第20話
「いえぇぇえええええ!!俺の勝ちィィィイイイイ!!」
線の細い男がボクシングリングの上でガッツポーズを決めて勝鬨を上げていた。
勝ち誇った顔をカメラに向ける男。
その男の目の前には悔しさのあまり、歯を食いしばって涙を堪える男がリングに上に伏していた。
「どれだけ頑張って練習を積んでも探索者には勝てません!同じネコ科でも家ネコが虎には勝てないのと一緒なんだよ!」
偉そうに説教を垂れる男の名は
最近になって名を上げ始めた中級探索者である。
最近なにかと話題に上がりやすいダンジョン系配信者である彼の周りには、配信をサポートする取り巻きたちが一緒になって勝利に喜び、取れ高シーンを必死になって盛り上げていた。
対する相手方、スパーリングを引き受けてくれたプロのボクサー陣営はお通夜状態だった。
項垂れる、プロライセンスを持つ若手の選手をコーチ陣が肩を貸してリングから降ろしている。
慰めの言葉を掛けようと彼らも逡巡している様子が伺えるが、彼の普段の努力や矜持を知っているコーチ陣に掛けられる言葉など見つからないのだろう。
そんな彼らもまた悔しそうな表情を必死に嚙み殺していた。
「残酷っすよね~。探索者の適性があるかないかで男としての強さにここまで大きな差が開いちゃうんですから~」
曽我部の言う通り、探索者には適性が存在し、成れる者と成れない者が存在している
その違いは一つ、初めてダンジョンの中に入った時に、魔力の種と呼称される力の素をその身に受け入れることが出来るか否か。
たったそれだけだ。
しかし、たったそれだけの違いで超人に成れるか成れないかが決まる。
それがこの結果であり、ボクシング未経験者の曽我部が、素の身体能力だけでプロのボクサーを相手に一発KOを決めてしまうという残酷な結末を迎えることになったのだ。
「クソッ……クソッ……クソッ!」
プロボクサーの男が耐えきれずに悔しさを吐き出した。
「なん……だったんだよッ……俺の十五年間は!」
毎日の激しい練習、夜中にまで及ぶ研究、食事制限、遊びたいという欲求の我慢。
その弛まぬ努力がまだ若い彼をボクサー界の神童としての位置にまで押し上げてきた。
しかし、それがたった今、ボクシングの経験どころか、真面な運動すらしたこともないと公言している男にKO勝ちされてしまった。
自分の人生を否定されたような気持ちだった。
「いや~今回の企画に乗ってくれて嬉しかったっすよ!まさかあんなやっすい挑発に乗ってくれるなんて思わなかったすよ~。斜陽競技は大変っすね」
曽我部の言う通り、今や格闘技の興行は全盛期に比べ大きく衰退していた。
強い者が見たいという側面を持つそれらの興行は、ダンジョン配信や探索者たちの表舞台への台頭によって大きくシェアを奪われる形となっているからだ。
その業界に一石を投じたい、何より、格闘家を馬鹿にするこの男をぎゃふんと言わせたい。
その思いが彼にはあった。
ただの喧嘩ならまず勝てないことは分かっている。
【スキル】など使われれば成す術がないどころか簡単に死んでしまうことくらい馬鹿でも分かる。
しかし、このリングの上なら、聖域の中でなら、自分の今までの人生に誇りを持ってこの男に立ち会える自信が彼にはあった。
しかし、終わってみればこの様だ。
いい勝負すらさせてもらえなかった。
こちらの攻撃は単なる動体視力と反射速度だけで避けられ、曽我部のテレフォンパンチは数回避けるだけが精いっぱい。
相手にはなんの技術もないというのに、圧倒的な身体能力の差で成す術泣く意識を刈り取られた。
手加減が下手だからか、数十秒も意識を失うほどの威力だった。
「探索者になってたった半年ちょっとでこれよ!やっぱ俺って才能あるぅ~」
曽我部は学生時代帰宅部だった。
そしてスポーツをやっているクラスの陽キャ集団が嫌いだった。
その中でも格闘技をやっているような奴はガタイも良いし、気は大きいし、自信たっぷりで大声で話す、そんな奴が大っ嫌いだった。
しかしそいつらには探索者の適性はなく、自分にはあった。
人生逆転の瞬間だ。
満20歳を迎え、探索者ギルドに向かい、適性検査を突破した瞬間我が世の春を迎えたと感じた。
自分の中に何かが根付くような感覚と共に脳内に響いたスキル名。
それを行使すればダンジョンの魔物も余裕だった。
自分に探索者としての才能があったのか、なんなく倒せる敵を倒すだけでめきめきと実力を伸ばし、新しいスキルも次々と覚えていき、遂には中級探索者と呼ばれるようになる階層にまで到達を果たした。
到達までの期間も比較的に短く、上位10%ほどの早さだったらしい。
そしてその知名度を利用して、今や人気配信者としての地位を確立していた。
普段の企画の内容が過激なものが多いため、荒れ気味ではあるが、それでも数字は大きいし金になる。
