第39話 曇り空
せっかくだからとこの町で一番豪華そうな屋敷を借りて、その寝室にクローバーを寝かせた。
そして今は、またシェルターの入り口の前まで来ている。
コロンは、どうしてまたここに? というような様子で、そしていつ人間が出てくるかという怯えた表情でシェルターの扉を見ていた。
そのシェルターの扉は中から開けられないように、そして外からは開けられるように、扉に楔を噛ませるように打ち込んでおいた。
こうしているのはこの扉一か所だけ。
その他の扉は、溶かした鉄を扉と扉枠に流して、中と外どちらからも開かないようにしている。
女神からの依頼は人間を矯正すること。すべての扉を封鎖してしまったら、このシェルターの中ですべての人間が餓死してしまう。それでは矯正ではない。
それはさておき。
コロンを連れてここに来たのは、人間だけでなく人という生物にまで怯えるようになってしまったコロンのため。
一度隊長に負けて逃げ出した俺に、コロンは代わりに行くと言ってくれた。
行動で示そうとしてくれたコロンに、俺もコロンの人間に対する恐怖を和らげたいと思った。
もちろん、話を聞くだけなんて論外。
行動で何かを示さなければ、恐怖を和らげるなんてできないから。
「あの、どうして、ここに来たんですか?」
「……なあ、コロンさん。コロンさんは人間が怖い、よな」
「え……、は、はい。そうです、けど」
「そんな人間が、無様に倒れているところ、見たくないか?」
「え……? もしかし、て、このシェルターの中に、入るんですか?」
「ああ」
「む、無理です。こわい、です」
「……怖いのは承知している。もちろん無理強いはしない」
「そ、それに、えと、そうです、毒が、残ってます。危険です」
「いや、窒息死しないためにほんの少しだが空気循環をしている。そこから逃げているから今は毒は残っていないはずだ。……なあ、コロンさん。一度考えてみてほしい。今まで恐れていた人間が、為す術無く地面に倒れている姿を」
コロンはシェルターへと続く扉をちらりと見て、目をつぶりしばらく考え込む。
俺は人間が倒れている姿を見て、なんだ、こんなものかと肩の荷が下りた気がした。
もちろん、それは俺の場合。コロンの悩みとは別問題だろう。
「悩みは人それぞれで、俺のこんな安い案で解決するなんて思ってはいない。そんな軽い悩みではないことは分かって……いや、どれほど深いものなのかは結局本人しかわからないな。すまない、正直コロンさんの悩みがどれだけ辛いものかはわからない。だが、少しだけ、和らげることはできるかもしれない」
「……」
「もし本当に嫌なら、断ってしまって構わない。怖いからと、このまま絶望の海に漂っているのも楽だからな。……ああ、突き放しているわけじゃない。俺もそうしているほうが楽だということは知っている」
「……」
「ただ、もしも、ほんの少しでもいいから、この気持ちを失くしたいと考えてくれているなら、俺と一緒にシェルターの中に入ってほしい。見るだけでいいんだ。絶対に後悔はさせない。マヒ毒で動けないからコロンさんに危害を加えるにんげ――」
「入って、みようとおも、い、ます」
「――っ。そ、そうか。ありがとう」
「い、いえ、お礼は、その、私の方こそ、です」
ほんの少しだけ微笑むと、すぐにその頬を真剣にしめるとシェルターに続く扉を眺める。
俺は扉に噛ませていた楔を取り外した。
「じゃあ、開けるぞ?」
「は、はい」
俺が扉に手をかけると、後ろでざざっという後ずさる足音が聞こえる。
俺はなるべく怖がらせないように、扉をゆっくりと開いた。
アストマさんは私の方を何度も振り返って、「大丈夫だ」と、言ってくれます。
そのおかげで、私は何とかシェルターの扉をくぐることが出来ました。
私が扉を閉めると、アストマさんはしっかりと待ってくれたみたいで、目が合いました。
頷くと、アストマさんは階段を下りていきます。
こつこつと地下のシェルターに私たちの足音が響いて、その音で下の人たちが起きてきてしまうのではないかと思いました。
けど、アストマさんはマヒ毒を撒いてくれました。
寝ているわけではないです。
足音一つで起きてくるはずがないです。
そう思いながらも、なるべく足音を立てないようにそろりと階段を下りていきました。
