第9話【夢を諦めないで】

 晩夏の頃、水曜日の夜の仕事を終えて後片付けをし、火の元や電源、施錠なども全て確認して帰宅した。

 その日の深夜。午前3時過ぎ。

 寝室で寝ている藤田の携帯電話が鳴った。

 藤田は深夜に帰宅するため、香織や恵美とは別の部屋で寝るようにしていた。玄関に一番近い、4畳半の部屋だ。押入れがあるが、収納量は少ない。彼の季節に合わせた着替えが入ったクリアケースが下に、上の空間には上着が突っ張り棒を使って掛けられている。日常の下着やシャツは引出付きのカラーBOXを用意して部屋の片隅に置いてある。そして布団がある。それだけの部屋だ。

 寝ているその枕元に置いている携帯電話が鳴ったのだ。サブディスプレイには【警備員 中嶋】と表示されていた。喫茶ジータの斜め向かいの雑居ビルの警備員をしている人だ。

「なんだよ、やっと寝付いたところなのに・・・。」

と心の中でぼやきながらなかなか鳴りやまない電話にでると、

「あ、やっと出てくれた、藤田さん?、店が・・貴方の店が・・喫茶ジータが大変なことになってる!すぐに来て!警察も呼んだから、早く!。」

と中嶋が叫んでいた。

「どうしたんですか?何があったんですか?。」

「窓とかめちゃくちゃだし、店の中も色々壊されていて・・・とにかく早く来て!」

「わかりました、すぐ行きます。」

 中嶋義男は喫茶ジータの斜め向かいにある雑居ビルの警備員として働いている。65歳の彼も週に一、二度くらいの頻度で警備の仕事前に喫茶ジータにコーヒーを飲みに来る。同じように夜に仕事をする者同士、何度となく他愛もない話をした仲で、その時に互いの携帯電話番号を交換した。

 藤田は慌てて着替えていると、電話の音や藤田の話し声が聞こえたのだろう、香織が気づいて起きてきた。

「どうしたの?。電話、誰だったの?。」

「店の近くのビル警備員さんからの電話で、閉店後の店でトラブルが起きているらしい・・・見てくる。もしかしたら長くなる。」

「え・・・。」

 香織が心配そうに藤田を見た。

「とにかく、既に警察も呼んでくれているらしいし、行ってくるよ。」

「うん・・・気を付けて・・・。」

「・・・ありがとう・・・。」

 藤田は急いで喫茶ジータに向かった。

 店が壊された?。

 向かう途中、思い当たる出来事として一昨日のことを思い出していた。



 夜の9時を過ぎたころ、その男は唐突にやってきた。

 ガシャーンと言う音と共に勢いよくドアを開けて入ってきた人物は派手な赤シャツに黒いスラックス、髪をすっかりブラウンか金色に染めた男。やや黄色い照明の下で髪はキラキラと光っていた。身長は180センチくらいあろうか。細身の体系だが、両手をポケットに入れ、肩で風を切るように歩いてくる。目つきもきつく、目を合わすべきではない人物の代表例であるかのような男だった。そして、夜なのにサングラスをしている子分と思われる男二人の、計三人。

