喫茶ジータにて
上林 久太郎
第1話【プロローグ/開店準備中】
そこはとある駅から150mくらい離れた、住宅街の区画に向かう道路沿いの空き店舗。
時期は2月の半ば頃。
3月の開店に向け、藤田敬は学生時代からの仲間である今岡健治、森本浩一郎、田代雄介の3人と共に、合計4人で準備作業をしていた。
店の内装や基本的な水回りや電気などの工事は完了していて、店内は天井は艶消しのベージュ色のパネル材、床には落ち着いた木目調でクッション性のあるビニール製のマットが敷かれている。天井と床は以前の所有者のまま手を入れていないが、藤田は壁だけを業者に頼んで全面コルクボードに貼り換えてもらった。
またカウンターや洗い場なども既に設置されており、そこに藤田が小型トラックで運んできた中古の業務用のコーヒーメーカーなどの装置一式を設置する作業を仲間と共にすすめていった。
コーヒーメーカーは清掃点検済みの中古品を入手した。以前どこかの店で使われていたのだろう、その時の匂いが染みついて残っていて、藤田たちが運ぶ際に独特のコーヒーの香りがした。その香りを感じながら、藤田は1カ月ほど前の出来事を思い出していた。
最初に不動産屋に行ってコーヒーだけの喫茶店を始めようとしてる、と話をしたときにいくつかの物件の中から、
「こちらの物件は駅からは少し離れていて、間もなく築20年となる物件です。つい最近までは携帯電話ショップだったんですけど、よく掃除されていたようで、結構きれいだと思いますよ。」
と言われた。他にもいくつかの物件を現地見学した後で藤田は
「うん、ここがいい!」
と契約したのだ。
駅前の再開発エリアからは外れた場所。人の足がそんなに近づかない場所だ。店をあまり目立つ場所にしたくない、だが必ず自宅への帰り道にあるようにしたいと願う藤田にとっては好都合だった。
携帯電話ショップは駅前にできた大型のショッピングセンターの中に移転したので空き物件になったとのことだった。
そんな物件でコーヒーだけに特化した喫茶店をやろう、と藤田が一念発起したのだ。サンドウィッチもスパゲッティもない、紅茶もない、ジュースなどの清涼飲料もない、ただコーヒーだけの喫茶店だ。
今の世の中、なにかと競争したり目先の損得勘定に気を取られる生活をしている人たちに、ほんのひと時でもゆっくりできる時間を提供したい、と思ったのだ。そのために自分がコーヒーショップで働いて得た知識・技術・作法を使おう、と決めたのだ。
平屋建ての店内の広さは50㎡程度。接続道路に対しては北向きで、日当たりはそんなに良いとは言えないが大きな窓のおかげで十分に店内は明るい。コーヒーメーカーや食器などを置くスペースを確保したうえでも客席のスペースは十分確保できる。
また、他にも倉庫として使える小部屋があり、店舗の東側にある駐車場も7台が駐車できる。
その店内で、食器棚や製氷機、テーブルや椅子など、レンタカーのトラックで運んで荷ほどきしながらどんどん店内に設置していった。
「ところで藤田君、テーブルが店の広さの割に少なくないか?。この店舗の広さなら、もう少しあってもいいと思うけどなあ?。」
と今岡が言ったが、
「いや、これでいいんだ。」
と、藤田はうっすらと掻いた汗をぬぐいながら答えた。
調理スペースを別にして、店内はゆとりをもって座れるようにカウンター席が4人分と4人掛けの木製テーブルが2台、また窓際に2人掛けが4台、置かれていた。最大20人まででレイアウトされた店内は明らかにゆとりのある配置だった。今岡が言うようにもう少しテーブル・椅子を用意できるスペースがあった。が、藤田は
「これくらい広さに余裕があったほうが開放的だし、落ち着けるだろう?。本当に落ち着いてゆっくりコーヒーを飲んでもらいたいんだ。大量にスピーディーに、という方針の大手カフェとは逆に考えているから。
それに、駐車場があるとはいっても止められる台数は7台分しかない。俺が使う予定の1台分を差し引くと、満車になった時は6台。6組の客なんだ。しかも大抵、二人ないし三人組なんだ。1人や4人ってこともあるだろうけど、現実に考えて6組の客でテーブルが埋まるくらいでいいと思う。」
と説明を加えた。
「なるほど。人数でなく組数の考え、正しいと思うよ。」
「だろ?。それに、通路は広いほうがお客さん同士がぶつかることもないし、店内を歩きやすいし、俺だって掃除しやすい。」
藤田の説明に全員笑った。
「ところでさあ・・・」
森本が声を上げた。
「コーヒーカップや受け皿とか、グラスは揃っているみたいだけど、ほかの・・・日よけのブラインドとかの備品はどうするんだ?。」
