ホラホラ吹き

Φland

 飲み屋で管を巻く酔っ払いの扱いにも慣れてきたころ、その老人はやってきた。まだ一滴も飲んでいないのに、覚束ない足取りで席につくと、安く酔うための酒を端から端まで注文し始めた。決して高級そうなものには手を付けずに。


 あんまりにも安酒しか頼まないので、店主がサービスでアテをつけとくと、老人は年の割に明るい眼光を感謝の色に変えて小さく会釈した。今思うと、皺の多い顔に反して背筋は良かったし、服装もなんかちょっと変わってた。何と言うか、紳士風なんだけど、ラフでもあるような。


 でも、働いてるときはそんなことまで気が回らなかった。週末の店は混んでいて、常連さんに加えて花金のさらりまんまで入れ替わり立ち代わり、閉店時間まで押し寄せて来ていた。私は直前で休んだもう一人のバイトを恨みながらえっちらほっちら働いた。注文をとって、酒を注いで、たまに火の番もして、簡単な調理もして。笑顔も忘れずに。その間、その老人は席で微動だにせず右手に掴んだグラスを口に運び続けていた。


 絵画。『老人と飲み屋』そんなタイトルが頭に浮かべほど、老人が風景として馴染み始めたころ、ようやく店は落ち着き、あとは店主一人でも大丈夫になった。時間にしてみればたったの4時間ほど、最低賃金で働く私の懐に入るのは3600円程度。苦学生を自称する気はないけれど、一日働いてDSのソフトも買えないとなると泣けてくる。DS持ってないけど。だから私は、店主がつくるまかないを当然の権利として頂戴することに何らためらいはない。


 休みの分を増量してもらった。店主は卑しいものを見る目で私を見ていた。その視線をかわすために、私は老人の隣の席に座った。ここなら厨房の死角に入る。


「お疲れ様」


 老人のほうから話しかけてきた。私は「あ」とか「ん」とか適当な声をだして答えた。刺身やら唐揚げやら、適当な料理をご飯の上に持っただけの丼にがっつくのに忙しかったのだ。刺身と唐揚げが合うかって?さぁね。働いたあとなら何でも美味いさ。


「大学生?」老人がいう。


「あ」とか「ん」で答える。


「いつもここでバイトしてるの?」


「あ」「ん」


「あたしも昔、飲み屋でアルバイトをしていたことがあるんだよ」老人は目を細めて遠い過去を覗き見ていた。「あの時はまだ日本人にもケレンミがあって、お金はなくても貧しくはなかったほどだよ」


 ミスったぁ。仕事中、大人しく安酒を食らってるから油断したけど、ハズレの老人だったか。今すぐ席を移動したい。


「あたしがアルバイトをしていたその店なんだがね。店主が急逝してしまって、立ち行かなくなったことがあったんだ」老人は続けた。意に介さずに「でも常連さんはその店が好きだったし、何よりあっち系の人に金を工面してもらってたみたいで、早々に潰すわけにはいかないわけさ」


 老人の目が爛々とし始める。私は飯を食う。


「あたし以外にもアルバイトはいたんだが、あたしが一番適任だと周りに言われてね。不本意だったが問題が解決するまでの仮の店長として働くことになったんだ」


「へー」


「懐かしいなぁ。やくざの事務所に1人で乗り込んだこともあるんだぞ、あたしは。ショバ代だかなんだか知らないけど、早く金払えっていわれてね。待ってもらうように頼みにいったのさ」


「すごいっすね」


「だろう。さすがのあたしも怖気づいてね。懐に脇差を入れておいたくらいだよ。いや、相手をヤル気なんてないよ。もしも殺されるなら自分でと思ったまでさ」


「すごいっすね」


「でもすぐに懐を改められてね、組の一番エライ男に言われたのを今でも覚えてるよ。お前、こんなおもちゃで俺たち全員を殺す気だったのかって。事務所にはあたし以外に20人くらいの男がいてさ」


「・・・」


「あたしはそこで言ったわけさ、その脇差は親父からもらった懐中時計を質に入れて買ったもんだ。もし殺されるようなことがあるならそれで死にたいから。あたしを殺すならぜひそれで一思いにやってくれって」