 店に入るやその赤シャツ男は4人掛けのテーブルに勢いよく乱暴に座り、

「おう、おっさん!。ビールくれや!。」

と靴を履いた足をテーブルにどんっと乗せて言い放ってきた。

 藤田は出来るだけ冷静に、と自分にいいきかせながら、男の座る席に近づき

「お客様、申し訳ございません。当店はコーヒーだけの専門店となっております。コーヒーなら準備できますが、ビールはご用意できかねます。」

と答えた。

 すると男は

「聞こえねぇなあ。」

と目をつむったまま大声で凄んできた。藤田は

「ビールなどのアルコールがご要望でしたら他の店にどうぞ。当店はコーヒー専門店です。」

ときっぱりと言った。すると、テーブルに挙げていた足を力強くフロアに振り下ろした。

 ダンッという音が店内に響いた。店内にいた他の二組の客も何もできず固まっていた。

 すると子分とみられる男が

「おいオッサン!。兄貴の言うことが聞けねえのか?。ああ!?。」

と凄んできた。

「兄貴がビールって言ってるんだ!。ねえんならコンビニにでも酒屋でも行って買ってこいや!。」

 なんとも勇ましい声で、もう一人の子分が威圧的に凄んできた。が、藤田は怯まなかった。堂々と立ち向かうように、毅然とした態度で

「当店は独自のオリジナルブレンドコーヒーを提供するお店です、代行屋でもありません。」

と返した。すると、赤シャツがゆっくり立ち上がり、子分を制して藤田に近寄ってきた。

 藤田は微動だにしなかった。というより出来なかった。

 赤シャツ男は身動きできない藤田の胸ぐらを左手で掴み上げた。ものすごい力で、藤田がつま先立ちしなければいけないくらいにさせると、

「なかなかはっきり言ってくれるじゃねえか、オッサン。いい度胸だ。だがよ、よく言うじゃねえか、お客様は神様ってよお!。神様の言うことが聞けねえってのか。ああ!?。」

とさらに大きな声で脅すように言ってきた。

 男の口元からは酒の匂いがプンプンと漂ってきた。

 藤田はその匂いに顔を背けながら、

「その言葉はサービスを提供する側の人間が使う言葉です。お客様のように、自分が神だと言うのは間違ってると思います。ましてや、お酒を飲んで酔っ払い、その勢いで暴力を働こうかという神様なんて聞いたことが・・・。」

と言ったがその先を遮るように赤シャツ男は笑いながら藤田に言った。

「バカかお前は?神様なんているわけねえだろ。俺は神なんかじゃねえ。ただ、俺のいうことを聞けって言ってんだよ。さもなきゃ」

 男の右肩が動いた。右手拳が力を込めて握りしめられていき、藤田は男から並々ならぬ脅威を感じた。藤田は

「え、営業妨害で警察を呼びますよ・・・呼んでほしくないでしょう?。」

と、できるだけ相手を諭すように言った。

 すると男は動きを止め、やがて突き放すように藤田を放した。藤田は背中をカウンターの端にしたたかにぶつけた。その勢いで倒れそうになったが何とかこらえたものの、その痛みに苦悩した。

「ふん!。どいつもこいつも二言目にはサツ、サツって言いやがって。偉そうにしやがってよお!。てめえこそ何様だ!。」

 赤シャツ男は唾を吐き捨てて先ほどまで自分が足を乗せていたテーブルを靴のかかとの部分で蹴っ飛ばした。そのテーブルは倒れることはなかったが大きな音と共に斜めにずれ、テーブルに置いてあったメニュー表やコーヒーフレッシュ、スティックシュガーが落ちて散乱した。そして、男は

「わかったよ。出てってやるよ、くそったれが!。俺をバカにしやがって、気分悪いわ!。覚えてろ!。」

と捨て台詞を言って去って行った・・・。



 藤田が喫茶ジータに近づくとすでにパトカーが複数台集まっており、十数メートル手前から警察によって規制線が貼られ、店の周囲は立ち入り禁止になっていた。

 藤田は警察官に自分が店の経営者本人であることを言うと、規制線の中に誘導され藤田は車ごと徐行して入った。そのままゆっくりと誘導されていくときに、ガードレールが根元からぐしゃりと潰れるように壊れているのを見た。また店の出入り口や大きな強化ガラスの窓が割れているだけでなく、窓枠なども装甲車が突っ込んだかのように「く」の字のように凹んでいるのを横目に見た。

 その姿を見て、店の外側だけならいいが、店内の自慢のコーヒーメーカーが壊されてないだろうか、と藤田は心臓の高鳴りが止められなかった。

 藤田は車をゆっくりと駐車場に停めて降り、警察官の遊動指示に従って店内に入った。本来の出入り口ドアは壁面が歪んで出入りできなくなり、藤田はガラスのなくなった窓から店内に入るしかなかった。

