朔望の狂狼~S級からの降格? そして三つの依頼~

佐田ほとと

降格処分?

 生活に余裕ができてからは宿を二部屋とっている。

 一部屋は寝室、もう一部屋は会議室、という用途で。

 会議室は向かい合う二組のソファ、その間のローテーブル、僕が今腰かけている椅子と肘をついている簡素な机、雑多な物が並べられた棚、などで構成されていた。


 僕はルクス。人狼ライカンだ。人狼ライカンは種族ではない。人化と狼化を往復する一種の症状だ、噛むことで伝染するのだという仮説を聞いたことがある。記憶がときどき混乱して、言い聞かせていないと自分のいる場所も自分の事情も自分の名前も忘れかねない。

 たとえばこんな風に言い聞かせる───人狼ライカンのルクスは会議室の椅子に座って机に肘をつき、フィザリアに目を向けた。


 フィザリア───僕はフィズと呼んでいる───はいつものようにソファに身をもたせかけ、飴玉をなめている。彼女はいつもなにかを口に入れている。キャラメル、お祝いのチキン、アイスのたっぷりのったソーダ。ジャンクなもの。棚にはフィズ専用のビスケット瓶がある。

 ずっと前、なぜいつも食べてるのと訊くと「こうしてないと血が欲しくなるから」とフィズは答えた。


 フィズは吸血鬼だ。深紅の瞳と艶やかな銀髪と薔薇色の頬がどこにいても目を惹いた。吸血鬼は血を吸い、悠久のときを生きる。フィズがどれくらい生きているのか僕は知らない。本人もわかっていない。見た目は大人びているが、まだ幼いのだという。

 そして僕は血の提供者だ。でもこのことは僕ら以外は知らない。


 いや、もう一人いた。今部屋に入ってきたセイラも、そのことを知っている。


「フィズ、その格好は何?」とセイラが言う。

「え、変? 朝起きてそのままだけど」

 フィズは自分の姿を足先から胸まで見回した。今初めて気がついたとでも言いたげな仕草だ。

「ねぇルクス、おかしいかな?」と僕の方を見る。

 確かにフィズは露出度の高い、目のやり場に困るような格好ではあった。吸血鬼は厚着できないの、といつも言い、大体薄着だった。

 僕は何も言わなかった。セイラは眉間にしわを寄せた。

「いつも言っているでしょう。はしたない格好はすべきじゃないと」

 セイラは魔法を使い、フィズにゆったりとしたローブを纏わせる。

 そう言う彼女はスリットの入ったドレスを着ている。豊満な体の線がはっきりわかるような服装だ。セイラにとってのきちんとした格好は社交界に出る服装を意味するのだろう。

 

 セイラはエルフだ。金髪にマリンブルーの瞳、エルフ特有の尖った耳に毎回異なるイヤリングをつけている。お喋り好きで、酒好きだ。棚には何かの魔物の尾が漬けられた紫色のボトルを置いていた。酒なのかと思っていたら、薬だという。

 エルフにとって魔法というのは身近ではなく、子どもの頃セイラが魔法で傷を塞いだら、それ以降その力は祭でしか使うことをゆるされなかったと聞いた。紫のボトルの中身はエルフの儀式的な霊薬で、効果は気分による。そういうものでも時々手にとっては懐かしがっている。


 セイラがつかつかと歩いてきて僕が肘をついている机に腰を下ろした。僕の眼前に細い腰があった。彼女は足を組んだ。

「で、ルクス。どうだったの」

 僕は一枚の紙を見せた。


長々しい文の中で【降格処分】という太字が目立っていた。



  ☆



「これはどういう……」

 冒険者協会ギルドの執務室で職長と向かい合っていた。

 職長は豪奢な肘掛け椅子に座り、僕は立ったまま一枚の紙を受け取った。


「S級からの降格処分だ。ルクス君」

 職長は咥えていた葉巻を置いた。太い指だった。腹も樽のように膨らんでいた。口を開くと金色の義歯が見え、鍵束と共に入れ歯が壁に吊るされているのだった。おそらく五十歳ぐらいで、皆が「職長」としか呼ばないので本当の名前を知らない。訊くこともできない上にそんな機会も少ない。なにせ歩いている姿を見たことがないのだ。いつも座っていて、僕はいつも立っている。


「おい、君」職長は僕の背後に控える護衛に声をかける。「このギルドの目的を言ってみろ」

 護衛は体がやたらと大きいのだがどこか頼りなげな雰囲気を漂わせていて、それはもしかしたら垂れ眉のせいかもしれないし、職長に心酔していて代筆や点呼に飽きたらず職長を描いた看板作りまでしているという悪評のせいかもしれなかった。そういう偏見抜きに見れば、護衛は短髪で日に焼けたガタイのいい男だ。彼の名前も知らない。


「冒険者ギルドは、所属する町の治安維持、人や物の護衛や輸送、魔物討伐、ダンジョン等の維持管理を行う団体であり、もっとも重要なのが、町民の依頼を解決することです」護衛は原稿を読み上げているようにすらすら言った。

