一章
第1話 魔法少女(?)
七月に入ったとはとても思えない、夏服で登校したことを後悔するような肌寒さの日。
その昼休み。教室で昼食を済ませた駿河ミヤコはトイレからの帰り道、いつもは目もくれずに素通りしている階段の前で足を止めた。
「……ラッキースポットだっけ」
元々ミヤコは占いを信じるタイプではない。なので朝の占いの結果など、家を出て数歩で忘れてしまう。それを思い出したのは本当に偶然。たまたま屋上へ続く階段が目に入り、薄い記憶が呼び起こされただけの話だ。
珍しくトイレが空いていたのも、そのために予鈴までまだ時間があったのも偶然。たまたまだった。
一年生の教室は四階にあり、一階分だけ上った先に屋上へと続くドアがある。
女子高生にはやや重い、普段はしっかりと施錠されている金属製のドア。しかしこの日は珍しく鍵が開いていて、ミヤコは何となく許可を得た気になった。そして、えい、とドアを腕で押し開けた。
そこに桜木ジロウがいた。
同じ一年三組の男子生徒。成績も運動も目立って良くも悪くもない。女子からの評判はどうだろうか。少なくともミヤコの憶えている限りではジロウの名前が話題に上った記憶はない。つまり、目立たないごく普通の男子生徒だった。
ただし、パンツ一丁でさえなければ。
否。パンツ一丁に加えて、明らかに女児向けのオモチャ、いわゆる『魔法ステッキ』なるものを握り締めていなければ、だ。
「駿河……」
ジロウは地獄で鬼と鉢合わせたような顔をした。
「見てない!」
ミヤコは広げた両手をジロウに向けた。
「聞いてくれ、駿河」
「見てないから! 私、本当に何も見てないからね、桜木!」
「聞けって!」
踵を返そうとしたミヤコの腕をジロウが咄嗟に掴んだ。
「……ちょっと。警察呼ぶよ?」
「いきなり警察!? そこは先生だろ!」
「じゃあ先生呼ぶ」
「お願いです。話を聞いてください」
ジロウはその場に平伏した。土下座だ。
「…………」
ここでミヤコの心に迷いが生じた。
もし第三者にこの状況を見せた場合、問題視されるリスクが高いのはどちらだろうか?パンツ一丁で土下座をしている男子か、それを見下ろしている女子か?
「……予鈴までね」
ミヤコはスマホの時計を見て仕方なさそうに溜め息をついた。
「あとどれくらいある?」
「一〇秒」
「短くないか!?」
「八、七、六」
「えっ!? いやその何だ……」
容赦のないカウントダウンにジロウは慌てふためき、すぐ途方に暮れた顔になった。
「……悪い。駿河に話せることがない」
そこで予鈴のチャイムが鳴った。
「じゃあ、あとは先生と話してね」
「……うう」
がっくりと肩を落としたジロウに背を向けて、今度こそ教室に戻ろうとミヤコがドアノブに手を掛けたとき。突然屋上にピロピロと安っぽい音楽が流れた。発信源はジロウが後生大事に握っていた魔法ステッキだった。
「……鳴るんだ、それ」
「……鳴る。あと光る」
「光るんだ」
ミヤコは少しだけ考えてから、感心した顔を作ってみせた。
「スゴいね」
「いや違うんだ。そうじゃなくて。……駄目だもう。終わった。……いや違う、始まったのか……」
その苦悶に似た表情。支離滅裂な発言。鳴り止まない電子音。呼ぶべきは先生でも警察でもなく救急車かもしれない。そう思えるほどジロウの様子は只事ではなかった。
「……仕方ない。もう手遅れだから話す」
立ち上がって小さく息をつき、ジロウは何かを諦めたような目をミヤコに向けた。
「手遅れ? まあある意味そうかも」
このあと先生とどんな話をするのか知ったことじゃないが、どうあれジロウの学校生活に小さくない傷がつくのは間違いないと思えた。だが。
「そういう話じゃない」
ジロウの声も顔も真剣そのもので、自然とミヤコも真面目に話を聞く態勢になった。
「……実は」
「実は……?」
ミヤコは唾を飲み込む。ジロウは頷き、一度口を固く結んでから再び、厳粛に、重々しく開いた。
「……実は俺、魔法少女なんだ」
魔法ステッキの奏でる場違いに陽気な曲が、気まずい沈黙をより一層気まずくしていた。
パンツ一丁。おそらく母親辺りに買い与えられたのだろう、良く分からないキャラクターが細かくプリントされたトランクス一丁で佇むクラスメイトの男子を、ミヤコはちょっとした水溜まりくらいなら凍らせられそうなほど冷たい目で眺めた。
馬鹿みたいな格好の男子から馬鹿みたいな話を聞くために、随分時間を無駄にしたとミヤコは考えた。
「……私、いいかげん教室戻るけど。桜木はどうするの?」
返事はなかった。その代わりに、ジロウがずっと握り締めていたステッキから突如、七色の光が発射された。
「……!?!?」
光るとかそういうレベルではない。リボンのような実体のある光がジロウを中心に渦巻き、回転し、瞬く間にその身体の半分ほどを包み込んでいた。