 店内には警察が持ち込んだ照明で明るく照らされていた。その照明で見えたのはテーブルや椅子等がひどく壊された無残な店内の様子だった。

 愕然とした。藤田は完全に言葉を失っていた。

 その店内には通報者である警備員の中嶋、また地主の木島にも連絡がいった模様で現場に来ていた。藤田が来たところで関係者が揃い、警察の事情聴取が始まった。

 まずは事件の発見者で、通報した警備員の中嶋から説明が始まった。

「深夜の2時過ぎでした。私が向かいのビルの管理人室で深夜ラジオを聞いていたのですが、突然派手なドンガシャバリンという音、そして数秒後にガチャガチャバキバキという何かが壊されていく音が聞こえたんです。私のいるビルでないことは確かでしたが、これは大変だと思って、あわてて見にいくと、土砂運搬に使うダンプカーでしたっけ、後ろ向きに店に突っ込んでました。びっくりしましたよ。

 私が勇気をもって『こらーっ!何してる!』と大声で叫ぶと『やばい!ずらかれ!』『もう来やがった!』などと声が聞こえたと思うと店から3人の男が出てきて、ダンプカーに乗り込んで去って行きました。一人は派手な赤いシャツを着てました。街灯の明かりがはっきりと金色に染めた頭も含めてすごく目立つ格好でしたね。他の連中は黒っぽいシャツだったかなあ、・・・赤いシャツと金髪の男に目を取られてあまり印象に残らなかったですね、すみません。でも、ダンプカーのナンバーはきちんと控えていますよ・・・。」

と中嶋はメモ帳を取り出してダンプカーのナンバーを担当警部に説明した。

 続いて藤田も思い当たる節として、一昨日の出来事を丁寧に全て話した。

 話を聞いた担当警部は

「ふーむ、なるほど。お二人の話を聞いて推測できるのは、その赤シャツ金髪の男が勝手に一方的にこちらの店に恨みを持って、犯行に及んだ、ということでしょうな・・・許せん奴だ。絶対に捕まえて見せますよ。・・・しかし、今のお話によると、きっとそのダンプカーも盗難車両の可能性がありますな・・・。」

と言った。

「ところで藤田さん、お休みしたいところ申し訳ないのですが、協力頂きたいことがあります。こういった事件は早く証拠などを見つけた方が早い犯人逮捕につながるんです、宜しく協力お願いします・・・。

 そんなに難しいことではないと思います・・・店内を一通り見ていただいて、なにか変ったところがないか、教えてください。例えば、本来店にないはずのものがあるとか、また金銭など紛失しているものがないか・・・見つけたらまずは教えてください、手袋をお渡しします。見たことがないものを見つけた時はできるだけ触らないようにお願いします・・・。」

「わかりました・・・。」

 藤田はビニール製の手袋を受け取りながら、警察が持ち込んだ照明を頼りに店内を調べることにした。

 店内は破壊された窓ガラスの破片が飛散していた。店内に置いていた鉢植えの植物たちも、派手にバラバラにされていた。相当派手に暴れたようだ。

 藤田は悲しみと怒りの感情を必死に抑えながら、店内を調べることにした。

 まずはキッチン・カウンターの並びにおいているコーヒーメーカーを探した。コーヒーを煎れる作業を店を訪れた客によく見てもらえるように、と藤田がカウンターの並びにレイアウトしたのだが、コーヒーメーカーの姿がそこになかった。破壊の格好の目標になったのだろう。

 店の出入り口辺りに目をやると、コーヒーメーカーが床に落ちているのが見つかった。おそらく大きなハンマーか、もしくは野球のバットを持参したのだろう。コーヒー豆を焙煎する窯は変形し、その他の操作部の樹脂製のパーツ類も落下の衝撃で破損したようだった。藤田の最大の相棒ともいえるコーヒーメーカーが壊されたのだ。

