それで。

 家に着く。日付が変わった、午前0時半。


「じゃあ、」

「キス、は?」


 彼がそう言って、車から降りる私の服を引っ張った。


「……じゃあ。」


 軽く服を摘んでいた彼の指は、あっさりと離れた。


「……おやすみ」


 後ろを振り返らない私に、彼は寂しそうな声をかけて、車が遠ざかっていく。

 日中、あれほど私を見ないくせに。

 私がどれだけ一人で泣いていても、見もしないくせに。

 私が望むほんの少しの体温も、彼はくれないくせに。

 ――彼の思う体温だけ、私から奪っていこう、だなんて。

 家に入るわけでもなく、車から降りた足は、そのまま地面に突き刺さって動かない。

 ――無意識に。携帯が、一人の男を表示して、電話をかけていた。

 長く薄い関係のその男に電話をしたのはこれが初めてだと、電話越しに男の声を聞いて、やっと理解した。


《どうした、電話なんて》


 かち。すう、……

 火の付く音と、火を灯す息が聞こえた。


「私は、笑っていれば、良い?」


 問いに答える気力は、もう残っていなかった。


「私は、彼が言うままに、お人形を、していれば、それで――」

《――それで、お前は泣くんだろ》


 唐突な私の言葉に、男は付いてきて、遮って、私の心の奥底を抉った。

 頬を涙が流れて、そのまま、その場に崩れ落ちた。


《あー……言い過ぎた、ごめん》


 言い過ぎなんかではない。実際、男の言う通り、泣いてしまった私がいたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る