第11話 紙袋の男
ガラス張りの地下牢。その廊下を真っ直ぐに歩く。
「娘の名前は
歩きながら。
爺さんが語ってくる。
「妻は七生が産まれてすぐに死んじまってな」
話を聞きながらも、僕は歩む速度を落とさない。
「男手ひとつで育ててきた。七生もいい子でなぁ。反抗期の時は大変だったが、大人になって、独り立ちしてからもよく俺の様子を見にきてくれて……」
「そんな子が何で宗教にハマった?」
僕が訊ねると、爺さんは沈んだ声で返してきた。
「友達がこの教団のところに行ったっきり帰ってこなかったそうだ」
なるほど。そうしてこの、蟻地獄に。
「ところで今どこに向かってるんだ?」
爺さんにそう訊かれて僕は答える。
「『祈りの塔』だ」
爺さんは首を傾げた。
「ここへ来る時、近くに『祈りの塔』が見えた。まるで双子の塔みたいにな」
僕はさらに続ける。
「そして地下のこの広さ。多分だが、『祈りの塔』とこの建物とは地下で繋がってる」
「なるほどな」
爺さんは納得したように頷く。
「僕の予想が正しければ……」
僕はずっと続く廊下の向こうを見つめる。
「あっちの方から来てもおかしくはないんだが」
「あっちの方から?」
爺さんの上ずった声に僕は応じる。
「ああ。向こう側から」
僕は足元を見る。何か痕跡がないか。僕が見抜いた真実の跡。真理の足跡が、ここにないかを調べた。
しかしこうしている間も惜しい。僕は強歩で前に進む。
と、歩を速めたところで。
くらりと、頭の芯が揺れた。
爺さんが僕の肘の辺りを掴む。
「しっかりしろ。まだ薬が抜け切っていない」
僕は頭を振る。
「いや、すまない。まだ調子が……」
と、言いかけた時だった。
僕の腕を掴んでいた男が。
あの紙袋を被った男に、変わっていた。
思わず悲鳴を上げて
「どうした? 大丈夫か?」
すぐに、紙袋の男は爺さんの姿に戻った。僕はほっと胸を撫でおろすと、爺さんに助け起こされるままに立ち上がった。
「何を見た?」
訊かれたので答える。
「紙袋を被ったでかい男だ」
爺さんが首を傾げたので僕は続ける。
「阪村の……ヒレフダトリの体を頭からかち割った犯人だ」
爺さんは黙って僕の顔を見ていた。それから、静かに告げてきた。
「薬が抜けていない内は小さなきっかけで幻覚がフラッシュバックすることがある」
まるで医師の宣告みたいだった。
「気を抜くな。だがその紙袋の男とやらも単なる幻覚じゃなくて誰かしらの人なんだろう? ヒレフダトリ氏は実際に真っ二つにされていたんだから、誰かが手を下していたことになる。お前さんはそれを見ていた……ただ、幻覚で犯人の全貌が見えなかっただけで」
僕は小さく頷く。
「ああ。阪村の体を割ったのは間違いなくあいつだ。あの紙袋の男……の幻覚を被った、誰か」
僕が深く息をつくと続けた。
「『祈りの塔』で、僕はしっかり殺害現場を見ていたのにな」
情けなくなる。やるせなくなる。
「目の前で人が殺されていたのに、犯人が分からないってのもひどい話だ」
僕はぽつりと「祈りの塔」とつぶやいた。その言葉が持つ皮肉な意味について考える。僕のため息に呼応するようにして爺さんが口を開いた。
「その『祈りの塔』には、教祖とヒレフダトリ氏しかいない」
そうだ。あの塔にいた人間は教祖って奴と阪村だけ。となると、難しく考えるまでもなく犯人はその教祖ってことになるんだが……。
「……なぁ、それについてなんだが」
僕は爺さんに訊ねる。
「『祈りの塔』には絶対に教祖の二人しか入れないんだな?」
すると爺さんは顎を引いて答えた。
「ああ。あの塔の入り口を開ける鍵はその二人しか持っていない。そして普通の信者は近づきもしない」
「ってことは殺害現場にいたのは阪村ともう一人の教祖だな?」
「ああ。そのもう一人の教祖はファンタズムという」
