プランナーさんと!

夏越リイユ|鞠坂小鞠

第1章 神様と、私と

《1》働く理由と窓の外

「ドアオープン十分前です! 身だしなみを確認した人から、自分の担当テーブルの最終確認に入ってー! 中村なかむらさんと海老えびはらさんはロビー係の卓も確認してくださーい!」

「はい!」


 飛び交う指示の中に自分の名前が入っていると気づくよりも前に、返事の声を張り上げる。

 並べられた銀食器に乱れはないか、バッグに入りそびれて椅子に置かれたままになっているギフト類はないか。目視で確認しつつ、乱れた箇所を手早く直していく。


 ――まさに、戦場。


 六月最初の土曜日、確かにカレンダーには〝大安〟と書かれていた。

 きっと忙しいだろう、全会場フル回転なんだろう……今日は朝からそう思って出勤してきた。ある程度の覚悟を決めていたにもかかわらず、それでもなお予想を上回る忙しさに、つい目が回りそうになる。


「ロビー、だいぶ埋まってきてます! どうですかー会場内? 若干でいいんでドアオープン早められます?」

「了解! 皆、ドアオープンして大丈夫ー!?」


 社員さんたちが交わす絶叫じみた声の直後、身だしなみの確認を終えたアルバイトスタッフが三、四人、あたふたと会場内に戻ってきた様子が視界の端に映った。

 先月入ってきたばかりの新しいバイト仲間たちも、ようやく仕事に慣れてきたらしい。しかし、同じ会場で本日二件目のパーティーということもあって、皆それぞれ表情に疲れが覗き始めている。それは多分、私も同じだけれど。


 先月――五月に入ってきた新人は全部で十人。そのうち六人が、五月のうちに辞めていった。おそらく、ここまでハードな仕事だとは思っていなかったのだと思う。疲弊した表情を浮かべながら去っていく新人のひとりを、同情の眼差しで見送ったのはつい先日のことだ。

 現在も残っているのは、根性の据わった精鋭たちだと思いたい。急に辞められると、結局、私を含めた他のバイトや社員――現場以外の部署の人たちも含め――にしわ寄せが来る。一度始めたなら、できれば長く続けてほしいものだと心から思ってしまう。


 ……って、社員でもない癖に、私はなにを考えている。


「はい、みんな表情硬いよー! 笑顔でお迎えしましょう、笑顔で! じゃあドアオープンしまーす!」


 会場責任者である社員さんの声が、会場内に凛と響く。

 気を引き締め口角を上げ、扉が開くそのときを待った。



     *



 海老原真由まゆ。二十一歳、市内の某国立大経済学部の三年生だ。

 およそ一年前から、ここ、専門結婚式場『セント・アンジェリエ』にてアルバイトをしている。


 元々は、長期休暇でもない限りバイトをする気はなかった。

 学費は両親が捻出してくれていたし、生活費だってそれほど多額ではないにせよ仕送りを受け取っていた。お金に困るような暮らし方をしているわけではないし、特に必要ない――そう考えていたものの、その考えは昨年あっさりと覆されてしまった。


 父が、急病で倒れたためだ。


 お父さんに付き添う日が増えるから、パートは辞めないといけない。仕送りも、今よりも減額せざるを得ない。学費の支払いは、貯蓄があるから今は大丈夫だけど、来年からは厳しくなるかもしれない。せっかく目標を持って入った大学なんだから、あんたにはちゃんと卒業してほしい……でも。

 申し訳なさそうにそう語る母の表情は、ひどく疲弊していた。もちろん私だって動揺したけれど、悔しげな父と母を見ていたら、その感情を両親にぶつける気は一瞬で失せた。


『奨学金の申請をしてみる。バイトも探してみるね』


 そう告げると、ふたり揃って謝罪の言葉を口にした。

 やめてよ、と震える手を握り締めて無理やり笑って、そこからはもう必死だった。


 夏休み直前の事務局に駆け込み、利子ありの奨学金の申請をし……その辺りの記憶は大概、綱渡りでもしているような気分とともに蘇ってしまう。

 審査の期間が比較的短く、借りたい額も選択できるからと、利子ありの奨学金の申請を行った。事情を説明する中で、総務の職員さんが親切にしてくれたことは鮮明に覚えている。