「へー」


「そしたらば、妙に気に入ってもらえてね。店の支払いも待ってもらえて、なんなら他のやくざが寄り付かないように店を守ってくれるようになってね」


 いるんだよな。非日常的な世界とのつながりをステータスだと思ってる人間。どっちみち店は囲ってあるんだし、いい気にさせておいてせっせと金を運ばせる方があっちにとっても得。底の見えやすい男と見抜かれて付け込まれてるとも気づかずに。


「大層な経験をお持ちなんですね」私は言った。


「それだけじゃないぞ。その後あたしは綿花工場、製鉄工場、当時では珍しかったプラスチック工場なんかでも働いて、その都度幹部にまでなったのさ。それに比べたら最近の若者は...」


 私は丼の最後をかきこんだ。大変美味であったが、じじいのせいで楽しめなかった。イラつくので、少しやり返そう。


「君は将来なんの仕事をするつもりかね」老人がこっちに興味のある素振りを見せた。グラスを傾けて、氷を鳴らす。クソうざい。


「何も」私は言った。「将来の設計なんてしたことはありません。特に地元を出てからは」


 私がそう言った途端、老人の顔は若者を厳しいものに変わったが、裏には依然として膨れ上がった自己顕示欲が見え透いていた。それらが赤ら顔と混ざると、ただの妖怪になる。本人は今気持ちいんだろうが。


 私は老人が長ったらしい説教をする前の隙をついて話をつづけた。


「私の地元は酷く閉鎖的な所で、古くからの因習を重んじていました。北海道なんですけどね」


 もちろん嘘。私は江戸っ子。


「そこでは16歳になる男女は必ず『試練』を受けるんです」


「ほほう」老人の興味は驚くほど簡単にそれた。「その『試練』というのは」


「それが人によって違うんです。大きい街ではないので子どもの数もそんなに多くないです。ですから、個人にあった試練を大人たちが毎年用意するんです。でも、それが何時、何処で行われるかは本人には知らされない。分かっているのは、16歳の年の一年間が期間ということと、『試練』にクリアしなければ大人として認めてもらえないということだけです」


「君もクリアしたのかね?」


「いいえ。クリアできませんでした。ですから今は村を離れて暮らしています。一つの制約を受けて」


「制約?」


「『試練』クリアできないと、村から追い出されるだけじゃなく、ルールを課されるんです。それも個人によって違います。私の場合は先を見据えての行動を禁じられました」


「ふん」老人は鼻を鳴らした。「そんなものに拘束力などない。ましてや思考を縛るなんて、神でもなきゃできない」


「ええ、ごもっとも。ですができません。これはあの街を訪れなきゃ分からないことでしょうが、あの街にはそういう魔力が満ちてるんです。何と言うべきかよくわかりませんがね。制約を破って死んだ先輩も何人もいますし」


「破ったら死ぬのか」


「ええ、丁度先週一人亡くなりました、彼は一生四方を壁で囲われた空間に居てはならない制約を受けていました。不幸な事故です。いつもドアを半開きにしてあったのを大家が親切で閉じてしまったんです。中では彼が寝ていて、窓も閉めたままでした。気のゆるみがあったんでしょうね」


 私はいない友人の死を悼んだ。


「まだ『試練』の内容を聞いてなかった」老人が我慢できずに聞いてきた。「どんな『試練』だったんだ」


「ああ」私は遠い目をした。「私のときは、例外的に集団で『試練』が行われたんです。内容はキリスト教の説教を聞き続けること。耐えられなくなって、部屋から逃げ出した者から脱落です」


「誰がそんなこと考えるんだ」老人は信じられないと、馬鹿馬鹿しいの中間の表情をした。


「さっきも言ったじゃないですか。街の大人たちですよ。アイツらがそんなこと考えては、子どもたちをふるいにかけてるんです」


 私は食器を持って立ちあがった。


「では、さいなら」


「ちょっと待った」と、老人。「その街はどこにあるんだ」


 老人は私が教えるのが当然と思ってるに違いない。きっと今までもそうして生きてきたんだろうな。


「北海道ってさっき言いました。具体的な街の名前は言えませんけど。それも制約に含まれているので」


「その街に引っ越したらどうなるんだ?」


「さぁ。子どもなら『試練』を受けて、大人なら大人たちの仲間になるんじゃないですかね。じゃ、急いでるんで」


 私は足早に立ち去った。なるほど、一方的に話すのも悪くない。

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