこには、



「――ああん!?」


 いるはずの人物がいなかった。



 十畳ほどの和室の中央に、デカい座卓がひとつあるだけ。



 人っ子ひとり、いやしねえ。



「どこ行きやがった、クソ女!」


 これが叫ばずにいられるか。



 俺がこうして今世紀最大級にムカつく事になった発端は、二週間前に遡る。

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