天の岩戸ふたたび

@wlm6223

天の岩戸ふたたび

 昼間がなくなってから二百五十六日が経った。

 突然、太陽活動が沈静化し地球上はどこでも夜の世界が広がっていった。

 それは農作地でも、紛争地帯でも、都市部の繁華街でも同様だった。

 農作物は枯れ果て世界的な穀物不足が懸念となった。もちろん、各国で穀物・野菜類・果実類を巡る分捕りあいが始まり、国連は破綻寸前だった。エネルギー問題も勃発した。秩序ある国際社会とはいえ、いざとなるとこの有様だ。普段の平和時には考えられない国際間の詐謀偽計が張り巡らされた。所詮、国連は平和時の先進国が作った砂上の楼閣だったことが世界中にバレた。

 日照がないせいで地球上のあらゆる生態系が狂いはじめた。漁業では未知の深海業が水揚げされ、急速な気温低下で家畜たちは死の際に立たされた。

 各国の天文学者たちも頭をひねって困り果てていた。太陽にもおよそ十一年周期で活動周期があるのだが、今回の場合は太陽の「活動停止」といってもよかった。それはなんの前触れもなく起こり、あの嫌というほど出ていた黒点もフレアも一切なくなっていたのだ。学者たちは考えられる原因と対策を何とか捻りだそうとし、荒唐無稽な論文がいくつも発表された。しかし、どれも現実には瑕疵のあるものばかりで、この世界的困難を解決する打開策はそこには見出されなかった。

 世界中が夜に包まれていた。ここ東京にもそのれは同様だった。

 新宿・渋谷・池袋は文字通りの不夜城となり極端に治安が悪化していった。のみならずそういった場所には生鮮食品や米を売る闇屋が現れ、その生産者不明の食品が高値で取引されていた。いかがわしい連中が跋扈し、堅気を相手に阿漕な商売がまかり通るようになっていた。このご時世、仕方あるまいと巡査たちもそれを黙認していた。

 世も末だ。そんな諦観が各国の首脳たちの脳裏をかすめた。

 そんな矢先、宮崎県高千穂町である一人の女が拘束された。

 その途端、太陽はそれまでの「活動停止」から急に息を吹き返し、また活発に陽を上げるようになった。

 何が起こったのか、誰にも分からなかったが、結果論、この女の出現により世界は救われたのだ。

 ことの大きさから警察は女を東京の警視庁本部へと移送し、取り調べることとなった。

「久しぶりの夜明けだな」

 老練の山下刑事――通称ヤマさん――は相棒の富山刑事に呟いた。

「いや、寒かったですよね。これで世界はまた元通りですよ」

「それはどうかなあ。いままでのダメージが大きすぎる。回復には十数年かかる、なんてテレビで専門家が言ってたよ」

「ヤマさん、テレビ観れたんですか? うちは輪番停電でたまにしか観れなかったですよ」

「まあ、うちもそうだったけどね。この一日二日で電気が回復したから観れたんだ」

「そういうことでしたか」

 山下はこれから始まる高千穂町で見付かった女の取り調べに備えて何か思案しているようだった。

 山下と富山は取調室に入りその女の取り調べの準備をした。女が発見されてからこの方、捜査で判明した調書を読んでいった。

 女が発見された場所と状況、身元、親近者、過去の交友関係、とくに反社との関わりなど――それら一切は「不明」となっていた。ただ、注釈として「妄言癖あり」とあった。

 この女は全く世間とは没交渉で何年も自分一人で生きていたのか。それはさぞ苦しかっただろう――山下はそう考え、その女の対応は慎重に進めるべきだ、と判断した。

 取調室の扉が開いた。二人の刑事に付き添われて女が入ってきた。付き添いの刑事に「どうぞ」と促され女は席に着いた。

 女はどこか超然とした風を醸し出していた。古い方の美人で、純白のワンピースがよく似合う。その白さと女から醸し出される神々しさとで山下と富山は、これまで取り調べてきた犯罪者とは一線を画する相手だとすぐに理解した。即ち、この女は犯罪者ではない、と。

