牡丹の蕾

@wlm6223

牡丹の蕾

 不惑を過ぎ白髪が目立つようになると、色々と人生に諦念を感じ始めるようになった。

 私の会社員人生も半ばを過ぎ、定年までの道筋も概ね見えてきた。悪くもなく、良くもなく、部長止まりで定年退職するだろう。会社員として、学閥だとか○○派や××派などといったもののない会社で生活できたのは、私のようなFラン大学卒の人間にはとても有り難かった。先輩・後輩にも恵まれ、多少の波風に揺られる程度で過ごしてこれた日々が、これからも続くと思うと、その平穏な生活に職場のみんなへ感謝したいほどだ。

 プライベートでも同様。

 貧でもなく富でもなく、ここ国分寺の一軒家で老後を迎え、一社会人として人生を終えるのだろう。その事に多少の寂寞は感じるが、これもまた良しとしておこう。

 二十五歳で妻を娶り、この地で生涯を終えるのに何の不満もなかった。

 ただ心残りがあるとすれば、子宝に恵まれなかった事だ。こればかりは天の采配なので仕方ない。私は妻と二人きりでこの地に根を張って成長し(大人になっても成長するものなのだ)、老い、そしてこの世から去っていくのだろう。

 血気盛んな人が見れば退屈な人生を送りやがって、と言われるだろうが、その平々凡々な人生を私は愛していた。

 しかし胸の奥底で、本当にこのまま日本の社会制度に則ったレールの上を走るだけで満足なのか、という疑念がない訳ではなかった。

 だからといって熟年離婚しようとか、一念発起し独立して会社を興し、一国一城の主になろうといった気概もなかった。

 もうこの退屈な人生のレールの上を走るのに慣れきってしまい、他の選択肢を選ぶのが億劫になっているのだ。が、その他の道が茨の道であったり泥沼であったりするのも知っているので、なかなか新たな人生を始めようとする勇気が持てなくなっていたのも事実だ。

 人生の始めが初春だとすれば青春時代は春で、成人して夏を迎えたといったところだ。

 これまで何も仕事一筋で無趣味のまま人生を過ごしてきた訳ではない。

 私もかつて若い時分にはアマオケでチェロをやっていた。妻の京子と出会えたのもそのお陰だ。しかし仕事に追われる毎日を過ごすうちに自然とチェロとも疎遠になってしまった。たしか結婚して二三年はアマオケに所属していたと覚えている。何もチェロが、音楽が嫌になったのではない。何故か生活の中からチェロが自然と立ち消えてしまっていたのだ。

 今の私は年齢を考えると秋を迎えた頃だと思う。これから来る冬に向けて防寒の準備をしなければならない時期だ。

 とはいえ、日常はあっという間に過ぎ去っていく。いつ冬が来るのか、その寒さに耐えられるのか、そういった不安があった。

 妻が先立つのを見送るか、妻の介助の中で見送られるか、そういった事が段々実感されてきた。

 年齢でいえば秋だが、実際の季節は梅雨だった。

 日本には四季があるというが、この短い雨期を勘定しないのには以前から不思議に思ってきた。しかし、「雨期」などとそのままの言葉で表すのではなく「梅雨」と書くのがいかにも日本人らしいとも思った。

 その他大勢と同じく、私も雨を好まなかった。

 特に梅雨時期は気温も高く蒸し暑くなるし、何より通勤電車の中が人間臭くて嫌になってしまう。それにいくら夏服のスーツとはいえ、その服装のせいでそもそも暑い。スーツは寒い国の冬の礼服なのだから当たり前だ。こんな単純な問題も社会的同調圧力で押し切る日本の習慣は、さっさと見切りを付けた方が良いと思うのだが、その主張の張本人である私も夏のスーツを来て毎日通勤している。