 その壊されたコーヒーメーカーを見た藤田は

「あ・・・あ・・・」

と声を発しながらその場にへたり込んだ。完全に言葉を失った。このコーヒーメーカーがなければ、喫茶ジータはありえない。藤田にとっては唯一無二の存在だった。喫茶ジータが終わってしまった。喫茶ジータの味をつくってきたコーヒーメーカーはもう一人の自分みたいなものだ。それが終わってしまった。他のコーヒーメーカーではきっと同じコーヒーは作れない、と思うほどだった。

「うう・・。」

 しばらく何もできなかった。

藤田は壊されたコーヒーメーカーを抱きしめながら泣いた。それを見ていた担当警部も、中嶋も、木島も、声のかけようがなかった。

 何分そのままだっただろうか。藤田は『いけない、作業に集中しよう』と悲しみの思いを頭を振って振り払い、部屋の中を調べ続けた。

 すると担当の警部が藤田から距離を取るようにして中嶋と木島の二人を呼び、

「藤田さんの作業が終わるまで、私が残ります。お二人はもうお帰り頂いてかまいません。夜分にお呼び立て、協力頂きまして有難うございました。お疲れさまでした。」

とお辞儀をしながら言った。

 中嶋と木島の二人は藤田を心配そうに見つめながら藤田に対して頭を下げて、警備員は自分の本来の職場のビルへ、木島は自宅へと帰って行った。

 藤田は引き続き店舗内を調べていた。カウンターの向こうの壁側に置いている食器棚・・・陶芸家の福村からもらったコーヒーカップは・・・。おそらく警備員の中嶋がすぐに飛んで来たので犯行を中断して急いで逃げることにしたのだろう、コーヒーカップのいくつかは落ちて割れていたが、犯人たちはその場所まで殆ど手が届かなかったようで9割がたは無事だった。

 藤田はその後、レジを確認した。レジは所定の場所に鎮座していた。どうやらレジには犯行の手が届かなかったようだ。念のために中身をチェックしたが結果は予想通り、帰宅する前にチェックして帳簿に控えた金額と一緒だった。金は盗まれていなかった。

 キッチン・カウンターの中のほうも確認した。

「?」

 藤田が気づいたのは、ネックレスだった。黄金色の、趣味の悪いドクロ柄の装飾がぶらさがっているネックレスが洗い場・シンクに落ちていた。チェーンの一部が切れていた。

 担当警部に言うと、

「ほう~、いかにもありがちな忘れもんですなあ。」

と言いながら白い手袋を嵌め、拾い上げ、用意していたビニール袋に入れた。

「他にも何かあったら教えてください。我々も見ますが、店内に限らず敷地内もひととおり見ていただけると助かります。」

と言い、自分の携帯電話で関係部署などに連絡を取り始めた。

 どうやらキッチン内部には入ってこなかったのだろう、異常ないことを確認すると、続けて客席のほうを丹念に見ていった。

 写真家の片山から預かっている写真も、画家の沢井絵美子から預かっている絵も、額縁ごと壊され、破かれていた。大事な作品を無残な姿にさせてしまった、と藤田は申し訳ない思いで胸が張り裂けそうになった。

 テーブルは殆どが横倒しにひっくり返って大きな傷がついてしまっていた。椅子も足が折られるなどしていくつか破壊されていた。

 藤田はひっくり返っていたテーブルの隅にとんでもない忘れ物と思われるものを見つけた。

スマートフォンだった。犯行中に落としたのか、急いで逃げる時に落としたのか・・・。

 担当刑事もこのとんでもない忘れ物には呆れた。

「阿呆な連中だ。通信会社に協力してもらってこいつの通信履歴を調べればすぐですわ、預からせていただきます。」

と同様にビニール袋に入れた。

 その後は特に変わったものはなかった。

作業が終わるころにはすっかり外は明るくなっており、朝早くから出勤する人たちが現場を覗きながら出勤していく姿があった。その中に、香織と恵美の姿もあった。



 事件から1週間もしないうちにあっさりと犯人グループの3人は全員捕まった。間抜けな一人が落としたスマートフォンを探しに戻ってきたのを、隠れて監視していた担当警部に取り押さえられ、そのあとは簡単に犯行メンバー全員逮捕となったのだ。