「ファンタズムとヒレフダトリ以外に『祈りの塔』にはいないんだな?」
「いない。そしてファンタズムは『入話』に入っていた。『祈りの塔』の中にある『対話の間』の中にいる」
「『対話の間』っていうのは?」
「外からしか開けられないオートロックの部屋だ」
爺さんは鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
「その部屋に入ったが最後、外からの協力なしに出ることはできない。そこは徹底的に神と対話をする場所だ。内なる穢れた情動は排除されなければならない」
「なるほどな。自分から外には出られない。自由が著しく制限される空間だったわけだ」
僕は考える。
「鉄壁のアリバイ……いや、密室か」
僕は自分自身を振り返る。
一応推理作家なんてやらしてもらっているから、密室だのアリバイだのの理論については一通り履修しているつもりだ。
密室とアリバイはコインの裏表のような関係になっている。「この空間には事件当時、被害者以外誰もいなかったんですよ」という「容疑者全員のアリバイを保証する」のが密室で、「『事件の起こった時間』は誰にも操作されない状況下にありました」という「時間の密室性を保証する」のがアリバイだ。そして今僕が対峙しているこの事件。これはある意味で密室でもありアリバイでもある。
「祈りの塔」にはまず教祖と阪村しかいない。鍵は二人しか持っておらず、信者は誰も近づかない。そういう意味で「密室性」が担保される。二人以外の人間がいない、という意味で教徒たちの「アリバイ」も担保されるだろう。そして被害者は阪村。となると必然犯人は教祖以外いない。しかし教祖は「対話の間」とかいう「外部からの協力がないと出られない部屋」つまり「内側から外側に出ることができない部屋」の中にいた。「密室性」が担保されるのと同時に「外に出られないのだから犯行にも及べない」という「アリバイ」も担保される。
だが、さきほど僕の相手をした女が言うに。
ヒレフダトリとは違うもう一人の方の教祖、は頻繁にこの地下室に来ていたようだ。どういうルートでこの地下室に来ていたのか、子細には分からないが一つ、考えられることがある。この地下室が「祈りの塔」と繋がっているのなら。そしてもし、「対話の間」からもこの地下室に来ることが可能だとしたら。
……いや。
「対話の間」からこの地下室へやってくることはおそらくだが可能だ。さっき僕に抱かれた女の子が言うに、爺さんが「『入話』に入った」と認識していた教祖が昨日ここに来たとのことだった。どういうルートがあるのかは知らないが、崇高な行為に及んでいる風に見せかけて地下で女と及んでいるなんて絵は描けなくもない。ここにいる女は教団の中でも地位を剥奪された者ばかりだ。今更教団の裏側を見せられたってどうすることもできないだろう。
さて、これで第一の「密室」と「アリバイ」は崩れたことになる。教祖はこの地下室を通じて「祈りの塔」の外側に出ることが可能だし、となれば祈りの塔の「対話の間」以外の場所、具体的にはあの、塔の外側にせり出た足場……何だっけ、「教えの場」だったか? に行って阪村をかち割ることも可能だったからである。殺した後の逃走ルートはいくらでもある。堂々と逃げるならばそのまま「祈りの塔」から出ればいいだろう。人目を憚るなら僕たちが今通っている地下室のルートを使えばいい。
となると、教祖が怪しい。
そう、思うのは当然だろう。
僕は思考のページを繰る。
二人いる教祖。
うち片方は、立場を利用して色欲に明け暮れる。
もう片方は、きっと熱心に理想を追求し続けただろう。
疎ましく思ったのかもしれない。
答えは明白な気がした。
僕と爺さんは歩き続ける。