 その間、職長は指先で机を叩いていた。そして聞き終わると両手を組んだ。

「それは表の目的だ。真の目的は?」

「利益を上げることです!」護衛はにんまりと笑った。職長も満足げに口角を上げた。

「そうだ」職長は僕を見た。

「しかし君たちは、少しばかりその理念に反している。行き過ぎた破壊行為と、無気力によって」

「いえ、そんなことは……」

「してないかね? 君たちは最後に受注した依頼の遂行中に家屋を倒壊させ、その後ひと月ほど何の依頼も達成していない。これは破壊行為と無気力にはあたらないと?」

「それは、町を離れていたからで……」

「無断で? そうか。まあ君たちがF級なら無気力をどうこう言わないし、報告もいらん。破壊行為は困るがね。しかし君らはS級だ。一番上だ。相応の責任があるだろう。君もそう思うよな?」職長は体を傾け、護衛へと言葉を投げかける。振り返ると憎たらしい笑顔を浮かべた護衛が「当然の責務ですね」と言った。

「……すみません」こちらにも事情があると言いたかったが、しかしそれを言ったところでどうなるとも思えなかった。僕の人狼ライカン的事情であり、僕たちの問題だった。ギルドには関係がない。


「謝罪なんぞいらん。抗議も受けつけない。もう決まったことだからな。それに……ここまでは能力的な問題だが、君には噂があるんだよ」職長は初めて僕の目をまともに見た。睨んだというのが近い。

「噂、ですか?」

「そうだ。君がパーティを組んでいる二人がいるだろう」

「フィズとセイラですか」

「彼女たちを無理やり従わせているんじゃないかとね、噂がたっている」

 僕は少なからず驚いた。少しだけ体がのけぞった。

「まさか。そんなことしませんし、できませんよ!」


「どうだかな」護衛が僕のすぐ後ろまで近づいていた。「お前があの二人を脅しているんだろ」

「どうやって」

「あれやこれやの手を使ってだよ! S級なんてろくでもないやつらなんだ! じゃなかったらあの二人となんて!」護衛は怒りに身を震わせ、唾がかかるほど顔が迫る。


「おい、君」職長が護衛の手に葉巻の先を押しつけた。護衛は熱さに後ずさる。

「私もS級だ」職長が言う。護衛は自分の発言に気づき目を見開く。

「いえ、そんなつもりは───」

 職長は言葉を遮る。「次に私をけなしたら町から追い出すぞ。それとも、狩りの餌にされる方がいいか?」職長はクロスボウを取り出した。

 護衛は何度も首を横に振る。

「わかったな?」

 護衛は何度も頷く。

 職長は葉巻を咥え、濃い煙を吐き出す。

 そして何事もなかったかのように葉巻を再び置き、クロスボウはしまわれた。

「彼女らが美女だから、やっかみもあるだろうが……ともかく、そういう事情もあって今回の処分になったわけだ」


 それから細々とした説明があった。

 脅しに震え上がった護衛は黙りこんでいる。

「職長。降格とありますが、これはA級への?」

「決まっていない」

「決まっていない?」

「君たちを擁護する声もあってね。今後の働きによって正式に決定される。処分が取り消されてS級のままでいることもありえるし、場合によってはF級。それ以下も考慮に入っている。正式な決定までは君らはいかなるグレードでもない。S級とは名乗るな」

「そんな」

「働き次第だ」

「具体的には、どうすれば」

「君らがS級まで上がってきたようにすればいい」

 職長はまるで昇格を伝えるかのようににっこりと笑って、

「期待しているよ」と言った。



 ☆



「降格じゃないってこと?」フィズは能天気な調子で言う。

「さあね」セイラはグラスを棚から持ってきて机に置き、琥珀色の液体を注ぐ。そして手にとって飲む。棚には来客用の器も並んでいる。フィズが落として取っ手の欠けたコップもあり、部屋の隅にも割れたグラスの破片がある。破片を集めた箒が床に転がっていた。

「S級じゃなくなったら何か困るの?」フィズはソファにうつぶせになって肘をつき足をパタパタさせた。

「仕事の単価が下がって、受けられる依頼の幅も狭くなる。A級だったらまあいいけど、F級になったら、迷宮ダンジョンに暮らすくらいずっといなきゃいけないだろうな」と僕は言った。

「それって楽しそうだね」

「キツイよ。心がすり減る感じがする」フィズはF級の困難を知らないのだ。寝ている間に人体の脂をすすりに来る蟲を追い払う苦労を知らないのだ。当然、そういうことは知らないままでいい。

「それに、この部屋も使えなくなるわ」


 いつの間にかソファから立ち上がっていたフィズが紙を手に取り、頭より高く上げ、そのまままたソファへと倒れこむ。そして体を起こして

「職長憎し!ってこと?」と言う。

「うーん……」

「別に職長だけで決めることでもないでしょ」

「そっかー」と言ってフィズが再再度ソファに倒れこんだ。

「なんか呑気ね。フィズは。気が抜けるわ」


「だって」とフィズが天井を向いたまま言った。

「わたしたちが何になろうが、わたしたちの関係が変わるわけじゃないよね」 

 僕とセイラはその言葉にはっとして、笑ってしまって、

「そうだね」「そうね」と言った。

 僕にとってフィズとセイラは命の恩人だった。

 狂狼カニバルに陥る寸前の僕を助けてくれた。二人を喰らいかねない僕を救ってくれた。狼化を抑える薬を手に入れる手助けをしてくれた。その薬瓶はフィズのビスケット瓶やセイラのボトルとともに棚に並んでいた。

 薬は僕にとって大事なものだった。

 そしてそれ以上にフィズとセイラは大切な存在だった。

「どうしたの。そんなに笑って」フィズが首だけ上げてこっちを見た。

「いや。ありがとう」

「何が?」

「うん。私たちはやれることからやっていきましょう」

 フィズとセイラのためなら、命だって惜しくはない。

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