禍日記と少女

芒硝 繊

第一話 少女と不思議

「一つ。6月17日。」


シャリンと鈴のような音がころりと聞こえるとともにガラスの割れる音が木霊し、少女の結っていた黒長い髪は重力に逆らい切れず下にストンと揺れ落ちる。

それが私には黒い柳風がたなびくかのように見えた。


突然と夜の教室に現れた少女は教壇、先生が立つ場所にてすっと口を開いた。


「二つ。9月5日。」


まただ。またシャリンと音がころりと聞こえた。


「三つ。4月3日。」


シャリリン。今度は私の足元から音が聞こえた。


「すみません、気づかなくて⋯⋯。どうぞ、こちらへ。」


その声とともに少女はこちらへと歩みを進め、少女のましろく冷やっこい手が私の手をそっと掴んだ。


そして教壇へと引っ張られた。私はこれは何だと聞こうと少女を見るも少女が私をチラッと覗くように見ていて。

何だかそのヒドく透き通った目が私自身を見透かしているように不意に感じた。


先ほどの足元に来たのが――と嫌な想像も拭い切れず渋々足を進めた。


「10月2日、しゅうえん。」


教壇へ着くや否や少女はその一声を上げた。そしてその声を皮切れに私は気付いた時には地面に倒れ伏した。


「ッ。」


背中を痛めたお陰なのか少し頭が冷静だ。

いや単に恐く少女の前で本音を言ったら全て見透かされそうだな、と感じたからか。下手な本音は言えないと直感的に感じる。

視界に学校の天井だと思われるものと黒板周辺が映っている。


「名目、木々の囃し立て。」


ぱたんと本が閉じる音がした。それは紛れもなく本が閉じるとき特有の音だった。


突然、風がふんわり吹き暖かな陽だまりを感じたかと思うと木々の揺れる葉音がした。

それはひとときの間のようにも永くも感じた。


ハッと気がつく頃には普通の教室で。

咄嗟に少女の方を見ようという魂胆で顔をそちらに向けると、少女はいつの間にか黒板の隅っこにぽつんといた。

無邪気に笑って身に纏う白い装束を揺らしている。


だけど、手元にも教壇にもどこにも本はなかった。


「あの――」

「しーっ。喋ってはいけません。」


鈴を転がすような可愛らしく凛とした声が自分の耳を駆け巡る。そんな少女は自分が喋ったことに怒っているようにも見える。


しゃべってはいけない⋯⋯。あ、声。咄嗟に手で口を覆う。


すると少女は仕方がないというようにひとため息吐き、


「更に欲しいものをお一つ。⋯⋯ふむ。分かりました、7月28日。」


何の前触れもなく手元に現れた本は少女に見やすいよう自ら開き少女の目の位置へと移動した。それを指でなぞりながら読み上げたと思う。

夢かな?


「ふふっ。」


突如、私の方を見て笑う少女。何か満足気だ。


「もう大丈夫ですよ。」


その言葉に一気に脱力感さえ感じた。突然のことに気を張っていたのかもう大丈夫と、その一言に安心を覚えたのかは分からない。


「不法侵入⋯⋯ですよね?」


思わず口から出た言葉はそんな言葉だった。私自身も驚いている。自分の肝が案外据わっていたことに。


「⋯⋯。」


少女は何も答えなかった。代わりに少女は先ほどの本を手に持っていた。


少女はゆっくりと本を開いた。


「この日記⋯⋯、完成させないといけないんです。」


完成させる? あぁ、日記を書いてか。


「わたし、この日記と一緒です。」

「一緒?」

「この日記はわたしの生命なんです。」

「――生命?」


なんだか嫌な予感がビリビリと伝わってくる。もうこれ以上この少女の言葉に耳を貸すな、と言う様な。


「知りたい⋯⋯ですか?」


確かに気にはなるけど、そこまでじゃ――


「知りたいです。」


え。口から言葉が。


「知りたいというのなら一緒に完成させましょう? 禍日記を。」


いや、そんなわけの分からないもの――


「混沌とは――。奪うものとは――。」


え?