 会社員という職業上、土日は休みだ。今日はいつものスーツではなく短パンティーシャツで過ごせる。これだけでも実に有り難い。

 昨日の金曜日、梅雨入り宣言があった。

 今年の梅雨入りは稀にあるように「梅雨入りしてました」宣言ではなく、ちゃんと気象庁が予想していた通りになった。

 早速朝からパラパラと小雨とも本降りともつかない雨が降っていた。

 今日の天気予報では、東京は降水確率九十パーセントだそうである。

 私が勘違いしていたのだが、この降水確率というのは「東京では九十パーセントの確率で雨が降るでしょう」ではなく「東京エリアの九十パーセントの地域に雨が降るでしょう」なのだそうである。だから残り十パーセントのエリアには雨が降っていないとの予報なのだそうだ。

 良いのか悪いのか、ここ国分寺もその雨が降るエリアに当たっていた。

 朝からの雨はややもすると気落ちしそうにもなるが、京子がリビングの真空管アンプで(私が自作した71Aのシングルアンプだ)でショパンの「雨だれ」やラフマニノフの「アンダンテ・カンタービレ」をかけてくれた。

 京子は京子で雨の日の楽しみ方を知っているようだが、私はこの湿度と気温の高さに辟易とする癖がある。それを慮っての選曲なのだろう。

 いや、しかし、できればピアノ曲ではなく弦の音楽を聴きたい気持ちではあったが、我が家の選曲権は京子にある。京子の好きにさせるがまま、私はリビングのソファで仰向けに寝転んだ。

 我が家は大抵、音楽が流れていた。テレビはあるにはあったが、地震速報くらいしか観ない。京子もそうなのだが、テレビの音は耳障りが悪く、聴くに耐えないと思っている。

「折角の土曜日なのに、朝から二度寝?」

 京子がやや呆れ気味にそうに言った。

「いや、雨が鬱陶しいだけ」

「しゃんとしなさいよ。雨だってそんなに悪いもんじゃないわよ。買い物、お願いね」

「ああ」

 私は冷蔵庫の中を調べて、今日買うべき物を確認した。

 気乗りしなかったが、毎週土曜日の朝は私が食品の買い物に出掛け、その間に京子は家中の掃除をするのが無言の約束だった。

 私がいては掃除の邪魔であり、お互いが一人になれる時間でもあるのだ。夫婦といえども、そう四六時中顔を突き合わせたくないというのも本音だ。

 私は不承不承、出掛ける事にした。

 身支度を整えて、傘を持って表に出た。

 うちの植木の紫陽花が満開だった。その花弁一つ一つが鮮やかな明るい紫に染まっており、一輪の花全体でその色彩はグラデーションを描いていた。それが十五株ほどある。

 その紫陽花の前に傘を差したまま誰かが蹲っている、

 何事かと不審に思い、私はその人に近付いていった。

 その人は私の気配を察し、私の方へ向き直った。

「あ、吉岡のおじさん、こんにちは」

 うちの斜向かいに住む相原さんちの娘さん、葉月ちゃんだった。彼女は何から何まで小作りにできており、その華奢な体を折り曲げて笑顔だった。

「なんだ葉月ちゃんか。こんにちは。そんなところでどうしたの?」

「写生してるんです」

「写生?」

 葉月ちゃんは小柄なスケッチブックと鉛筆を持ち、しゃがみ込んで赤い傘を背負い込んでいた。彼女はたしか今年で高校一年か二年の筈だ。そんな花も恥じらう女子高生がうちの前で写生とは、何故なんだ?

