第18話 翠、吹っ飛ぶ

すい―! おはよう。僕たちの演舞の振り、大体考えてきたよ」

「え!? もう?」


 次の日の朝、食堂で早速俊華しゅんかが話しかけてきた。

 自然な動作で、一人でご飯を食べていた私の隣の席にスッと座ってくる。


「見てみて!」

 そう言って、何枚かの紙を渡された。


「おお~、俊華すげー! もう振り考えてきたのか」

「俊華、おはよう!」


 すぐに俊華の周りに、いつものように人が沢山集まってくる。

 以前まではその様子を、遠く離れた席で楽しそうだなと思って眺めていたけれど、今なぜかその中心に私がいるのが、不思議な気分だった。


 俊華に渡された紙を見ると、一晩で書いたとは思えないほどの出来栄えで、振り付けの計画が描かれている。

 足運びを現した図形や、どこでどの型を披露するかなどが、美しい筆跡の文字で説明されている。


「俊華、ごめん。僕にはできない技がいっぱいある。もう少し簡単なものにしていいかな」

「えーこれで? 大分難易度を下げているよ。僕にこれ以上簡単なものを踊れって言うの?」

 

 俊華が可愛らしくプクリと頬を膨らませる。

 その様子を集まった俊華の友人たちが、微笑ましそうに見守っていた。


「いや、俊華はそのままで。僕のほうだけ技の難易度を下げるんだ」

「それじゃさすがにつり合いがとれないでしょう。それよりさ、まだ三か月もあるんだし、やる前に諦めないで、一緒に頑張ろうよ!」

「さすがだな、俊華。俺、俊華のそういうところ、すごい尊敬するよ」

「そうだよなー。やる前に諦めるって、あり得ないよな」


「……」


 俊華とその仲間たちが盛り上がる横で、私はなんだかモヤモヤとした気持ちを抱えていた。


 そりゃ三か月頑張って、一つの技を習得することはできるかもしれない。

 今よりも少しだけ難しい技なら、できるようになるかもしれない。

 だけどいくら必死に練習したからと言って、今の実力とかけ離れた技を、五つもできるようになるだなんて、到底思えなかった。


「俊華、さすがに五つも新しい技に挑戦するのは無理だよ。せめて一つに……」

「酷い、翠! さっきから僕の考えを否定してばかりじゃないか。せっかく寝ないで考えてきてあげたのに、まだ僕一度もお礼言われてないよ!」

「それは……ゴメン。ありがとう、考えてきてくれて。でも……」


「もう知らない!」


 そう言うと俊華は、荒々しく席を立ちあがって、離れた席に行ってしまった。

 最後にチラリと見えた顔は、少し涙ぐんでいた。


 ――伝え方、難しいな……。


 慌てて俊華の後を付いていく友人達。

 だけどそのうちの一人がまだ残っていた。

 そして私のことを、怒りに震える目で見つめてくる。


「おい、お前。俊華一人だけに振り付け考えさせて、批判だけして。やる前に諦めて。まずはやってみろよ! やる前に諦めんなよ!」

「……やってできることとできないことが……」

「またそれかよ! 最低な奴だな!! ふん!」


 言うだけ言って、その生徒も俊華のほうへと行ってしまった。


 言葉だけを聞けば、まるで正しいのは俊華たちのほうのようだ。


 --正論、を、言われているんだろうかこれは。私が悪いんだろうか。


 遠くに移動してしまった俊華とその友人達を、いつものように離れた席から見る。

 涙をこらえる俊華を、皆が励ましている。

 追いかけて再び自分の意見を言う気には、とてもではないけどなれなかった。




*****




「じゃあ翠! 僕が考えた振り付けで、取りあえず軽く合わせてみよ!」


 次の武術の授業の時間、何事もなかったかのように俊華が寄ってきた。

 俊華の友人たちの視線が、痛いほど突き刺さってくる。


「……分かったよ。じゃあ技の披露のところは飛ばして、足運びだけでいい?」

「……」


 私の言葉が聞こえなかったのか、それとも無視をされたのか。

 俊華の返事はなかった。




 私たち以外に、まだ振り付けが完成している人はいないようだった。

 そのため踊りの準備を始めると、生徒全員の視線が集中する。

 青海せいかい先生も、「お、もうやってみるのかー」と言いながら、私たちに注目している。


 一生懸命俊華が描いた図を読んで、いつどこに動くかという足運びだけは練習してあった。



「それじゃあ始めるよ!」


 合図と同時に、舞を始める。

 図に描かれていたように移動するだけで精一杯だった。


 俊華の動きは既に完成していた。

 心から楽しんでいるかのように舞って、難易度の高い技を危なげなく披露する。

 俊華が技を決めるたび、道場中からため息が漏れた。


 しかしそのうち、おかしな声が聞こえ始める。


「翠のやつ、なんだよあの動き。全然俊華に釣り合ってねーな」

「うわ、まただ。……邪魔なんだよ」

「俊華、可哀そうに。一人で頑張ってもこれじゃあな」



 気にしないように、集中しなければ。そう思おうとしても、どうしても声が耳に入り込んできて、私の心を重くする。

 もう足運びはメチャクチャだった。

 だけどとにかく、必死に図に書かれた通りに動くだけはしていた。


 ドンッ!!


「キャア!! 痛ぁい」

「……!?」


 必死に踊っていたその時なぜか、俊華にぶつかってしまった。

 貰った絵図によれば、ここにいるはずがない俊華と。

 俊華は悲鳴をあげて腕を抑えた。

 そして私はというと。






 吹っ飛んでいた。




 突然のことに驚いて、情けなくも受け身すらとれず、顔から勢いよく床に突っ込んだ。

 

 ……。 ……。 ……。


 一瞬誰もが固まった。


 いくら女性のように細そうに見える俊華でも、武の達人の男性だ。

 対する私は小さくて、大学に入るまでは勉強ばかりしていたヒョロヒョロの女だ。ぶつかれば私のほうが吹っ飛ぶに決まっている。


 痛む顔を恐る恐るゆっくりと持ち上げると、鼻から生暖かい液体がボタボタと流れ落ちた。

 俊華の方を見ると、本気で驚いたようで、ポカンと口を開けている。


 ――驚いた顔は、ちょっと間抜けで子どもみたいだな。


 鼻を摘まみながらそう思った。

 入学してから初めて素の俊華を見たような気がした。


すい!!」

「翠! 大丈夫か!」

 梓翔ししょう蒼蘭そうらんが心配して駆け寄ってきてくれる。

 普段ほとんど誰とも話さない蒼蘭が、慌てたように大声で私の名前を読んだので、皆が驚いたようだ。


「はりはと。らいじょー……!?」


 「ありがとう、大丈夫」と言おうとした私は、次の瞬間にはもう、蒼蘭に横向きに抱えあげられていた。


「ほ、ほうらん!?」

「医務室にいくぞ」


 当然のように、梓翔も付いて来てくれる。

 怪我をしたのは顔だから、普通に歩けるよと言おうとしたけれど、顔じゅうが痛むし、もう泣きたくなるし、蒼蘭の優しさが嬉しかったので、私は大人しく運ばれることにした。






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