 3人は全ての犯行を認める一方で

「以前から評判のいいコーヒー屋だってのは聞いていた。だがよ、平日昼間ではなく夜に営業をするって、おかしいじゃねえかよ・・・夜は俺たちの時間だってのによ!。目障りなんだよ!。」

「それに、この俺にエリートづらして講釈タレた奴に、俺を怒らせたらどうなるか思い知らせてやった。」

「ったく、スマホなんて諦めろって言ったのによ、『彼女との大事な写真が』とか言いやがって、あのタコ!。ついでにペラペラとスズメみたいにピーチクパーチク全部喋りやがってあのボケ!。破門じゃあっ。」

等と取り調べ中に言っていたそうだ。

 なんともひねくれた、どうしようもない男であった。

 当然、犯人の赤シャツ金髪男は営業妨害や不法侵入、器物損壊、さらにダンプカーの窃盗など複数の疑いにより数年の服役を言い渡された。

 藤田にとって生きがいだったジータだが、店舗である建屋がダンプカーに突っ込まれたときに主要な柱が傾いてしまった。地主の木島が専門家に確認したところ、「建て直すことを勧めます」と言われた。その費用も判決では言い渡されていたが、きっと踏み倒されて終わりだろう。こちらが何か言おうものならまた嫌がらせをされるに違いない。君子危うきに近寄るべからず、である。

 しかし、何よりも大変なのは、藤田本人であった。

 コーヒー職人として、藤田が魂を注いで使い込んできたコーヒーメーカーが壊されたことですっかり落ち込んでしまったのである。

 藤田が自宅のマンションに引き籠って凹んでいる時、様子を見に来た地主の木島が

「新しい店を建てよう、藤田君。儂もあんたのコーヒーのファンじゃからな。金額は気にしなさんな、保険にも入っておるし、なんとかなる。それに、営業できん間は賃料もいらん。それに、使いやすいレイアウトを言ってくれ、建て直す際に参考にしたい・・・。」

と言われたが、返事に困った。

「木島さん・・・しばらく考えさせてください・・・私は・・・コーヒーで世の中の人に恩返しをしたい、コーヒーを飲む人を幸せにしたいと言ってきました・・・。なのに、あの赤シャツの男に・・・本当はウチのコーヒーを飲んでもらいたかったんです・・・。

 もし最初に毅然とした態度をとるんじゃなく、コーヒーを持って行ってあげていたら・・・それができていれば、事件になることもなかったんじゃないかって・・・あんな事件になってコーヒーメーカーを壊されることもなかったんじゃないかって・・・。」

 藤田の苦悩する姿を見て木島は

「何を言うとるんじゃ、あんな奴はこの世にいる価値などない男じゃ!。アンタも聞いたじゃろうが、『最初から目障り』と警察での取り調べ中に言うとったらしいが、我ら庶民にとっちゃあやつこそ目障りな存在じゃ。人間扱いなどせんでええ奴じゃ。

そんな奴にたとえコーヒーを出したところでさらに激高してきそうな奴じゃ。嫌がらせ目的出来とるんじゃからな!。刑務所から二度と出てくるべきではない奴じゃ!。」

と吐き捨てるように言った。すると話を聞いていたのか、キッチンでコーヒーを用意して持ってきた香織も

「そうよ、この際だから完全防備のバリヤー付きのお店に改装しちゃいましょうよ。ダンプカーが突っ込もうがミサイルが飛んでこようが絶対壊れないような、・・・そうよ、シェルターみたいなお店にしましょうよ。」

と冗談交じりで意見を言ってきた。

 それを聞いて藤田は

「香織・・・逞しいなあ、お前・・・。」

と言うしかなかった。

「俺にとって、ジータはもう一人の自分だったんだ、って今回の事件でわかったよ・・・。いわば俺の分身・・・。その分身がなくなってしまった今、『もう一度』と言われても・・・なかなかその気になれないんだ・・・そう、お前と一度別れた時のような気分さ・・・何もやる気になれないんだ・・・。」