「駿河」
「……はい」
そう答えるのがせいぜいだった。想像を絶する光景に、ミヤコはただ茫然と立ち尽くしていた。
「……このことは」
「うん」
「クラスのみんなには内緒だぞ」
「……なんか聞いたことある台詞だけど」
何故かミヤコは軽く腹を立てた。
だがそんなミヤコの苛立ちをよそに、七色の光のリボンはジロウの身体を完全に包み込んだ。
「……そういえば一二位だったっけ、今日の天秤座」
茫然としたままミヤコはそんなことを考えていた。あとで他の占いサイトも、ついでにO型の占いも見てみようとも考えた。
やがて。ハスの花が開くように静かにゆっくりと光のリボンがほどけた。溢れ出した淡いピンク色の光とともに現れたのは、パンツ一丁の男子高校生、ではなく。
光と同じピンク色の髪と瞳。胸元に大きなリボン付きブローチをあしらったフリルドレスに身を包んだ、小柄な少女だった。
「桜木ジロウの妹です」と言われれば納得がいく程度の面影を残し、あとは男子高校生の要素は何一つ持っていない。それと何より。
「……可愛い……」
ついそう声に出してしまうほどの美少女がそこにいた。ピンクを基調とした色合い、衣装、ハーフツインテールという髪型まで含めて、そのまま二次元の世界から抜け出してきたような、現実離れした美少女ぶりだった。
「……これで分かってもらえたか?」
「あ、声も可愛い」
「……駿河?」
ジロウ(?)は撫然とした顔で咳払いをした。
「……とにかくだ、駿河。怪人が出たから俺は行かなきゃならない」
「あ。うん。行ってらっしゃい」
「? ……聞いてるか?」
「うん。授業には戻ってくるの?」
「……あ、いや。多分間に合わないと思う」
「そう。じゃあ早退って言っとくね」
「え? あ、うん。……ありがとう?」
小さく手を振るミヤコに見送られ、桜木ジロウだった魔法少女は首を傾げながらどこかに向かって飛び立った。
結局五限に間に合わなかったミヤコはコソコソと教室に戻り。次の六限の前の休憩時間に、担任の山田先生に「桜木くんは腹痛で帰りました」と適当な伝達をした。
その放課後。中学からずっと同じクラスの斉藤ソラに誘われて、ミヤコは行きつけのバーガーキングダムに立ち寄った。
「ねーミヤコ。またサイタマシティで怪人出たって。最近多いねー」
「うん」
「あ、でももう魔法少女がやっつけたって。いつものピンクのハーフツインの子だね」
「そう」
「スゴいよねー、この子。小ちゃくて可愛いのに強くて。中学生くらいかな?」
「高一。私らとタメ」
「え? よく知ってるね、ミヤコ」
ソラはスマホのネットニュースを閉じて顔を上げた。ミヤコはずっと一心不乱に占いサイト巡りをしている。どこでも天秤座は一二位、O型は四位だった。最後に目に入った天秤座O型の運勢の詳細には。
「……鍵の掛け忘れに注意……?」
「カギ? 家の?」
「家はお母さんが最後…………あっ」
屋上の鍵。はっきりとは思い出せないが、締めてきてしまった気がした。
「ちょっと見てくる!」
「ミヤコ!?」
残ったポテトをソラに押し付けてミヤコは店を飛び出した。学校までは徒歩で一五分ほど。寒空の下パンツ一丁で締め出されたジロウの姿を想像して、ミヤコはあらゆる意味で想像するんじゃなかったと後悔しながら足を速めた。
「……桜木!」
しっかり施錠されていたドアを開けるのももどかしく、転がるように出た屋上。そこにいた人物の長い影がミヤコの足元まで伸びていた。ただし、一人ではなく二人分。
影の一つはミヤコの想像通りにパンツ一丁の姿の桜木ジロウのもの。もう一つは見知らぬ人物のもの。
美術館の彫像のように整った外見を持つ、金髪に黒いタキシードの若い男性。おそらくは十代だろうか。外国人の年齢はミヤコには判別できない。
その金髪の男が片手でジロウを抱き寄せて、片手でジロウの顎を持ち。固く瞼を閉じ。ジロウの唇に自分の唇を重ねていた。
「……どういう状況?」
さっぱり訳が分からない。一体自分は何を見せられているのかと、ミヤコは自問した。
誰にとってか、永遠とも思える時間が経過した。男はジロウから顔を離し、ゆっくりと瞼を開く。そして声にならない絶叫を上げた。
「……誰だ貴様!」
「……こっちの、台詞だ……っっっ!!」
声量はジロウも負けていない。こちらは半泣きだったが。
「あの美しい魔法少女はどこだ! どこに隠した!」
「! ……お前の知ったことか!!」
そのままジロウと金髪男は取っ組み合いの喧嘩を始めた。
「……なにこれ?」
最初から最後まで何が何やらまるで理解ができない。とりあえずミヤコは一つだけ決意した。
もう占いを見るのはやめよう、と。
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