「要るかなあ、日よけ・・・。道路に対して北向きだから無くてもいいかと思っていたんだけどなあ。」
「今はまだ春先だからいいけど、夏ともなれば日照時間長くなって強い西日が北の窓から入ってくると思うぜ。それに防犯のための目隠しにもなるし、必要だと思うぜ。」
「そっかあ、・・・やっぱり・・・。どこかリサイクルショップで買うかなあ。」
「徹底してるよな、中古に。」
藤田は苦笑いした。せっかくの新規オープンでも新品はできるだけ使わないのは彼のポリシーだ。室内の手直しも最低限にして使えるものはそのまま使う事にしたし、コーヒーカップも、グラスも、スプーンも、出来るだけ同じものを選んですべてリサイクルショップで購入した。
「新品ピカピカも気持ちいいだろうけど、古い物件にはそこそこ使い込まれた中古のほうが合うと思うんだ。新品でなくていいんだ。」
と藤田は言った。
「わかるよ、その気持ち。物を大事に長く使うのはいいことだ。SDGsにも沿うことだし。」
と言いながらポケットからスマートフォンを取り出し、続けて言った。
「でもさ、文明の利器は使おうぜ。足を使うのもいいことだけど、頭も使おうぜ。」
藤田は昔ながらの折り畳み式の携帯電話で十分、とスマートフォンには手を出していなかったので、スマートフォンを使う森本の意見の意味が分からなかった。
「今は、日本全国の中古品販売を斡旋するサイトやアプリがあってだな・・・」
と森本は言いながら、藤田にスマートフォンを見せながらあっという間に操作して、中古のカーテンやブラインドなどをサイズなどを指定して一覧として表示した。
「あ、これがいいな。サイズも合いそうだ。」
藤田が指さしたのは落ち着いたクリーム色の日除けスクリーンだった。
備考欄には『個人経営で洋食屋をしていましたが諸事情で閉店することになりました。大窓3枚分、捨てるのももったいないので必要な方にお譲りいたします。・・・。』と書かれてあった。
「窓3枚分って、同じじゃないか。ちょうどいいじゃないか。これにしようぜ。」
森本はそう言って藤田の名前と店の住所を記入して手続きをあっという間に終わらせた。
「すごいな、こんな簡単にできるんだ。」
藤田は驚いた。
「だから、藤田もスマホ買え。」
と森本は笑いながら言った。
「ははは、考えとくよ。」
「とにかく、料金は送料込みで××円だそうだ。荷物は3日以内には届くんじゃないかな。受け取りは自分でやれよ。」
「わかった。」
そして、約3時間で予定していた作業が終わった。
「よーし、今日はこれまでにしよう。手伝ってくれてありがとう。」
藤田の声で全員が「やれやれ、お疲れさん」と手を休め、身近の椅子に腰を下ろした。
「じゃ、俺のコーヒーでも飲んでくれ。」
と藤田は調理スペースに入った。
「コーヒーメーカーの試運転かい?時間かかりそうだな。」
と森本が言ったが、
「いや、残念ながら。」
藤田はそういいながら調理場側に置いていた自分の荷物から魔法瓶構造の水筒と紙コップを3人に見せながら言った。
「自宅にある家庭用のコーヒーメーカーで炒れてきたんだ。こんなこともあろうかと思ってね。コーヒーメーカーの試運転はまたあとでやるよ。」
藤田はその水筒に入っていたコーヒーを手伝ってくれた友と自分の数だけカップに入れて、それぞれカウンター席に置いた。
「砂糖やコーヒーフレッシュも好みで入れてくれ。」
と、カウンターの片隅に用意した。
3人は砂糖も入れずに、まずはそれぞれに香りを楽しみ、コーヒーを口にした。
「うん、いい香りだし、それにこの深みのある味わい・・・なんていうのかな、そんなに苦くないというか逆にコーヒーなのに少しだけど甘い気がする・・・どうやってこんな味が出せるんだ?。」
「それはさすがに言えないな。企業秘密ってやつだよ。ただ、とにかくいろいろ試した。アフリカ・キリマンジャロやブラジル、コロンビア、インドネシア・・・世界中の豆を試したし、またそれぞれの豆の炒る時間や配合、ミルのやりかた、入れるお湯の温度・・・言い出したらキリがないよ。」
藤田は含み笑いしながら答えた。
「うん・・・本当においしい。疲れが吹っ飛ぶ気がする・・・こんなコーヒーは初めてだ・・・。ところで、このコーヒー、値段はいくらにするつもりなんだい?。」
と田代が訊いた。
「値段はできるだけ手ごろな値段にしようと思うんだ。儲けることを目的にはしていないから。大手チェーン店だったら開発費用や人件費、さらに店舗の維持費など、コーヒーの単価以外にも取ってるだろうけど、俺は自分が生活できればそれでいい。それに、消費税込みでわかりやすい値段にしようと思う。」