時折、僕の視界の端を幻覚がかすめる。真っ白な廊下の端がガラガラと崩れ落ちるのだ。奈落の底へ繋がるその穴の向こうから、あぶくのような目玉の集合体が覗いてくる。トライポフォビア……集合体恐怖症の人間が見たら卒倒するような代物だ。声も聞こえる。
――苦しめ。
――苦しめ。
――死ね。
――死ね。
耳元でずっと、囁かれ続ける。
ずり。
ずりり。
背後で音がした。硬い何かを引きずる音だ。振り返る。爺さんがいる方。その向こうに。
紙袋を被った男。そいつがゆっくり、だが確実な足取りで僕たちの方に迫っていた。
遠い彼方から、だが正確にこちらを目掛けてきている。
手には大きな鋸。ズームインしてくるような速さで接近してくる。
本能的な恐怖が胸を、心臓を突き刺す。
体が射竦められる。
だが僕は……僕は足を止めなかった。懸命に、強い意志を持って足を動かし続けた。そうして言葉を、頭の中で唱えた。自分だけの強い言葉。自分だけに向けられた真の言葉。それを唱え続ける。
今僕は静謐の教団本拠地にいる。
静寂は恐怖を倍増させる。
強い言葉の連呼は、静寂の対極にある。
ひたすら唱える。唱える。
やがて、崩れ落ちていた廊下の端が真っ平な床になってきた。
荒い呼吸も落ち着いてくる。
振り返る。
爺さんがいた。爺さんはじっと僕の方を見ていた。ふと、首を傾げてくる。僕が真っ直ぐに爺さんを見ていたからだろうか。
「どうした」
そう言われて、気づく。
――どうした?
あいつに……他でもない、あの阪村将也にそう言われた日のことを。
*
「どうした?」
まだコンビでやっていたあの日。
コンビ仲解消寸前のあの日。
阪村はそうメッセージを送ってきた。LINEでそれを見た僕はすぐに返した。
「何が?」
すると阪村は送り返してきた。
「このところ執筆ペースが落ちている」
あの頃、僕は阪村に一日の成果を送るようにしていた。それは阪村が提案してきたことだった。創作のペースを掴む意味でも、一日の作業量はデータを取ろう。そういう話だった。僕はそれを名案だと思った。一日に書ける量が分かれば、執筆計画も立てられる。いつかプロの作家になれたら、その見積もりは仕事の見積もりになる。そう思ったからだ。だから僕はあの日も、いつものように執筆した字数、原稿用紙換算の枚数、執筆に要した時間などをまとめて阪村に送っていた。問題の発言は、僕が風呂に入る前、それらのデータを送った直後に返ってきた。
――どうした? ――何が?
この短いやり取りが、僕たちの間に走った最初の亀裂だったと、僕は記憶している。
「執筆ペース?」
そう言われて僕は直近の執筆ペースを見る。一週間ほど遡ったが、特に大きな変動はない。
「何か問題あったか?」
すると阪村はこう返してきた。
「新作の執筆着手、一か月前からだよな」
言う通りだった。だから僕は「ああ」と返した。
「直近一週間だと大きな変化はないが、それは一か月前から明らかに量が減ってその状態をキープしているだけで、全体的に見ればマイナス評価だ」
「そうか」
僕は首を傾げた。そういうもんだったか。
「理由は思い当たらないか?」
そう訊かれて僕は返す。
「さぁ、何も……」
「最近体調が悪いとか」
「健康体だ」
「眠れてないとか」
「バッチリ七時間睡眠」
「お前、一日にどれくらい机に向かっている?」
「三時間か四時間ってところか?」
「それだ」
阪村の言葉の意味がまだよく分からなかった。
しかし阪村は続けてスクリーンショットを送ってきた。
「これまでのお前の執筆ペースだ。日に少なくとも五時間は机に向かっている」
僕はびっくりした。あいつ、僕の執筆ペースをExcelにまとめていやがった。
「これは憶測なんだが……」
阪村は続けた。
「お前、小説書くのつまらなくなってきてないか?」
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