第13話【お土産】
私の名は木島新之助という。
儂は家内と二人暮らしをしている。
家内はも生まれつき身体が弱く、ちょくちょく体調を悪くすることもあった。そんなこともあってか儂ら夫婦は子供にも恵まれず、このまま二人とも歳をとって静かに暮らすだけだ、と思っていた。
独身の頃はある会社で下働きのようにサラリーマンとして働いていたが、代々引き継いできた家業である不動産を30代半ばで父から引き継ぐことになり、なんとか今まで続いてきた。が、歳も70歳を超えると、さすがに体力が落ちてきた。
また、不動産大手の開発力に儂のような古い頭ではとても太刀打ちできず、最近は
「木島さん、失礼なことを言うかもしれませんけど・・・もういいお年ですし、所有されている土地をうちに任してくれませんか?。決して悪いようにはしませんし、それなりのお値段はつけさせていただきますよ。」
と□○不動産開発主任の杉山という、40歳くらいの男が何度か話しかけてきた。
「うむ・・・それもいい考えじゃとは思うとる・・・その件は追々また相談したいと思っている・・・。そんなことよりも、いいところに来てくれた。ちょっと話を聞いてくれんか?。愚痴みたいなもんだが、他に聞いてくれるものが誰もおらんでのう・・・。儂は今、携帯電話の販売店さんに土地を貸しているんだが、最近それを少し後悔しておる。」
「と言いますと?。」
「確かに貸主の儂としては、さすがは携帯電話の大手さんじゃから滞納することなくきちんと賃料も払ってくれるので何の問題もないんじゃが・・・。なんつうのかなあ、代表の店長さんはものすごく冷たい感じがするんじゃ。あやつは人間味がないっちゅう感じやな。機械みたいで心がない感じじゃ・・・。ついこの間も契約終了の書類の準備のために来よったんじゃが、儂は機械と話してるみたいに感じたわい・・・。」
「でも・・・お互いお金で関係を保っているんですし、別にいいんじゃないですか?。この世の中にはそういう方もいるんだ、と理解しないとやっていけないですよ・・・。」
杉山くんはまだ第二次世界大戦後の日本の貧しい暮らしを知らない親の元で育ったのだろう。親はそれなりにお金を持っていて、モノにあふれた日本を見て、『隣人は他人と思え』と言われて育ったに違いない。お金さえあれば大丈夫、と言われて。
それに比べて儂の育った、あまり金やモノのない時代・・・、それでも夢と希望をもってみんなで支え合って生きた時代・・・激しくぶつかり合ったこともあったが、ぶつかり合うからこそ相手の真意を知ることができて互いを理解できた時代・・・。
「あんたにはわからんやろうな、この年寄りの気持ちは・・・。人を動かすのは何なのか・・・いくらこの世は『金』で動いているとはいえ、人はやっぱり心打たれることがあると、損得関係なく本能的に動くもんじゃろ?。儂も若いころは杉山君の考えの通り、稼いでなんぼ、それでもええと思ったこともあったが、世のため人のためと思って赤字覚悟の事業を手伝ったこともあった・・・。歳を取ったせいか儂の気のせいなのか知らんが、最近の世の中、大事なものを勘違いしているように思う。なんのために働くのか・・・どいつもこいつもお金ばかり追いかけておって、目的と手段を間違えてしもうて・・・。『人の心』が殆ど失われておる・・・。
特にあの店長さん、会うたびに見るのは、いっつも書類の数字ばかり気にしとる姿じゃ、人を見とらん。全くあの男の心が見えん・・・。あんたは愛想ようしてくれるでええけどなあ・・・ま、年寄りのたわごとじゃ、すまんなあ、聞いてもろうて。」
やがて□○不動産開発が主になって進められていた駅前再開発がほぼ完成し、携帯電話会社もそちらに移っていくことになった。特にサンマル何とかという喫茶店はいち早く店舗を構えたし、噂では服飾関係は数知れず、靴屋も数店舗、家電屋、スポーツ用品、理容美容店、ドラッグストア、等々数えきれないくらいの店が入るという。