もし足を踏み外したら一番下まで落ちていって、人たちの元へと投げ出されるかもしれない。
そう考えたら腕を冷たいもので撫でられたような感じがして、私はいつもの通りに胸に手をあてながら一段一段を慎重に下りていきました。
アストマさんはそんな私を急かしもせず、むしろ私の下りる速度に合わせてゆっくりと降りてくれます。
そのおかげで私は、階段を下りる速度を少し早められました。
下りていくたびに段々と気温が低くなっていって、少し肌寒いなと感じた頃、それは見えました。
大きくて武骨な靴。そこから伸びるすね毛で覆われた足。
「っ……」
私はぎゅっと目をつむりました。
視界が真っ暗に覆われて、激しく鳴り響いていた心臓の鼓動が僅かに収まります。
「大丈夫だ。意識は失っている。ただ倒れているだけだ。コロンさんに危害を加えるわけじゃない」
アストマさんの言葉におそるおそる目を開いて見てみると、……確かに足はぴくりとも動きません。
「目を開いてくれてありがとう。コロンさんは凄いな。嫌なことから目を背けない」
「い、いえ。あの、アストマ、さんが、声をかけてくれたから、です」
「その強さはコロンさんのものだ。さあ、あと少しだ」
そう言いながら、アストマさんは私に手を伸ばしてきます。
私はどうしようかと手を虚空に迷わせた後、手を握――やっぱり少し恥ずかしいので、袖口をつまみました。
そして一歩一歩慎重に下りていきます。
やがて、倒れていた人の全貌が見えてきました。
その人は手足を投げ出すようにして、口からだらだらと涎を流して仰向けで倒れています。
それを見た瞬間、無意識のうちに入っていた肩の力が抜けていきました。
――私に石を投げつけてきたあの手は、今は何も握れないほどにだらしなく地面に投げ出されていて。
――私に鈍器のように重い罵声を、ナイフのように鋭い罵声を浴びせた口は、なんにも喋れないのに無意味にぱかりと開かれて。
――なんですか。これが、私を傷つけた、人? 人間? ですか?
私は、握ったアストマさんの裾を離しました。
「コロンさん?」
つままれていた袖口がぱっと離されて、俺は振り返る。
「……コロン、さん?」
コロンは両手をだらんと脱力させていて、シェルター内に横たわる人間を、光を失った曇天のスカイブルーの瞳で見つめていた。
「なんですか……」
小さく呟くと、階段をゆっくりと下りてくる。
今度は足元を確認しながらではなく、倒れ伏す人間をじっと見つめながら。
階段で止まっていた俺を追い越して、コロンはなおも階段を下りていく。
と、コロンは腰に手をやる。
金属が引き抜かれる音が響き、コロンの手には一握りのナイフが。
階段を下りきると、そのままの速度で人間に近づいていく。
すたすたと足音を鳴らしながら歩くその姿には震えのひとつも感じさせない。
やがて人間の傍までたどり着くと、冷ややかな視線を浴びせながらしゃがみ込む。
「ずっと、這いつくばっていればいい、です」
そして手に持っていたナイフを、音もなくすっと振り下ろす。
無抵抗に体内に侵入したナイフをそのままに、コロンはその傷口をじっと見つめていた。
マヒ毒が効いているのかピクリとも動かない人間の傷口からだらだらと血が溢れだす。
それが肌を伝って地面に落ちて、血だまりになる過程を眺めている。
その姿は、惰性で積み木遊びを続ける子供の様に淡々としていた。
と、不意にコロンは立ち上がると、くるりと俺の方へと向き直る。
「さあ、帰りましょう」
「あ、ああ。そうだな」
「これ以上は、この人たちと同じになってしまいます。無抵抗の人間を、私のために殺すのは」
そう言うと突き刺さったナイフを引き抜き、すたすたとその場を離れていく。
そして俺の脇を通り過ぎて階段を上ろうとして、立ち止まる。
「ん? どうした?」
「あの、アストマさん。連れてきてくれて、ありがとうございます」
「いや、こんなこと、お礼を言われるまでもない」
「すこし、すっきりしました」
コロンはくるりと振り返り、俺の元へと戻ってくると。
「ですが、やっぱり少し、怖いです……ね?」
曇天のスカイブルーの瞳を向けて、くすりと口角を上げながら、俺の袖口を握ってきた。
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