「あんまり綺麗だったから、この紫陽花、描いてみたくなったんです」

 まあ、確かに今が見頃に紫陽花は咲いていた。しかも朝からの雨で灰色の空の元で咲く、その紫陽花の色は確かに鮮烈だった。しかし、この年頃の女の子がたかが紫陽花に関心を持つとは私にとって意外だった。

「雨なんだから、スマホで写真撮っておけば濡れずに済むよ」

 彼女は笑顔のまま小首を振った。頭の後で結わえた髪もそれにつられて揺れた。可憐だ。

「写真じゃ駄目なんです」

「へえ。どうして?」

「実際に目で見て、その場の空気感や気温なんかも実際に感じてみないと、上手く画が描けないんです」

「そういうものなんだ。葉月ちゃん、芸術家みたいだね」

 彼女は照れくさそうに笑った。

「……そうでもないです……」

 その言葉には一抹の自尊心がこもっていた。

「この辺、交通量は少ないけど、車には気を付けてね」

「はい。ありがとうございます」

 私はその場を離れた。

 少女が天然の美を見出してそれを写生したい、との欲求まで持つとは、私の審美眼とは違ったものを持っているのは確かだ。

 私は視覚に訴えるものより聴覚に訴えるものの方に親しんできた。

 そのせいもあるのかもしれないが、この東京の外れにある住宅街に小自然を見付け、その美に触れる事は滅多になかった。それが自分の家のものであったとしても、私はその美に気付かずにいたのだ。

 ああ、まいったなあ。おれは今まで何を見てきたんだ。

 私は少女にその観察眼のなさを教えられたのだ。

 東京とはいえ、本当に自然がないところは、ほぼないんじゃいかと思う。

 街路樹や植え込み程度ではあるが、最も自然とほど遠いと思われる千代田区にだって、街路樹はあるし、皇居の森もある。

 ヨーロッパからの観光客は、東京のどこまでも続くコンクリートジャングルに恐怖と違和感と不気味さを覚えるらしい。しかし、確かにそうかもしれないが、東京のそこかしこにこの小さな自然は存在する。

 うちの近所でいえば、マンションの植え込みが雀とメジロの巣になっているし、キジバトたちもちょくちょく目にする。まあ、ヨーロッパの彼の地よりは少ないかもしれないが、東京にもちゃんと自然はあるのだ。

 春には桜、それが過ぎると躑躅。梅雨時は紫陽花。夏は朝顔。秋は銀杏。冬は牡丹。東京にもこういった植物の変遷は確かにあるのだ。

 私にとって思いもよらない事なのだが、一本の植木があるだけで、そこには昆虫や野鳥の類いが集まり、極小規模ではあるが大自然と同じ営みが発生するのだ。

 それに気付いたのは結婚して二三年後、ちょうどチェロと疎遠になり始めてからの頃だと覚えている。どうもその時期辺りで私の生活感覚や日常の物の見え方が変わったようである。

 自分では気付かなかったが、ようやく結婚生活にも慣れ、仕事も覚え、社会人として一人前になり始めた矢先とほぼ同時期だ。

 その頃に私の中で何かが著しく変化したのだろう。いや、変化ではなく成長したのだ。

 しかしその成長というのは私の中で生活に必要な知識や考え方、行動の取捨選択が行われたに過ぎなかったのかもしれない。

 即ち、仕事と家庭の両立を図るために、その他の事、例えば芸術に関心を持つ事や、自分の時間の使い方を、仕事と家庭のみに焦点を絞ってしまっていたのだ。

 だからといって生活に不足を感じもせず、抗い切れない熱望が胸の中に燃えさかるでもなく、その日その一日を過ごしてしまってきたのだ。

 習慣というものは恐ろしいもので、そういった極一般的な生活様式にここ数十年もの間、流されてきたのだ。

 その結果が、芸術を愛する心の余裕の無い、灰色の日常が延々と続く溝の中を歩んできてしまったのだ。そして、溝は高く外の景色を見れなかったのだ。そこには広い青々とした草原があったかも知れないし、灼熱地獄が待ち受けていたかもしれない。ひょっとしたら豊かな渓谷だったかもしれない。

 その人生の岐路に立った時、私は何も考えずに溝の中の生活を選んでしまっていたのだ。だからチェロをどこかに置き忘れ、チューニングさえもされないまま放置してきたのだ。

 一人の少女が(しかもすぐ近所の)私の中で眠っていたかつての熱情を思い出させてくれたのだ。

 思い返してみれば、私は音楽で生計を立てようなどとは思ったことはなかった。それは今でも変わらないし、それで良かったとすら思っている。つまり、溝の外に出るのが怖く、安穏としたぬるま湯の生活に浸かってしまったのだ。

