第6話「浮気調査」
「ただいま帰りました」
「……リディア! 帰ったのか! おかえり!」
夜会帰りの妹に駆け寄り抱きつこうとした兄をサッと避け、私は階段へと上がった。
完全無視されたのにも関わらず、まだ階下で何か言っている兄のジョセフは、妹の私を猫っ可愛がりして愛している事を隠さない。
私だって家族愛が強いことはとても良いことだと思うけれど、我がダヴェンポート侯爵家の父と兄はどう考えても愛情表現が度を越している。
だから、私はそういう彼らとは正反対の態度を見せる男性、レンブラント様に惹かれるようになってしまったのも仕方ないことだと思う。
私が自室へと入れば侍女たちが心得たようにドレスを脱がせ、湯浴みをするために浴室へと導いた。
温かなお湯が溜められた湯船に浸かり、髪を優しい手つきで洗われながら、ふうっと大きくため息をつく。
レンブラント様には、他の女性が居る。それは事実だ。
だって、私にあんなにも冷たい態度を見せるのに、私のことを好きな訳なんてないと思うもの。
婚約者だから仕方ないと言わんばかりの、義務的な対応。何故かしら。彼のそういうところも、素敵だと思ってしまったの。
……私に対して、何の興味もなさそうなところも。
けれど、それはすべて、レンブラント様に他の女性が居ないという前提だったら……という話だ。
レンブラント様が、誰かに取られない前提だ。
その彼女とは身分違いで、身分の釣り合う私と結婚はするけれど、隠れて付き合おうとしているのかもしれない。
もしかしたら……私との結婚後も。
私はそれに何か言えるような立場ではない。愛されない妻。白い結婚の可能性だってある。
その時、背筋にゾゾっとしてしまう寒気が通り抜けた。
嫌。誰にも取られたくない。
とにかく、私が今すべきことはレンブラント様が恋をしている相手が誰であるか探り出すこと。
それに、恋愛指数最高値に行くまでの女性がどんなタイプかを知った上での彼の心を取り戻す傾向と対策。
そう思い至るほどに、婚約者のレンブラント様が好きであることに、この時に私はようやく気がついたのだ。
★♡◆
白の魔女が造ったとされる王城は、白亜の石造りで、晴れの日には明るい日光を弾いてきらめきまぶしい。
色々と覚悟を決めた私は、城の中を颯爽と歩いていた。しかも、本来ならばあまり出入りすることのない執務棟へと向かっていた。
廊下には急ぎ足の文官や、書類の束を持ちどこかへと運んでいる女官が歩き、仕事中の彼らの中でドレス姿の私は場違いだと思う。
けれど、そんな些細な事を気にしている場合でもなかったわ。
「ああ……リディア様! こちらにいらっしゃるなんて、とても珍しいですね。本日は殿下と、何かお約束がありましたか? 私がお聞きしていたご予定にはございませんでしたが、ちょうど今殿下は仕事の合間でして……もし良かったら、ご一緒にお茶でもいかがでしょう」
偶然、私を見掛けたらしいレンブラント様に仕える侍従アンドレは流れるような滑らかな口上で、主であるレンブラント様が今何しているか会えるなら会えるという事を数秒で伝えて来ようとしていた。
……いつも通り有能だわ。アンドレ。
私はにこにこと微笑む彼を見つめ、その笑顔を返すように微笑んだ。
レンブラント様の侍従アンドレは黒髪の美少年で、ライエル侯爵の次男なのだ。
爵位を継ぐ長男ではないので、優秀な頭脳を持つ彼は学ぶべき学業をすべて修めた上で、この年齢で既に働いている。
「……いいえ。まだ、会う予定はないの。アンドレ。むしろ私は、貴方に用があるのだけど」
ここでアンドレ本人に会えたのは、本当に偶然だった。
実はアンドレを呼んで貰おうと顔見知りの使用人を探していたら、折よく目的である彼が私へと寄って来てくれたのだから、私はとても運が良かったわ。
「は? ……私にですか?」
背の低いアンドレは私の言葉に驚いて、目を丸くしていた。
「……ええ。私は貴方に、どうしても協力を頼みたいのよ!」
そう言って私が彼に指差せばアンドレは何を誤解したのか、にこやかに笑い胸に手を当てた。
「ええ。構いません。レンブラント殿下のことでしょうか? そろそろ殿下のお誕生日ですし、そういった事でしたら、どうぞいくらでも私をお使いください」
どうやらアンドレは、私がレンブラント様に彼が驚くような誕生日の贈り物をしようとしていて、それを自分に手伝って欲しいのかもしれないと勘違いしたらしい。
けれど、誕生日プレゼントをサプライズで渡すなんて……今まで考えたこともなかったけれど、喜んでくれるかもしれないわね。
……これからの事がすべて上手くけば、やってみようかしら。
だって、私は彼に好かれようという努力をしていたかというと、そうでもなかった。
誰にも取られることがないと思っていたから、完全に油断をしていたのよ。
「いいえ。アンドレ。私はレンブラント様の浮気相手を……」
「わわっ……何を! りっ……リディア様! こちらへ……こちらへ」
私が彼に話をしようとしたところアンドレは慌てて私の手を掴み、近くの小部屋へと二人で連れ立って逃げ込んだ。
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