 山下が女と対面に座り、富山が女の背後に回った。もし女が暴れ出したときのために羽交い締めするためだ。

「どうも。山下と申します」

「……こんにちは」

「まずはお名前と住所をお願いできますか」「天照大神と申します。住所は高天原です」

 山下は顔色を変えなかったがコイツは相当な難物だなと思った。

「アマテラス……というと古事記に出てくるあの神様ですか」

「ええ。そうです」

 コイツは本物の狂女だ、と山下は判断した。女の背後にいる富山もポケットに突っ込んでいた両手を出し、臨戦態勢をとった。

「で、今までどこにいたんですか」

「ずっと高天原で暮らしていました。時々下界の様子を見て過ごして来ました。ですが……」

「なんでしょう」

「また弟が乱暴をし始めたんで、嫌気が差して天の岩戸に隠れておりました」

「弟さんがいらっしゃるんですね」

「ええ。古事記はお読みになったことはございますか」

「いやあ、失礼。読んだことはありますが内容は殆ど忘れてしまいました。ですが『天の岩戸伝説』は覚えてますよ。その弟さん……お名前はなんと仰いましたっけ?」

「素戔嗚尊です」

「その弟さんはなぜ乱暴を働くようになったんでしょうか」

「喚き散らすばかりで何を言っているのはっきりか分かりませんでしたが……せっかく日本を造ってやったのに下界の人間立ちは人心が乱れ、神々への畏敬の念すら失っている、というようなことを言っていました」

「ほう」

「弟はそこで下界の環境破壊をするように人間に働きかけたんです。まず気候を操り、終わりのない紛争を起こさせ、飢餓地帯を造りました」

「それであなたはどうしたんですか」

「弟にそんなことは止めなさい。そんなことでは善良な人間が被害を被ってしまう。それに人心は目覚めれば必ず良い方向へ向かうと説得したのですが、聞き入れてもらえませんでした」

「なるほど」

「私は弟のあまりの乱暴に嫌気が差して、また天の岩戸に隠れました」

 それで太陽が活動停止したということか。

「いやあ、そういうわけでしたか。あなたが天の岩戸に隠れている間、われわれ人間は大変な思いをしたんですよ。作物は育ちませんし、夜の世界は悪人に支配されていましたし」

「その点は申し訳ないと思っています。特に妹にも大変な思いをさせてしまいました」

「うん? 妹さんもいらっしゃると?」

「はい。月読命といいます。妹は夜の世界を統治しています」

「そうでしたか。でもこの夜が続いた約二百五十日ちょっと。色々な問題が噴出したんですよ。治安は荒れるし、日照がないもんですから作物は育ちませんし、世界の各地でブラックマーケットができたんですよ。これじゃ、まるで中世の飢饉ですよ」

「妹も万能ではありません。いくら神とはいえ下界の全てを制御できるわけではありませんから」

「アマテラスさんが引き籠もった理由とその結果が上手くいかなかった理由は分かりました。で、どうしてまた姿を顕すようになったんですか」

 僅かの沈黙が流れた。

「妹が泣いて懇願してきたからです」

「ちょっと詳しく教えて頂けませんか」

「妹も下界が混乱しているのは知っていました。妹の力では下界の全てを制御できなかったんです。ですが私は妹の神通力を過信していました。私がいなくても下界は上手くいく。私がいなくても大丈夫だと思っていたんです。ですが妹が天の岩戸の前で下界の現状を泣きながら訴えてきたんです。下界の世は闇に閉ざされつつある。良民が苦しみ悪民がのうのうと跋扈していると。そこで私は思い出したんです。最初に天の岩戸に隠れていた時のことを。その時と全く同じことが起きているんだと。私がいないだけでこうも下界が混沌とするとは思っていませんでした。私が最初に天の岩戸に隠れたのは二千年以上前の話ですよ? なのに下界の人間たちはそれから一向に進化していなかったんです。下界では――特に日本では――特に信心そのものが殆どなくなっているのは高天原から見て知っていました。信心があってもそれは外国の宗教を信奉する人間ばかりになっていました。ああ、もう私は用のない神に成り下がってしまったのかと思いました。そんな時に妹が天の岩戸に現れたんです。お姉ちゃん、今すぐ出てきて。私だけじゃ下界の混乱を制御できない、と」