「禍日記のようなものにも当てはまるでしょうね。」


にこりと笑って言う少女になんだか物凄くこの場を離れたくなった。


だけど、足が震えて――いや違う。動か、ない。

少女が鈴の音を鳴らしながらズイッと近寄り顔と口と鼻の先がすぐ近くに見える。

その無機質さすら感じる美貌が今はなんだかヒドく不気味に思えた。


「完成させましょう。」


少女は今度は真顔で言った。あ、こわい。


「そんなに怖がらずに。これは強制ですから。」


きょうせい? 今、強制って言ったのか? 不味い、逃げなきゃッ! 逃げ――あしが、うごかない。


「――。お名前は?」

「なまえ?」


ぼーっとする頭の中、少女はこちらを覗いていた。


「えぇ、名前です。」


わらっている。


「――、――。」


なんかふわふわ⋯⋯して――。視界は黒に染まった。



☆☆☆



う゛、うん。なんだか偏頭痛が酷いな。


「気がつきましたか?」

「ここは――?」


そう瞼を開いていくと少女がこちらを覗いている。あまりの痛さに頭を抑えつつ起き上がると廃工場のような場所だった。


「私の家です。」


え――、家?


「ここが? 親は?」

「えっと、もういません。」

「あ⋯⋯。」


もういない。つまり少女はずっと一人でここに?

流石にいくら変わった少女でもこれは看過出来ない。


「うち、来ない?」

「え?」

「両親と別居してるし、一人で寂しいからさ。どう?」

「有り難いです。ですがよろしいんですか? こんな得体のしれない⋯⋯。」


そうボソッと言った少女は自身に言い聞かせているようだった。


「いいんだよ。ま、変なことしたらその時は追い出すけどね。」

「あ、すみません。もうしちゃったんです。その変なこと。」

「は!?」


え、今変なことしたって言ったよね? 慌てて頭が痛いことを思い出す。

え、頭か? そう頭を触るも何ともなし。


「禍日記を使わせてもらいました。」

「は⋯⋯? どういうこと?」

「禍日記は元はか日記だったんです。」

「??」


ちょっとなに言ってるか分からない。


「か日記に定義はありませんでした。その性質を利用して少しばかり名前を頂戴致しました。」

「名前を頂戴? Why?」

「ですから、ちょっと従わなきゃならないとかそんな感じです。よくあるでしょう?」

「いや、あるけどさ⋯⋯。実際に起こるとは誰も思わないって!」

「すみません。」


そうショボくれた少女に何も言えなくなった。はぁ、とりあえず家行くか。


「お家ですか?」

「お家です。」


そんなやりとりをしながらも少女とはぐれないよう手を繋ぎ歩いて何とか駅まで辿り着き電車に乗って家へ向かった。


家に着くや否やはしゃぐ少女。鍵を開けて中に入る。


「はぁー、疲れた。途中、電車で変な目で見られたよ。」


そう電車に乗った少女を思い出す。少女は忘れていたが白い装束を着ていた。ので、当然みんながみんなチラチラ少女を見ていた。


少女は電車ではしゃぐわけでもなく、タダ大人しく座るだけ。それがどうも疲れた幻覚に思えたのか分からない。

だから、誰も触れなかった。チラチラ見るし、目は擦るけど誰も触れなかった。


「それはすみません。」

「そうだ。明日からどうするの?」

「明日から⋯⋯?」

「うん、禍日記完成させるって言ってたよね?」

「わたしが一人で出歩くと先ず声をかけられるんです。なので、誰かと一緒にいると思わせるか誰かと一緒にいなきゃダメなんです。」

「つ、つまり?」

「わたしも学校に行きます。」

「え? パードゥン?」

「パー? えっと、とにかく行きます。さ、最悪禍日記で記憶をいじ――」

「待って! それはヤバい。」

「ヤバ?」


うーん、色々と倫理が不味いし。


「⋯⋯そうだ! 禍日記で容姿ってイジれないの?」

「イジれます。ですが、想像力がないので肉塊になります。」

「どうして⋯⋯。」


ん? 想像力? 今の少女の写真を撮って、大人の姿をイメージすればよくない?


「ちょっと写真撮ってもいい?」

「構いませんけど、ブレッブレになりますよ。」

「どうして⋯⋯。」


「あと、わたしが禍日記を完成させること怒らないんですね。」

「え⋯⋯、言われてみれば。怒りが湧いてこない。」

「⋯⋯すみません。」

「どうして謝るの?」

「それ多分、わたしのせいです。」

「どうして⋯⋯。」


「あ。あとこれから毎晩。禍日記の夢を見ると思います。」

「どうして⋯⋯?」

「禍日記がか日記になれなかった理由を。」


そんな不穏な言葉を言い放つ少女。

ふと気付く。少女、あんな場所にいた割には全然汚れすらついてないな。

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