第6話 閑話―蒼蘭
物心ついた頃から、なぜか家族で俺だけが、檻付きの部屋にいれられていた。
兄上も弟も自由に動き回って、家の外にすら行けるのに、俺だけはいつも檻の中。
食事をする時も、何をするにも一人。
時折世話係の下女が中に入って来るが、怯えながら用事を済ますと、あっという間に出て行ってしまう。
小さな頃、遊んでほしくて仕方がなくて下女を呼び止めようと飛び掛かろうとしたら、悲鳴を上げて倒れてしまった。
下女が勝手に驚いて倒れただけで、俺はまだ触れていなかったのに、父親にムチ打たれ、一週間食事を抜かれた。
勉強を教える教師は、檻の外から本を読み上げるだけ。
読み上げる声がトロくて聞き取りづらいから、そのうち投げ入れられた本を勝手に読むようになった。
「どうして我家から、
父親はいつも俺を見ては、ため息を吐いていた。
やることがないから、ひたすら書を読む。
そのうち教師は俺を教えきれなくなったようだが、家の書庫にある書を端から順に運んできてくれた。
代々仙人を輩出していた名門の家には、仙人になるための大学試験に役立つ書が、山のようにあった。
そうして書を何度も読んでいるうちに俺は気が付いた。
代々仙人を輩出する家において、仙人になれずに人の世界で暮らす父が、一族の落ちこぼれであることに。また仙人に対して並々ならぬ憎しみを抱いていることにも。
そうして俺が――人虎が、生まれながらの仙人であること、父はそれを分かっていながら、憎んで迫害していることを。
つまり父が俺を憎んでいることが、分かってしまった。
その日から、俺は父親の愛情を欲しいとは思わなくなった。
父は俺の兄か弟を大学に入れたかったようだが、二人とも
祖父から、さっさと仙人を輩出しろと圧力を掛けられた父は、ついに俺を檻から出して、大学の入学試験に推薦をすることにした。
生まれて初めて外の世界に出た俺だったが、生まれつきの
筆記の試験も、家にある書を、片っ端から擦り切れるまで読んだ俺にとっては、簡単といっていいものだ。
家を出る日、父は俺に呪いをかけた。
「いいか。我が家系の者が人虎などという恥を世間に晒すなよ。絶対に隠し通せ。バレたら一族郎党が世間から迫害されることになる。お前のために言っているんだぞ。人虎が、人間に受け入れられるだなんて決して思うな」
――バカなことを言うな。一番人虎である息子を迫害しているのは、お前じゃないか。仙人の卵である大学の生徒たちが、天仙である人虎を迫害するわけがない。
本で読んだ知識を、心の中で思う。
だけど本心では怖かった。
もしも虎の姿を見た生徒たちが、本当に俺を迫害してきたら?
怖がって、逃げて、罵倒して、襲ってきたら――。
頭では大丈夫だと思っても、日夜その妄想に苦しめられた。
父の呪いは重かった。
とても落ちこぼれとは思えないくらいの、怨念の籠った呪い。
絶対に俺を解放しないぞという、父の執念が伝わってきた。
大学の寮は、なんと二人部屋なのだという。
父はなんとか一人部屋にできないかと大学に掛け合ったそうだが、うち程度の家の力ではどうしようもなかったらしい。
同室の奴は、一体どんな奴になるんだろうか。
バレたら終わりだ。一時も心を休めてはいけない。
もしも人虎だとバレたら、あの悲鳴を上げた下女のように、恐怖に引きつった顔で叫び、寮中が大騒ぎになることだろう。
だから絶対に、一時も気を緩めてはいけない。
絶対に、絶対にだ……。
コン コン コン
「お邪魔しまーす」
先に部屋に付いて待ち構えていたら、やっと同室の奴が部屋に着いたらしい。
「こんにちは! 僕は翠っていいます。白狼邑出身の19歳。これからよろしくお願いします」
*****
入学して一か月経つ頃には、父の呪いによって二十四時間常に人間の姿でいる俺は、体力の限界を迎えようとしていた。
こんなこと、すぐに限界がくるに決まっている。
例え今日は耐えきっても、明日にはどうせ耐えられなくなるだろう。
頭ではそう分かっているのに、全ての人間から迫害される妄想のせいで、どうしても虎の姿になることができない。
しかし本当の本当に限界を迎えたある日、気を失うようにして眠った。
そして夜中に目が覚めたら、信じられないことに、何の前触れもなく、呪いが解かれていた。
「見たか。これが努力の天才の力よ!」
夢うつつに、そんな能天気な声が聞こえた気がした。
「あ、ゴメン目が覚めちゃった? 安心して、呪いは払えたよ。だから朝までそのまま寝ちゃって大丈夫」
「何だって!? 呪いを払っただと」
「あ、うん。ダメだった?」
ダメに決まっているだろう。そう言いながらも、心のどこかで期待していた。
もしかしたらこんな俺のことを、受け入れてくれるんじゃないかと。
天仙の知識のある大学の生徒なら……いや、この能天気な翠ならば。
いや、油断するな。夢を見るな。今まで何度も裏切られてきたらだろう?
いくら天仙の知識があるとはいえ、所詮は知識。実際に虎が目の前にいたら、人は恐怖するに決まっている。
自分とは明らかに違う者に対して、人虎が人間に受け入れられるだなんて、決して思うな!
「わあ、カッコいい」
そう言われた瞬間、プツンと緊張の糸が切れた。
本気で気にしていないことが分かる。こいつは演技でそう言えるほど、そんなに器用な奴じゃない。
今までに感じたほどのない強烈な眠気が襲ってきた。
翠の手が、俺の毛皮をなでる。虎の姿の時に人から撫でられたのは、生れて初めてだった。
でもそんなことを考えていられないほどの眠気が……
翠はやはり、俺が人虎であることを気にも留めない様子だった。
ほっとしたような、どうせそうなるだろうと思っていたような、不思議な気持ちだ。
これから俺は、俺たちの部屋では安心して、虎の姿でいられるんだろう。
ほとんど眠りながら、それだけは分かった。
まだ他の奴らにまで、この姿を見せる勇気はないけれど――。
大学に通う生徒の中に、普通に人虎も何人かいることに気が付くまで、あと数日という日の出来事。
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