「それで出てこられたんですか」

「はい」

「でもそれでは警察は動きませんよね」

「はい。妹が私の捜索願を警察に出したそうなんです」

「はい?」

「姉がこの洞窟の中で引き籠もって出てこない。何とかしてくれ、と」

「ほう」

「私は天の岩戸の扉が崩れ落ちていくを見ました。重機というのですか? あやかしの技でできているのでしょうか、神の力をもってしても開くことのできない扉を粉砕したんです」

 たしか天の岩戸は神域か何かになっていて立ち入り禁止になっているんじゃなかったっけ? どうやってそんな所に重機を手配できた? と山下は思ったが、そこは突っ込まないでおいた。

「そして私は今の下界の現状を見たんです。それは散々なものでした。ただ太陽がないだけで悪鬼と違わない人間たちが大手を奮っていたんです。私がいないばっかりに、良民が苦しめられている。これではいけないと思いました。素戔嗚尊のことが引っかかりましたが、もうそれどころではない、私が出て行かなければならない、と思ったんです」

 そこで太陽神の天照大神の再臨となったわけか。

「もう兄弟喧嘩で下界を惑わすのは止めようと思ったんです。私たちが手を振れば台風が起きる。足を踏みしめれば地震が起きる。そういうことに気が付いたんです。ですからこれからは高天原でいつも大人しく、心を惑わされず平穏に暮らしていこう。そう思ったんです」

 なるほど。山下は多少の論理の飛躍は無視してその結果の「平穏に暮らす」という結論に今後の平穏を確信した。

「分かりました。無事妹さんの捜索願も受理されましたし、あなたが今後無事に元の世界に戻られるとのことですから、これで捜査は終了とせていただきます。それではここに書いてある内容を調書に書き写して下さい。それで今回の事件は無事終了となります」

「大変ご迷惑お掛けしました」

 女は山下が差し出した白紙の調書とその原稿を女に渡した。女は流麗な筆致で調書に筆写していった。

 一通りの作業が終わると山下と富山は待合室にいる女の妹に女を預けた。

「姉が大変ご迷惑をお掛けしました」

「いえいえ。ご無事で見付かって何よりです」

「それでは私たちは高天原へ戻りますのでこれで失礼します」

 富山は刑事の癖でつい言い慣れた言葉で見送った。

「ご協力ありがとうございました」

 天照大神と月読命は肩を落としながら警察署を出て行った。

 時刻は午前六時二十三分。辺りはすっかり明るくなっていた。

 何と言っても久しぶりに太陽がその陽を地上に落としたのだ。多少の熱気に体が追いつきそうになかったが山下はそれを不快とは思わなかった。

「ヤマさん、あの二人、何者だったんでしょうね」

「本当の所はおれにも分からん。だけどこうして太陽がまた輝き始めたんだ。もうそれでいいじゃないか」

「ひょっとしてわれわれは世界の危機を救ったとか?」

「そうなのかなあ。全く実感が湧かないけど」

「とにかくこれでまた元の生活が取り戻せるんでしょうね」

「ああ。多分な」

 山下はいい加減な返事をした。

 自分が世界を救った? 山下にはその発想はなかったが、富山がそう思っているらしいのが山下には不思議だった。

 この二百五十六日間の闇夜はもう過去のことになるだろう。

 空は薄く明るく輝いていた。朝の空気は鮮烈でその一呼吸が快かった。一仕事終わった開放感と満足感が山下の裡に沸き起こった。

 これで今日はもう上がろうかな。山下は至って暢気にそう思った。

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