なにより嫌いだと言ってくる奴など無視すればいいし、好きだと言ってくれる奴とだけ関わればいい。
アンチなんて実際に面と向かって会えば尻ごんで目を逸らす腰抜け野郎どもばかりだ。
金はある。
人気もある。
女だって学生時代からは考えられないほどに充実している。
本業がダンジョン稼業であるため、暴露系にいくら晒されようが懐にはなんらダメージはない。
今の曽我部は無敵な気分だった。
曽我部は尊大な態度のままリングから降り、取れ高は取れたからと満足して、相手に挨拶もせずにジムを後にした。
「さすが曽我部さんっすね!パンピーなんていちころだ!」
「あいつも馬鹿っすよ!探索者の中でもかなり強い曽我部さんからのスパーリングオファーをこんなに簡単に受けるんっすから。これで日本のボクシング界も終わりっすね」
取り巻き達が曽我部をせっせとよいしょする。
機嫌の良い内に媚びて置いて自分の印象を良くしておきたいからだ。
「そりゃ、直に上級探索者になるだろうと目されている俺からしたら探索者でもないただのボクサーなんて赤子同然に決まってるだろ」
外を歩く人だかりも気にせずに、大きな声で笑う曽我部に、一緒になって笑う取り巻きたち。
周りの人が今なお回り続けているカメラに顔を顰めるが、曽我部たちに気にする様子はまるでなく、スマホを片手にコメントを眺めている。
「だろ~?強かったろ~俺。そうそう、マジでパンチが止まって見えたよ。なんか腰とか捻ったりよくわかんねぇ動きしてるうちにぶん殴って終わったわ」
大笑いしながらコメントと談笑をする曽我部に、当然それを快く思わない層も中にはいる。
「あー?アンチはこんなところでしこしこコメント打ってねぇで直接俺の所にこいよ!相手してやっから!」
いつもの決まり文句でアンチを黙らせる。
昔よりもさらに簡単に開示請求ができるようになった現在では強い者に向かって注意を口にする事も躊躇われる時代となっていた。
────そういうの僕は感心しないなぁ
それでもなお張り合おうとするコメントに曽我部の目が留まった。
駐車場までの道を歩きながらコメントと談笑していた曽我部が立ち止まる。
「お前、住所教えろよ。直接話そうぜ」
その言葉に取り巻き達も慌て始める。
実際に弁護士に大金を積んで開示請求し、アンチコメントを残した男性の元まで押し掛けた過去があるからだ。
その時は流石に警察沙汰となって、ギルドからも厳重注意を受けた。
傷害事件等にはならなかったため、それだけで済んだが、今度もそうとは限らない。
怪我をさせれば今度こそ重たい処分を受けることだろう。
苛立ちを見せ始めた曽我部をどう宥めようかと取り巻き達があたふたし始めたとき、どこからか歩いてきた男性の肩が曽我部の肩とぶつかった。
「いってぇな!どこ見て歩いてるんだ!」
苛立つ曽我部がその男性に腹を立て怒鳴る。
しかし男性は飄々とした表情のまま、顔を合わせた。
綺麗な二重瞼が特徴の端正な顔立ちの若い男性。
曽我部よりやや背が高い程度の中肉中背のその男性の目は、しかし片方だけ妙に覇気のない虚ろな印象を取り巻きの二人は抱いた。
「意外と近くで見るとそんなんなんだね」
人当たりの良い笑顔とは裏腹に、口した言葉はまるで馬鹿にするようなものだった。
「は?なんだお前。俺が誰だか知ってんの?」
男性にガンを付ける曽我部に本格的にマズイと取り巻きが感じ取り、両者の仲裁に入った。
「曽我部さん!一般人はまずいですって!今度こそギルドから制裁加えられますよ!」
「曽我部さんが前に可愛いって言ってた女の子とアポ取れたんでそっちにいきましょう!あっちも曽我部さんのことカッコいいって言ってましたよ!─────ほらあんたも早く行ってくれ!」
「あ、おい!待てよ!」
取り巻きの二人に心配気な顔を向けたその男性が大人しく曽我部に背中を向けて歩き始め、それを見てまた曽我部が荒ぶる。
「僕は落ち込んだ知り合いの子を慰めに行きたいからこの辺で。じゃあ、またね。曽我部くん」
そう言った男性は曽我部たちの歩いてきた道を歩き、曲がり角へと姿を消した。
「くそ!舐めやがって!おい、お前。さっき言ってたことは本当だよな?」
「は、はい!モデルをやっている娘ですよ!」
「よし!今すぐ行くから連絡先教えろ!」
「は、はい!すぐに!」
女の子の連絡先をゲットして機嫌を取り直した曽我部に取り巻きが一息つく。
そしてその一人が、さっきの男性を思い出してふと思う。
(あれ?そう言えばあの人どこから来たんだろう。一本道だから、前から歩いてくれば気付きそうなものだけど……)
首を傾げるが、今はそれどころではないと胡麻磨りへと戻った。
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