 半期に一度納める学費を、特別に月払いに切り替えてもらい、また毎月振り込まれる奨学金から学費を差し引いたお金はそのまま全額生活費にあてた。

 足りない分をバイトの給料で補えば、なんとかなるかもしれない。いや、なんとかしなければ。自分ひとりの力でやっていかなければ。その一心で煩雑な手続きを次々と済ませ、それだけで夏休みの半分は終わってしまった。


 父の医療費に、母の退職。家計の圧迫は想像に難くなかった。

 いくら保険や貯金があるとはいっても、私がふたりにかける負担はできるだけ少ないほうがいい。そう考え、『今年の分は大丈夫』と言われていた学費の受け取りも拒んだ。


『一度、全部奨学金でやってみるよ。だからそのお金はしっかり貯めておいて。厳しくなって泣きつくかもしれないからさ』


 奨学金の申請が通った日に電話でそう告げると、母は受話器の向こう側で、私に謝りながら力なく笑った。


 それから、残り半分の夏休みはバイト探しに奔走した。

 少しでも時給が高く、勤務時間が長めで、授業の受講に支障が出にくく、かつ長期で勤められる仕事を……そんな都合のいいバイトが本当に存在するのか、と不安に苛まれつつやっとのことで見つけた仕事が、セント・アンジェリエの料飲サービス係だった。


 地方都市ではなかなか見かけない、かなりの高時給。土日・祝日の勤務がほとんどであるにもかかわらず、月に十万円近く稼げるのも利点だった。それなら平日は授業に集中できる。

 大学や自宅アパートから遠くないという点もメリットだった。自家用車を持っておらず、また近くに駅やバス停がないため、私の通勤方法は自転車か徒歩に限られる。バスも一時間に一本などザラで、利用にはあまり期待ができなかった。


 バイトなんて選ばなければいくらでもあるとは聞くものの、自分の希望に近い仕事というものは本当に少ない。

 家庭教師の求人にも惹かれたが、時給こそ高くても一日に一、二時間程度しか働けない上、車を持たない学生にはそもそも不向きらしかった。居酒屋で深夜に働くことも考えた。しかし、こちらは面接時に『平日は働けないのか』と聞かれてしまい、丁重にお断りした。


 そして、セント・アンジェリエで働き始めた。


 はっきり言って、慣れるまでは地獄だった。仕事が終わる頃には足はパンパンにむくれ、また、疲れきった身体が迎える眠りは深い。次の日の朝を何度寝過ごしそうになったか分からなかった。

 だけど、生活がかかっているから辞められない。必死に食らいついて、身を粉にして仕事を覚えて、働き続けた。


 気づけば、あれから約一年。今では、社員さんからも常勤のパートさんからも名前と顔をしっかり覚えられているし、普通ならバイトには頼まないような仕事を任されることだってある。

 学校も、三年に上がってからは授業の負担がだいぶ減った。二年までにしっかり学業に励んでおいた分、学校に行かなくていい平日もあるくらいだ……でも。


 ここまで来るともう、本業が大学生なのかバイトなのか、よく分からなくなることもしばしばだ。

 バイトを始めた当初はそんな余裕なんてこれっぽっちもなかったけれど、今となっては、意外に接客の仕事って楽しいかもしれないと感じている自分がいる。こういう仕事もいいかな、と思うことも増えた。中学生の頃から目標にしてきた夢とは懸け離れている仕事であるにもかかわらず、だ。


 そろそろ、本格的に就職活動が始まってくる時期だ。

 長く目指してきた公認会計士になりたいと思う気持ちは、決して色褪せていなかった。今後は資格取得に向けて時間をあてていかなければとも思っている……でも。


 溜息が出そうになる。

 でも。けど。だって。このところの私は、ずっとその繰り返しだ。


 私、本当は、なにがしたいんだろう。


 今日もまた、その問いに明確な答えを見出せないまま仕事に明け暮れた。

 すべてのパーティーが終了して後片づけが始まった頃には、会場西側の巨大な窓から、控えめな夜景が遠慮がちに覗き始めていた。

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