藤田がそういうと、田代は
「ふーん・・・もし俺ならこのコーヒー、1,000円の値段つけるかな・・・。」
といったが、
「おいおい、五つ星ホテルのコーヒーじゃないんだ、それは高いよ。」「そうだよ、普段どんなコーヒー飲んでるんだよ!?。」「田代、お前、藤田の話を聞いてないだろ?。」
と藤田を含め全員が笑いながら却下した。
「ひえぇぇ、そんな全力で否定しなくてもいいジャン。」
と田代はべそをかきながら言った。
また、今岡も
「店が軌道に乗るといいな。この旨いコーヒーなら行けそうだな。でも、最初の軌道に乗るまで、いくらか日数がひつようだろうけどその期間のための軍資金とか、大丈夫か?。ここの物件の借り賃もあるだろう?。もしくは銀行とかが出資してくれているのか?」
と心配して訊いた。
「心配してくれて有難う、地主さんとはちゃんと話をした。実は・・・客に出す予定の、これと同じコーヒーを持っていったんだ。そしたら、
『なんと旨いコーヒーなんだ!。このコーヒーはこれまで飲んだコーヒーとは全然違う。香りだけではない、深い味わいと、胃袋に感じるやさしさ、儂が飲んだこれまでのコーヒーの中でも最高のコーヒーだ!。もしこのコーヒーを毎日頂けるのなら、賃金は安くしてもいいぞ。』
って褒めちぎられたうえに賃金も下げてもらえたんだ。ま、地主さんだし、もともとサービスする気だったけどね。」
「やるなあ、相手を落とすには美味しい食べ物飲み物っていう常套手段を使いこなしたわけだ。」
と森本が冷やかすように言った。その言葉に笑いながら、藤田は続けて言った。
「そうなんだ。だからこそ、お客さんの財布の負担にならない値段にしたいし、しなきゃいけない。どうしても問題が起きそうだったら、俺がもっと工夫して低コストで済むよう手法を変えていけばいいと思ってる。だから・・・。」
藤田は一呼吸して、
「コーヒー一杯税込み300円!。おかわりも300円にしようと考えている。」
と発表した。すると、先ほど『1杯に1,000円』と言った田代が手を挙げながら
「あ~、はいはい!。俺、絶対来る、3杯飲んでも1,000円しないんだろ、常連客第一号だぜ。」
と堂々と自慢げに手を上げながら言った。すると藤田はすかさず
「田代、お前だけは一杯1,000円な!」
と冗談たっぷりに返した。今岡と森本も「ああ、そうだそうだ!」「田代は1,000円ってメニューに書いておこうぜ!。おかわりも1,000円で。」と同調した。
「えええ~っ、ひでぇ!。ぼったくりじゃん!。」
と田代は大袈裟なリアクションと共に悲鳴を上げた。
全員爆笑となった。
しばらくして落ち着いてから、今岡が言った。
「値段のわかりやすさも一番だな。オープンの日が楽しみだ。」
「ありがとう。」
「で、店の名前は決まっているのかい?。」
「店の名前は『ジータ』にしようと思う。」
「『ジータ』?。」
全員が口を合わせて訊き返した。その、想定外の復唱にまた全員笑った。
しばらくして落ち着いてから、藤田は説明した。
「俺がコーヒー屋の修行をしていた店が、『コーヒーショップ・アルファ―』って名前だったんだ。アラビア文字の、最初の文字。一番目。お客様にとって一番の店になりたいっていう希望・目標を忘れないように、と先代の社長が創業時に決められたそうなんだ。俺は、後ろのほうにはなるけど、アラビア文字から使わせてもらうことは独立を考え始めたころには決めてたんだ。『コーヒーショップ・アルファ―』から独立はするけど分身である、と・・・。俺を採用してくれた社長への感謝の気持ちもあるし、ね。」
藤田の説明を3人は首を縦に振って頷いた。
「そっかあ・・・『ぼったくりカフェ』じゃないんだ。」
と田代が冷やかすように冗談を言ったところ、すかさず田代のすぐ近くに座っていた今岡が「アホ」と言いながら田代の頭を小突いた。
田代は小突かれた頭に手をやりながら
「ってぇなあ、何すんだよ。」
と言ったが今岡は
「まだ優しくしてやったほうじゃ!。」
と学生の頃のように笑いながら返した。それに対して田代は呼応するように言った。
「なんだとぉ!」
口はそのように言っても、田代は笑顔だった。その田代を見て今岡も笑いながら言った。
「やるかぁ?」
ヒートアップした二人を森本が「二人ともやかましい!」と抑えるのは学生の頃と一緒の展開だった。
藤田は、その様子を見て笑いながら最後に次のように付け加え、はにかみながら言った。
「それと、俺の、名前・・・さ。」
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