携帯電話ショップの新店舗の準備も進んでおり、いち早くオープンしたそのサンマルなんとかという喫茶店でコーヒーを飲みながら携帯電話会社のショップの店長さんと契約終了の手続きを交わした。
「はい、これで必要な書類の手続きは終わりですな。」
と儂が言うと、開店準備立合いとかで忙しいのか知らんが店長さんは自分の書類を片付けながら
「じゃ、予定があるので私はこれで失礼します。」
と喫茶店の出してくれたコーヒーを一気に飲んで自分のコーヒーの代金をテーブルに置くと、礼もせずさっさと去って行きおった。
喫茶店のドアから出て大股で足早に去って行く店長さんの後姿を呆気に取られて見ていたが、すこし時間が経つと腹が立ってきた。
なんじゃあいつは。いい歳して「お世話になりました」の一言も言えんのか!無礼もんが!。自分を何様やと思うとるんじゃ!。礼儀がこれっぽっちもない!。情けない!。・・・そして、こんな時代になってしまったのかと言う悲しさも感じた。
儂は一人、喫茶店に残された。最後くらい、ちょっとした思い出話でもできるかと思っていた。そんな期待も儚く消え、期待した自分が馬鹿だったと自責した。一人で飲むコーヒーがひどく不味く感じた。
それ以来、コーヒーを見るとどうしてもあの無礼な男の記憶が蘇ってしまう。
当分コーヒーを飲むのはやめよう。コーヒーが悪いわけではない。サンマル何とかのコーヒーは美味しい。だが、あの男を思い出したくないから。きっとコーヒーを見ると、あの男を思い出してしまうから。
一方、儂の所有する土地はあまり人のこない場所になってしまった。その土地を誰かに使ってもらうにはそれなりの値下げなども必要だな、などと考えていた。
それに、子供もおらんし、自分の代で土地貸しの仕事はおしまい、ご破算にしてもいいだろう。バブルの時代に十分稼がせてもらったし、固定資産税の手続きやらも面倒くさくなってきたし、あとは杉山君に連絡して好きな値段で売り飛ばしてもいい、なんならタダでもいい、などと考えていた、そんな時。
藤田敬という男が仲介屋と共に挨拶にやって来た。
彼は儂の土地-携帯電話ショップの跡地で、コーヒーだけの喫茶店を開きたい。そしてその店で、独自のブレンドコーヒーを出して、競争社会で悩み疲れた多くの人たちの心のオアシスになるような、そんな店にしたい。と説明してきた。
そして、藤田君は持参したコーヒーをカップに入れながら、次の通りに言ってきた。
「自慢するわけじゃありませんが、このコーヒーは私のこれまでの集大成と言っても過言ではないと思っています。木島様のお口に合うかどうか・・・。挨拶の代わりと言ってはなんですが、どうぞお飲みください。」
と言い、儂の目の前にコーヒーを置いた。そして、続けて
「もしお口に合わないようでしたら、それはまだ私の修行不足だと思いますし、それはこのコーヒーでは人を幸せになんてできないことの証だとして受け止め、出直すつもりです。もちろん出店もあきらめるつもりです。」
としっかりと、はっきりとした口調で藤田君は言ってきた。それなりの自信と覚悟が藤田君にはあるんじゃろう。藤田君は儂がこれまで見てきた男とは違う、と感じた。儂がこれまで見てきた男とは、自信があるとは言いつつも本当は見せかけだけで、その責任は会社が持つ、実はただのハッタリで本人は全く何の覚悟の出来ていない、そんな男だ。以前の携帯電話会社の店長の男はその典型的な例となる男だった。
しばし儂は考えた。自分勝手だが当分飲むまいと決めたばかりのコーヒーが目の前にある。だが、そんな自分の都合で飲まないのは藤田君に失礼だ。儂は覚悟を決めて、カップを手に取った。
一口飲んでみた時、
「いかがでしょうか?。あの場所での出店を認めていただけませんか?。」
と藤田君は聞いてきた。すでに一緒に来た仲介屋とも話を進めており、儂の判断・許可を頂きたいとのことだった。