 確かに普通のサラリーマンの生活は時間も概ね規則正しく収入も安定しており、そのお陰で生涯の住処となる家も購入できた。これで大病しなければ、本当に恵まれた人生を歩んだと言える。

 平凡な日常の有り難みを忘れた訳ではないが、自分の人生の中で置き去りにしてきたものを思い出したのだ。

 取り敢えず、京子から頼まれた買い物リスト通りに買い物をせねば。

 私はスーパーへ行く途中、「七七舎」という古本屋を冷やかしてみた。実はこれはもう習慣化しており、時たま気になる本があれば稀に買う程度だった。今日は収穫なし。

 その足で中古CDショップにも寄った。

 ここでも収穫なし。だがそれで問題ない。

 こうして中学生のように店を冷やかしているのは、京子がその間に家中の掃除をしており、私がいると邪険にされるからでもある。いくら夫婦といえども、妻が一人になる時間は必要なのだ。

 私はそのまま国分寺駅に隣接した西友で京子に頼まれた食品を買い求めた。結構な量だ。エコバッグには何とか収まりきった。

 そのまま帰宅するにはちょっとまだ早かったので、遠回りして帰宅した。

 雨はまだ小降りのままでアスファルトと街の空気を湿らせていた。

 これはこれで悪くないな。私はそう思った。

 私の家の前で戻ってくると、まだ葉月ちゃんが写生していた。

 私が家を出たのが午前十時ちょっと過ぎで、いまは午前十一時五十分だ。約二時間も雨の中で写生していたのだ。大した体力と集中力だ。

「こんにちは。大分画が描けたかい?」

 私は葉月ちゃんに尋ねた。

「はい。十枚ほどデッサンできました」

「そんなに? ずっと同じ紫陽花を見てるのに、そんなに沢山描けるものなの?」

「ええ。花というか静物は、雨の濡れ方でも陽の加減でも表情を変えるんです。それがリアタイで変化していきますから、いくらでも描けるんです」

「凄いねえ。大した観察眼だ」

「それより私がお邪魔じゃなかったでしょうか?」

「いや、そんな事はないよ。いつでも写生しにおいで」

「ありがとうございます」

 少女は私が玄関に入るのを見送って、また写生を続けただろう。

 私が帰宅すると京子が昼食の準備を終えたところだった。今日はカレーだった。

「あなた、カレー好きでしょ」

「うん。激辛でなければ」

「それは大丈夫よ。外国のカレーじゃなくて日本式のカレー、作ったから」

「おお。ありがとう」

 私たちは二人でカレーを食べ始めた。

 BGMはドビュッシーの「雨の庭」だった。またピアノ曲だ。食事時にはちとテンポが速い曲なんじゃないかとも思ったが、選曲した京子の意向を汲んで何も言わないでおいた。

「うちの前で葉月ちゃんが写生してたよ」

「京子ちゃんて、相原さんちの?」

「そう」

「あらまあ、大変ねえ。この雨の中?」

「うん。雨の雰囲気とか空気感とかが大事なんだって。だからこの雨の中でも紫陽花を写生してたよ」

「へえ、そうなんだ。流石、画家志望は違うわ」

 画家志望?