 力なく呟くように藤田は心境を話した。すると

「あら、意外とデリケートなのね。いつも突っ走ってる、エネルギッシュな、もっと男らしい人だと思ってたわ。」

と香織が茶化した。

「何言ってんだよ、俺だって落ち込むときは落ち込むんだよ・・・。」

 すっかり落ち込んでいる藤田の姿を見て見ぬふりをするかのように、香織は意地悪な質問をした。

「・・・じゃあ、私と、喫茶ジータ、どっちが大事?。」

と、そんな質問をする香織を、藤田はまじまじと見ながら答えた。

「そんなの、・・・比較できるわけがないだろ・・・大体、お前は戻ってきてくれたじゃないか・・・だけど、ジータは俺自身なんだ・・・それが壊されたんだ・・・だからジータはもう・・・戻ってこない・・・。」

 藤田はため息をついた。そんな藤田に、香織も、木島も声をかけようがなかった。

「時間・・・じゃな、今は時間だけが必要じゃな・・・。」

 木島は最後にそう言って帰っていった。



 数日後、藤田は香織の勧めもあって、気分転換を目的に自転車で走り回るようになった。

 住んでいるマンションから東西南北、雨の日を除いてほとんど毎日のようにあちこちを走り回った。

疲れるまで走って、見知らぬ街の見知らぬ喫茶店やカフェでコーヒーなどを飲んで休憩をした。カフェオレ、カプチーノ、エスプレッソ。その時の腹具合によってはその店自慢のケーキやパンなどの軽食も頼んだ。

 それぞれの味を勉強し、手持ちのメモ帳に簡単に、覚え書きのように書き留めた。藤田の中で少しずつ、何かが変わり始めていた。

 ジータは死んだのだ。装い新たな店を始めるにしても、それはもうジータではない。別の店だ。だから、以前のジータと同じではいけない、変えていかなければいけない。

 オリジナルブレンドコーヒーひとつだけではダメだろう。エスプレッソやカフェオレもやってみようか。でもカフェオレだってどんなミルクを使うかでせっかくのコーヒーの味わいが変わってしまう可能性もある。

 また、香織が提案したシェルターのような強い建物ならいっそ喫茶『シェルター』という名前にしてもいいか、それとも『ジータ2』とか『ジータ+(じーたす)』か、等と思ってはメモ帳に書いた。

 そんなことをして1カ月半ほど経ったある日のこと。

 藤田はいつものように自転車で走り回り、日も傾いてきたので明るいうちに自宅に帰ろうとしていた。ふと気づくと喫茶ジータの通りの道路を走っていることに気づいた。

 喫茶ジータは建て直しのために、いったん更地にしたという話は木島から聞いていた。今、どうなっているだろうか・・・。更地にする前であったらUターンするところだが、恐る恐る見に行くことにした。

 ゆっくりその場所に着くと、大きく景色が変わっていることに気づいた。跡地の雰囲気が大きく変わっていて、もとの面影はどこにもなかった。

 駐車場だったところに見知らぬ業者の車とプレハブ小屋があり、以前店舗があった場所は一階部分を吹き抜けとした、重厚な二階建ての店舗が完成しつつあった。

「・・・二階建て!?。」

 藤田は呆気に取られて見ていた。

 駐車場に自転車を止め、その店舗の中を外から見ようとした。その時、

「おっちゃん、何してるん?。見学か?。」

と不意に後ろから作業員に声をかけられた。

「あ?・・あ、ああ、そう・・です。見学です。ちょっと通りかかって・・・。」

ふいに声をかけられたので驚きながら藤田は応えた。

「ま、見学してもいいけど、作業の邪魔はせんといてな。」

 と、作業員は資材を持って店舗内のほうに歩いて階段を昇って行った。

 他の作業員二人が入れ替わるように店舗から出て、プレハブ小屋に入っていく。そして、小屋から持ち出したものは・・・。

 コーヒーメーカーだった。

 新品の部品に取り換えられたところもあるが、もともとの釜の擦り傷や色の変化具合には見覚えがある。また、自分が中古で購入するときからついていたマジックのマークがちらりと見えた。そう、喫茶ジータで使っていた、あのコーヒーメーカーだった。それを、二人の作業員が足並みを合わせて、運んでいく。

