第3話 逃走

 誰かが叫んだ声で木に止まっていた鳥が一斉に飛んでいった。一大事なのかもしれないが、今の私では何も……!

 な、なんだ急に体が浮いた上に目の前まで近づいていた洞窟が遠のいていく。休める場所が!

 

「こんなところに1人でいたら危ないよ!」

 

 声からして女の子ではあるのだが、脇に抱えられているからか背しか見えない。それに、まだ姿は見えないが何かが木を押し倒しながらこちらに向かってきている。いったい何に追われているんだ。

 

「おろせ」

「だめ」


 何から逃げているのかわからないが、そんな時に私を抱えて逃げたら更に走る速度が遅くなるというのに。

 草木の倒れるスピードが上がっている。あと少しで追いつくだろう。その前に逃げ切れるのだろうか、こいつは。


「逃げてばかりだとジリ貧だぞ。なにか策はないのか」

「な、ない……!」


 女の子をよく見ると槍を背負っているがなぜこれを使わない。それともこれは飾りなのだろうか。

 

「この槍は」

 

 問いかけても答えないが、荒い息遣いが聞こえる。限界も近そうだ。

 自分が大人であれば槍を使ってどうにか出来るかもしれんが、子供の体では金属製の槍は重くて持てない。

 バキバキと木をへし折る音が大きくなった。そして姿がようやく見えてくる。あれは……牛? まさか牛から逃げているのか? 牛にしてはとてつもなく速いし、デカい気がするが。

 

「きゃあ」

 

 放り投げられて体が浮く。地面から浮き出た木の根に引っかかったのだろう。自身の体が軽いからか、ずいぶんと長い間空中にいるが小さい体で受け身が取れるだろうか。これが出来るか出来ないかで今後の体力付けが変わる。


「い……」


 1回転して地面に手を打つことで頭を強打することはなかったが、背中の打ち所が悪かったせいか息がつまる。女の子が今どうなっているかなんての確認は出来ない。正面を見れば牛が前足で地面をかいている。また突進してくるな。

 いつもやっている相手と同じタイミングで動き出す仕草だと今は間に合わない。相手の動きを予想して早めに動かなければ。

 

「うっ!」


 牛が駆け出した瞬間私の目の前に。避けきれずに突き上げられ、そのまま背に乗った。振り落とされないようにとっさに体をひねり、ツノを掴んだが私を振り落とそうと体を上下に動かしてはひねってを繰り返している。

 今の私の握力では長いことこの背には乗れない。だが、こいつ仕留めなければまた突進してくる。


「酔う……」


 脳が揺さぶられて、目の焦点が合わない。これは大人でも気持ち悪くなる。ましてや子供だとなおさらだ。

 ツノを掴んでいる手から力が抜ける。そう思った瞬間には空中に放り出されていた。

 血液不足と三半規管さんはんきかんの乱れによって地面が歪んでみえる。上手く着地出来そうにない。

 地面に倒れた音が異様に自分の耳に響く。金づちで打たれたかのような痛みが頭に広がっている。打ち所が悪かったのだろうな。

 歪む視界の中で、牛がツノを私に突き刺さすように首をおろしながら突進してくるのが見えた。


 「ぶざまだな」

 

 武器や力を奪われて無力なままに死ぬ。人や怪物どもを殺して来た私に相応ふさわしい死に方だ。

 受け入れようと目を閉じた時、女の子の叫ぶ声が聞こえた。その声は震えていたが、覚悟を決めた声でもあった。


「い、生きてる?」


 重いまぶたを開ければ女の子が槍を横に構えながら牛を止めていた。必死に抵抗しながらもたまに私を見ている。心配そうに問いかけられたが、答える気力はもうない。

 ああ、ねむたいな……。このまま眠ったら楽になるだろうな。


「起きて。眠っちゃダメ」


 牛をいなしたのか、大きな音を立てながら木が倒れていく。その後抱えられて人肌と振動を感じる。

 頬が痛い。つねられているのかそれとも引っ張られているのか分からないが、やめてくれ。もう眠たいんだ。痛みがあることで強制的に覚醒かくせいしてしまう。

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