夜の街

ほんや

夜の街

 あなたは夜の街を見たことはあるだろうか。誰だってふと気が向いて夜を歩いたことがあるはすだ。夜はもちろん暗く、静かだ。夜は一人である孤独や自分と言う物を深く感じさせるものだ。今は現代であれど闇を全て払うことはできない。また睡眠と言う観点からしてもすることはできないだろう。

 

 話を戻して、夜の街はいつもの、光のある日常とは違う姿を見せる。慣れ親しんだ地元の街では静まりかえって、しかしそこにまた明るい明日で会おうと言う愛情が見られる。旅先では観光地や見慣れぬ住宅街にその土地に根付いた文化が垣間見えると同時に、観光地であれば地元を紹介し地元をより活性化させようという努力が感じられる。

 

 夜は地球の自転や公転など色々な要因によって得てしてできたものだが、こうするとあるべくしてあったというのがひしひしと解るというものだ。たとえ、夜が先にあって人類がそれに適応してそういう時間になったとしても、今の夜と同じ役割を持った物は出来たであろう。夜は休息の時間であり、獣たちの活動の時間であり、街の光という壮大な芸術をまざまざと見せつけられる時間なのだ。

 

 さてそうは言えど、夜は明け、日の時間がやってくる。昼は対極の存在であり、他人という存在を感じさせて何処までも騒がしい場である。これは絶対に交わることはない普遍の真理であろう。


 だが、例外というのは何所にでもある。朝と夕はその転換点であり、夜が光を得て、昼が光を失う時間だ。その時間はすがすがしく往々にして気持ちの良い物だろう。けれど、そうはならず、鬱々としたものを感じる人はいるだろう。つくづく人間とは、人類とは不思議な物だと思う。朝の街は始まりの時間である。多くの人間が活動の準備をする、いわば再起動するような場である。夕の街は終わりの時間である。疲労の極地を迎えそれぞれが己の休息を取りはじめるだろう。


 全ての時間はあるべくしてあり、また人間にとって必要不可欠なものだ。全てが調和し役割を全うしている。しかし、私はこうも思うのだ。電気という光を得たことで役割が逆転していると。人は昼に活動し夜に眠る動物である。そういう進化をしてきたために急速に技術が進歩した今、身体が追いついていないと思うのだ。日々の生活を顧みればすぐに分かることである。だからこそ私は戒めの意を込めて告げようと思う。




 やはり朝はもっと早く起きて、夜はもっと早く寝た方が良いと思う。

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夜の街 ほんや @novel_39

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