「葉月ちゃんって、画家を目指してるの?」

「ええ。それで相原さんも困っちゃってるみたいなのよ。進路相談で『画家になります』って言うもんだから、どうしていいか分からないんだって」

「相原さんって、確か建設会社の偉いさんじゃなかったっけ?」

「そう。だからそういう芸術方面の知り合いがいないから、誰にどう相談すれば分からないって、奥さんが言ってたの」

「トンビから鷹が産まれたか。いや、ツバメが産まれたのかな」

「あなたも知らない? 画家をどう育てればいいのか、相談できる人」

「いや、僕も芸術家の知り合いはいないなあ。デザイナーは同級生で一人いるけど、芸術家とはちょっと違うしなあ」

「以外といないものなのね。画家って」

「それなりの学校に行けば沢山いるんだろうけどね。普段はピアニストなんて珍しいけど、音楽学校に行けばわんさかいるでしょ。そんなもんじゃないかな」

「その学校を卒業してからのことが気にかかっているみたいなのよ」

 人の親としては子供の将来が気にかかって当然だ。しかし、学校さえ出れば画家が職業として成り立つかどうか、それは無理があるんじゃなかろうかと素人の私にも推察できる。

「悪いけど、僕では力になれないなあ」

「やっぱりそうよね」

 その京子の言葉は「頼りないわね」という私を蔑んだものではなく、同調する語意だった。

 昼食を終えると雨というのもあり、私は二階の寝室兼書斎で「荷風全集 第十九巻」を読んだ。これは図書館から借りたもので、その分量から貸出期間の二週間では読破できそうになかった。しかし、百年以上前の私と同世代人が何を見、どう考えたのかを追想するには好適だった。

 この巻は「断腸亭日乗」と題された日記が収蔵されえていた。荷風はよく歩き、よく人と会い、よく飲んだのが分かる。この本が書かれた当時にはサラリーマンという職業がなかった筈だ。今では多くの社会人がサラリーマンなのだが、それがなかった時代の景色はなかなかの見物だった。

 ふと外に目をやると、まだ雨は降り続いていた。なんとなし下の花壇を見ると、葉月ちゃんがまだ写生しているのが見えた。その赤い傘は微動だにしなかった。しかし、傘の下では忙しなく手が動いているのだろう。

 その熱情が今に花開く時が来るのだろうか。それともその熱情が熱い分だけ、将来に落胆した時の反動に苛まれるのだろうか。

 それは本人次第であるし、本人にしか分からないのだ。

 ここで「頑張れ」などと軽口を叩く気にはなれなかった。やるやつは言われなくても頑張るのだ。その頑張りは無理してやっているのではなく、自然と自分の性惰に則って動いているだけでしかない。つまり、頑張っている人間には「頑張れ」などという言葉は不要であり、却って失礼にもなりかねないのだ。

 私が葉月ちゃんにできるのは、いつまでも紫陽花をスケッチさせ、その邪魔をしない事だ。それが葉月ちゃんにとっても、隣人として最良の付き合い方だと私は思った。


 翌日曜日も朝から雨だった。

 きょうのリビングのBGMはモーツァルトディヴェルティメント ニ長調 K.136だ。ようやく弦楽四重奏が選ばれた。が、この梅雨時の鬱陶しい時期に反して、曲は軽快でアップテンポだ。

 京子の選曲はどうも私の指向とは違う。

 私はその日その時の気分に合うものを好むが、京子はこの梅雨の湿気具合を追い払うかのような選曲をしている。

 まあ、その手は悪くはないだろう。ただ私と京子ではその指向が違うだけの話だ。

 私と京子は朝食を済ませると食器類をさっさと片付けた。京子はNETFLIXでドラマか映画を観始めた。その冒頭を私は見落としたので、映画なのかドラマなのか判別がつかなかった。

 私はまた寝室兼書斎へ戻り、昨日の読書の続きを始めた。

 雨音がぱらつく中での読書も悪くはない。

 本からインクの匂いが立ちこめるようだった。

 図書館から借りてきた本の読書は、その文面を文字で追うだけではなく、何年発行なのか、第何版なのか、どんな人物がこの本を手に取ってきたのか、そういった本の人生も追うのが私の楽しみの一つでもある。

 そのせいもあってか、私は新品より古本を好んだ。

 古本には稀に傍線や字句の書き込みがあり、それらは私を苛つかせもしたが、一種の勉強の後にも見え、前所有者がここで何かが引っかかったのか、と想像するのも楽しみであったりする。