儂は少し考えた。
藤田君は個人経営でコーヒー屋をやろうという男だ。コーヒーでみんなを幸せに、と周りの人への思いを語る男だ。大会社に属して競争社会に生き残ろうとする、出世のために人を蹴落とすことも正しいというような、人を人と思わぬ人間とは違うようだ。
それに、彼の低姿勢でかつ物腰の柔らかさも好印象だ。きちんと挨拶ができるし、しかも自作の特別なコーヒーを持ってくるなんて、いい男じゃないか。
なんなら藤田君にこの土地を任せてしまってもいいか、などと考えもしたが、それはこのタイミングで言う事ではないだろう。
もう一口、コーヒーを飲んだ。
胃袋に入ったコーヒーがすぐ近くの心臓に何か語り掛けてくるように感じた。それはただ暖かいだけじゃなく優しく、この世に対して閉ざそうとしていた儂の心を溶かすに十分だった。サンマルなんとかのコーヒーも悪くないのだが、藤田君が精魂込めて作ったというコーヒーには優しさを特に感じた。
そしてふと顔を上げると、心配そうに儂を見る藤田君の姿があった。その顔を見て儂は微笑みながら言った。
「なんと旨いコーヒーなんだ!。儂は訳あってコーヒーは飲まんつもりだったが・・・あ、いや、これはこっちの話じゃ。先日不味いコーヒーの思い出があってな・・・。しかしこのコーヒーは違う。うん。香りだけではない・・・深い味わいと飲みやすさ、そして胃袋に感じる優しさ。大げさかもしれんがこれまで飲んできたコーヒーの中でも一番のコーヒーだ!。これなら人を幸せにできるかもしれんな・・・よし、わかった。君に貸そう。だが、条件がある。」
「条件?。」
仲介屋と藤田君が同時に声を上げた。仲介屋は「そ、そんなの初めて聞きますよ、やめてくださいよ、木島さん・・・。」と言ったが、
「なあに、定期的にこの旨いコーヒーをごちそうしてくれればいい、それだけじゃ。そうしてくれれば特別に安くしてもいいぞ。コーヒーも、藤田君も気に入ったわい。」
と言うと、藤田君も不動産屋も笑顔になった。
「じゃあ、宜しくお願いします。」
三人で握手をした。
あれからもうすぐ一年がたつ。
その一年の間に、大変な事件もあった。藤田君が店をど阿呆どもに破壊されたときは本当に大変じゃった。
すっかり落ち込んでしまった彼のために儂は店を建て直すことにした。理想の店をつくってあげようと思い、これまで世話になってきた工務店に喫茶店の建屋にしたいと相談して見積もってもらった。その金額は保険や喫茶ジータの再建を願う人たちの募金を合わせても足りないとわかり、足りない分は儂の私財を投じた。
なあに、藤田君が元気になって、そしてあの美味しいコーヒーを飲みにやって来る大勢のお客さんが喜んでくれたらこんな嬉しいことはない。彼のために、喫茶ジータのコーヒーが好きだというお客さんたちのために儂の出来ることをした、ただそれだけじゃ。儂だって彼のコーヒーは大好きじゃから、な。
それに、儂には使う予定のない金が銀行に眠っておる。お金なんざあの世には持っていけんというのに、無駄に持っておっても何の意味もない。自分の葬式代があればいい。金は正しく使わんといかん。
おっと、つい偉そうなことを言ってしもうた。いかんいかん、悪い癖じゃ。それに、このことは藤田君には内緒じゃよ。
実は今、伊豆半島のほうに家内とともに桜と富士山を見に来ている。
まだ気候は肌寒いが、伊豆は日本列島の中でも早く桜が咲く。
今日はその桜を見ながら家内とゆっくり歩き、温泉も楽しんできた。美味しいものも食べてきた。富士山を望む絶景も楽しんできた。家内も大いに楽しんでくれたので、儂としても最高の旅行じゃ。
そうじゃ、藤田君に土産を買ってきてやろう、何がいいじゃろうか?。温泉饅頭か、煎餅か、それとも温泉卵か?。
そして、彼の店で旨いコーヒーをごちそうになろう。
完
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