第12話 馬上の人

 心地良い揺れに増す眠気と相反する緊張感。背中に感じる弾力と耳元で響く息遣いに、エリザベスの緊張はさらに増していく。


 時は数時間前に遡る。アイリスとミランダとの半年ぶりのお茶会を楽しんでいたエリザベスの前に突然乱入したハインツと、友人令嬢二人のパートナー。あれよあれよと言う間に、ランチも兼ねて遠乗りへ行くことが決まっていた。そこまではエリザベスも異論はなかった。しかし、そこからが大問題だった。


 遠乗りに不慣れなアイリスとミランダは、それぞれのパートナーと相乗りするのは当然だ。しかし、領地での乗馬に慣れているエリザベスまで相乗りする必要などない。それなのに、なぜかハインツと相乗りすることになっていた。


(厩には、たくさんの馬がいるのよ。その中から勝手に好きな馬を選べば良いだけじゃない! どうして私の愛馬に一緒に乗ることになるのよ)


 皆の前で言い合いをする訳にも行かず、エリザベスはハインツと相乗りすることが決まっていた。手を取られ、気づいた時には馬上の人となっていたエリザベスへ降りかかる眠気という災難。


(眠いぃぃ……眠いぃぃ……)


 心地よい揺れに眠気がさらに増していく。昨晩からの寝不足もあり、ハインツが腰を抱いていなければ落馬していただろう。


(こんなことなら始めから遠乗りをお断りしておけば良かったわ)


「エリザベス、眠いですか?」


「へっ?」


「昨晩、寝られなかったのでしょ。目の下に隈が出来てます」


「ウソ!?」


 慌てて目の下を擦るが、そんな事で隈が取れるはずはない。そんな事にすら気づかない程度には、エリザベスの頭は働いていなかった。


「あんまり擦ると傷になりますよ」


 片手で器用に手綱を操るハインツに、もう片方の手で目の下を擦る指先を掴まれる。キュッと握られた指先がジンっと痺れ、エリザベスの全身を支配する。


(うそ……手――)


 エリザベスは、視界に写った手を慌てて引くが解くことが出来ない。


「手……離して……」


「どうしてですか?」


「嫌だからよ」


「嫌? なら、どうして相乗りを断らなかったのですか?」


「あの流れで断れる訳ないじゃない! アイリス様もミランダ様も相乗りするのに、私だけ断る訳にも……」


「あぁ、私の顔を立ててくれたのですね」


「そんなつもりじゃないわよ」


「じゃあ、やはりエリザベスは私と相乗りしたかったのですね。夜這いするくらいですから」


「なっ!? そんな訳ない!」


「こら、暴れない。落馬しますよ」


 あまりの言われように怒り背後を振り返ったエリザベスを、笑みを浮かべたハインツが嗜める。


(誰のせいだと思っているのよ!)


 笑みを浮かべたハインツの顔を見れば、揶揄われている事は明白だった。しかし、怒りを覚えても不安定な馬上で無闇に動くのは危険だ。エリザベスは大人しく前を向くしかない。


「そうそう、大人しくね。では、話を戻しましょうか」


「貴方と話す事なんて何もないわ」


「そうですか? 気になっているのではないですか。私がベイカー公爵領へ来た理由が」


「えっと……そうね、気になってはいるわ。どうせ碌な理由じゃないでしょうけど」


「そんな可愛くない口の利き方して良いのですかね? エリザベスの将来に関する事なのに」


「私の将来に関する事?」


「えぇ。貴方の将来に関する事です」


 急に声色を変えたハインツの態度に、エリザベスの不安が増していく。


(私の将来の事って、まさかね)


「ふん! 私の将来は、ベイカー公爵家が決める事であって、ハインツ様の口から聞くものではありませんわ」


「そんな事言ってよろしいのですか? 貴方の今後が私に委ねられているとしてもですか?」


「はぁ!? いったいどう言う事よ!」


 エリザベスの放った驚き声に前を行く二頭が止まり、こちらを振り返る。その様子に慌ててエリザベスは口を噤んだ。


「ハインツ! 何か問題でもあったか?」


「いいや、何もない。ただ、エリザベス嬢なんだが、少し気分が悪そうだ。このまま公爵邸へ帰るから、皆はそのまま遠乗りを楽しんでくれ」


 先頭を行くカイルの声に、ハインツが適当な返事をする。


「わかった! ハインツ、気をつけて。エリザベス嬢の事、頼むぞ」


 そう言って、馬首を前へと戻したカイルとルイが馬を走らせ、駆けていく。


「ちょっと! 気分が悪いなんて一言も言っていないじゃない」


「そうですか? 見るからに眠そうですが」


「うっ……」


「それに、あいつらに私が此処に来た真の目的を聴かれても良いなら呼び戻しますが。それを聴かれて困るのはエリザベスだと思いますよ。逃げられなくなる」


 ハインツ様は人に聴かれてはマズい話をしようとしているの?


 煽られる恐怖心に言葉が続かない。


「わかってくれたようですね。では、参りましょうか。誰もいない場所へ」


 馬首を今来た道とは反対方向へと向けると、指示を受けた馬が駆け出す。木々の間を抜け、どんどんと森の中を進み着いた先は、あの泉だった。

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