 特に志賀直哉著「小僧の神様」の古本は傍線や書き込みが多い。流石にこれだけは新品で買い直した。

 窓辺には灰色の空と雨をはじき返す家々が映っていた。

 こうして見ると、普段のサラリーマン生活で見落としていたものが沢山あるのに気付く。

 雨の匂い、風を孕んだシャツ、日射の暑さ、黴の匂い、埃の匂い、時々室内に闖入してくる昆虫たち等々……。窓辺を見下ろすと、例の赤い傘が咲いていた。また葉月ちゃんが写生しているようだ。

 雨の中、二日も続けて精を出しているのだ。彼女がもし本物の画家になるのなら、他人事ながら応援したい。

 私は一階に下りて部屋着のままで外に出た。雨とはいっても、それほど本降りではなかった。

 私はうちの花壇の前にしゃがみ込む赤い傘に向かって話しかけた。

「葉月ちゃん」

 葉月ちゃんはちょっと驚いたようだった。「あ、吉岡のおじさん、おはようございます」

「おはよう。今日も熱心だね」

「ええ。いつ梅雨が終わるか分からないんで、今のこの時にしか出会えない光景なんです。だから急いでデッサンしないと、このチャンスが活かせなくなっちゃうんで」

 私は葉月ちゃんの手元、膝の上に置かれたスケッチブックをちょっとだけ覗き込んだ。

 鉛筆画で描かれた紫陽花があった。

 私のような素人目にもラフなスケッチだと分かったが、その花弁の一枚一枚までもが描かれていた。鉛筆画なのだからモノクロの筈だが、確かに紫陽花の色が塗ってあるかのように見えた。雨滴を弾いて咲くその紫陽花の姿は貴婦人のようだった。

「そのスケッチ、何枚ぐらい描いたの?」

「何枚かしら……三十枚は描いてる筈です」「ははは。それじゃスケッチブックも沢山買わないとね」

「そうなんです。紙代だって馬鹿にならないんですよ。私のお小遣いでなんとか遣り繰りしてるんですけど、この前、お父さんから前借りしちゃったんです」

 少女は憤りの言葉を笑って口にした。

 彼女はまだ自分の創作の欲求が満たされないのを我慢しているようだった。

 私は彼女の芸術に対するその熱量に当たり、私の心情は火傷しそうになった。しかしその熱波は決して不快なものではなく、若さから来る情熱と渇望が解き放たれたものだった。

「風邪引かないように気を付けてね」

「はい。ありがとうございます」

 私はまた寝室兼書斎へ戻った。

 部屋の隅に立てかけてあるケースに入ったチェロを久しぶりに取り出してみた。

 まるで昔の自分に出遭ったような気がした。

 せめてチューニングぐらいはしておこうとし、チューナーを探したが見当たらない。

 そっと指板上の弦に触れてみると、弦はまだ使い物にはなるが豊かに鳴るにはほど遠い状態だった。

 弓の毛はぼろぼろになってしまっていた。松脂は乾燥しきって黴びていた。

 ちょっとここらでまたチェロを始めてみようか。今でもバッハの無伴奏チェロ曲第一番ぐらいは弾けるだろう。

 私はそう思うとチューナーと弦をネット通販で探してみた。まだトマスティックの弦は売っているかな? 弓の方は楽器店に頼んで毛を張り替えてもらおう。

 私の心の中で消えていた筈の火が僅かに灯った。私は年齢的には秋を迎える歳である。これから厳しい冬の時代を生きる事になるだろう。しかし、冬に咲く花もあるのだ。

 ちょっとした悪戯心もあり、自分に見合った芸術に触れてみるのも悪くはないなと思った。

 京子はどう思うだろうか。

 きっと私がアマチュア音楽家をやっているのを見て喜んでくれるに違いない。

 腕は確実に落ちているが、かつて培った基礎はそうそう鈍るものではない。

 私は自分のためにもまた音楽を始め直す事にした。

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