 その光景を見た時、藤田の心が決まった。

 続けよう、もう一度。もう一度、ジータをやろう。あのコーヒーマシン、壊されたはずなのに、綺麗に直されている。まだジータは死んでいない、生きている。

 そう感じたとたん、涙があふれた。

 大人げなく泣いた。その場に跪いて、泣いた。

 気づくと、地主の木島が来ていた。木島は工事の進み具合の確認のため、また藤田がここに戻って来ることを信じてほぼ毎日来ていたのだ。

「藤田君・・・どうじゃ、新しいジータは?。君のジータに対する思いを聞かせてもらって、ついやる気になっちまってな、暇な年寄りのおせっかいだと思ってくれ・・・。」

 木島は藤田の肩に手をかけ、もう片方の手で照れ隠しのように頭を掻きながら続けて説明した。

「店に残っていた、使えるものはそのままそこのプレハブ小屋に保管されてある。コーヒーカップや冷蔵庫、レジ、奥の部屋にあった備品・・・。それと、さっき藤田君も見た通りコーヒーメーカーもきちんと修理されてきた・・・メーカーに問い合わせたら、できる修理と出来ない修理があるから現物を見ないとわからないとか言うし、モデルによっては修理できないモノもあるとか言われたわい・・・。ジータで使っていたものは割と古そうなモデルだったろう?。型式番号を言うと、お手上げされてもうた・・・。

 それでもなんとか修理業者をやっと探して、見てもらって、やっとじゃ・・・。運よく中の制御装置は無事だったそうで、修理してもらえることになった・・・。テーブルや椅子も、家具屋をやってる儂の知り合いから安く仕入れて既に店舗内に入っとる・・・ああ、安く仕入れたとは言ったが、安物ではないぞ。

 ああ、そうそう。写真家の片山と名乗る男と画家の沢井絵美子。知っとるじゃろ?。最近飛ぶ鳥を落とす勢いの二人。儂は趣味で定期的に美術館なんかを見るんじゃが、知らんか?。その二人からも、見舞金やら、店で飾ってほしい作品を持ってきてくれたぞ。二人とどういう関係なんじゃ?。すごい二人と知り合いなんじゃなあ、藤田君!。」

 木島の話を聞きながら、藤田は涙が止められなかった。木島の優しさ、店を応援してくれる人たちの優しさが心に染みた。

「なあ、藤田君。」

 木島も片膝をついて視線を下げ、跪いたままの藤田の顔を見ながら話を続けた。

「みんな、あんたのコーヒーが好きなんじゃよ。店が壊されて、多くの人から建て直し費用を自らカンパして出してくれた・・・。さっき言うた二人みたいに高額な金を出してくれた人もおってな、結構なお金が集まったのも事実じゃ。そのお金を使わせてもらったし、儂も貸主として、土地と建物をお前さんに貸している者としての義務を果たしただけじゃ。あんたが多くの人を思うように、逆に多くの人があんたのことを思ってくれているということ、忘れちゃいかんぞ・・・。」

と穏やかに木島は言った。

「あ・・・有難うございます。この御恩は一生忘れません・・・。」

 藤田は木島に向かって大きく礼をしながら言った。その藤田に対し、木島は優しく微笑みながら

「そんな大袈裟な礼なんて要らん、また定期的にコーヒーを飲ませてくれればそれで十分じゃ。」

と返事した。そして立ち上がると、店舗のほうに向きなおし、威勢よく大きな声で言った。

「ほうれ見てみい、あの骨格。ダンプが突っ込もうが跳ね返すくらいの鉄骨じゃ。地震でもミサイルでも何でも来い、じゃ。新しいジータが間もなくオープンするぞい!。」

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