先輩に特殊性癖を探られています!!

白詰草

突然の告白


「八雲小花さん、君のことが好きです。俺と付き合ってもらえないかな」


「ふぁ」


 ふわりと微笑みを浮かべ、甘い声でそう囁いた彼に、私はまず幻覚と幻聴の併発を疑った。何なら口から空気の抜けた風船みたいな音も漏れ出した。告白されておいてあんまりな反応だと我ながら思うけれど、だってだって仕方がない。

 それぐらい、本当にありえないことが、今目の前で起きているのだから。


 ぽかりと口を開けたまま硬直する私がどう見えたのか、彼は眉を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ごめん、話すのも初めてなのに驚かせちゃったよね。つい気が逸って、自己紹介も忘れてた。今更だけど、俺、二年の新村薫っていいます」


「……ぞ、ぞ、存じ上げておりまするが……」


 というか、あなたのことを知らない学生は多分この高校にはいません。信じられないことだけれども、あなた目当てでこの高校を選んだ女子すら同級生にたくさんいるんですよ。

 私の明らかにおかしなことになっている日本語は鮮やかにスルーして、ほんと? 嬉しいな、と浮かべた笑顔が眩しくって目が潰れてしまいそうだ。私の分厚いメガネの防御を、彼のオーラが完全に貫通している。惨敗だ。


 話には聞いていたけれど、目の前にすると彼は本当に芸術品みたいだった。

 私より頭ふたつは高い長身に、さらりと揺れる亜麻色の短髪。おしゃれな髪型の名前なんてさっぱりだけど、多分整髪料でセットされているそれは素晴らしくお似合いになっておられる。

 光の加減で青みがかっても見える神秘的で涼やかな瞳はまるで宝石。おまけに声までいいと来て、天は二物を与えず、なんて言葉が嘘だということが新村先輩の存在だけで完膚なきまでに立証されてしまっていた。


 それだけでも完全に雲の上の人だけれど、スポーツ万能であらゆる運動部の助っ人として常に引っ張りだこ、勉強は驚異の学年首位、そもそももっと有名な進学校に推薦で入れるはずのところを何故か蹴って、そこそこランクのうちの高校に来たとかなんとか……そんないくらなんでも盛りすぎだろみたいな噂を、入学して僅か半年の間に何度も耳にしている。

 そこまでいくと妬みを買いそうなものだけれど、人もできているらしい彼はそれはそれは友達も多く、誰にでも親切で教師生徒問わず人望が厚い。なのでいじめや嫌がらせの影もなく、ただひたすら人気者なのだとか。


 以上が校内で常に流布している噂にプラスして、ミーハーな友人から流し込まれた彼の情報で、それを聞いた当時の私は世の中広いな、すごい人もいたもんだな、くらいの感想だったのだけれど。


──今、幻覚幻聴じゃなければ、そんな天上人である彼に私は告白された。


 ちなみに。彼に対して私の特徴はといえば、制服に着られた一年生でちんちくりん、黒髪おさげ、メガネ。趣味は読書で、ちょっとした自慢は物持ちがいいこと。以上である。


……いやいやいやおかしい、いくらなんでも絶対におかしい。確実になにかしら裏がある。そもそも、彼とは本当に今の今まで面識がなかったのだから。もうときめきとかより面倒ごとの気配しかしない。


 下駄箱に入っていた手紙なんて開かなければよかった、と後悔してももう遅い。ローファーの上に乗せられた差出人のない手紙を見た時、えっなに怖い、と確かに本能が警告したのに、綺麗な小さい花の意匠の封筒が可愛くて、「八雲小花様へ」と書かれた字が、とても綺麗だったから。


 それに絆されてつい開けてしまったら、今日の放課後第一体育館の裏で待ってます、なんて書いてあったものだから、青ざめたのは記憶に新しい。やばいシメられる、誰かの恨み買ったっけ、とそればかりで頭がいっぱいになって、「告白」の二文字はかすりもしなかった。何せ、その手の話には十六年間完全に無縁だったから。


 せめて普段一緒に帰っている友人がいてくれたら着いてきてもらうなり陰から見守ってもらうなりできたのに、今日に限って家の用事でその子が早退していたのも痛い。そしてそう友達が多い方でもない私には、他に頼めるあてもなく。

 でも無視してもっと恨みを買うのも怖いし、とりあえずどんな人が待っているか確認だけでも……と忍び足で体育館裏に向かい角から覗き込んだら、この葉野平高校のヒエラルキーの頂点、あらゆる美女がどれほど玉砕しても諦めず狙っているとされる女豹使い、通称歩く女たらし……いや最後のはただの悪口だな。

 とにかくその新村先輩が待っていた私の気持ちにもなってみてほしい。


 もう、選択肢は逃げる一択だった。後先を考える余裕なんてあるわけない。


 たまたまだと自分に言い聞かせたかったけれど、じゃあどうして改装の関係でしばらく使用禁止になっている第一体育館の裏手なんて人気のないところで、彼が明らかに誰か待っている様子でひとり突っ立っているのかなんて説明がつくわけもなく。

 恨みを買った覚えはないけど、新村先輩にシメられたら確実に勝ち目はないし、よしんば他の用事だったとしても恐怖しかない。

 幸い、体育館裏の白い壁にもたれている彼は私に気が付く様子もなく、今なら見なかったことにしてフェードアウトできそうだった。


 私にだってミーハー心くらいあるわけで、有名人が目の前にいれば、わあ噂通りすごく格好いい人だな見惚れちゃうなあとか、後で友達に近くで見ちゃったんだよって自慢できるなあとか、浮き足立つ心がないわけではないけれど、その時ばかりは関わりたくなかった。

 そうして、ごめんなさい、一切関わったことのない新村先輩が私に何の御用かわかりませんが、どうしてもというなら先生伝いとかでお願いします、と心のうちで呟いて踵を返そうとして、……その瞬間、ぐるり、と彼が前触れなくこちらを向いたときは本当に心臓が止まったと思った。


『八雲さん! 来てくれたんだね、嬉しいな』


 そう弾んだ声を掛けられて、無視ができるほど私は心臓に毛が生えていなかった。何で私の名前を知っているのかを尋ねることもできないまま、あれよあれよという間に角から引き摺り出され、向き合わされ、そうして話は冒頭に戻る。




「あ、あ、……あの、何で……私、新村先輩とお話ししたこと、なかったかと、思うんですけど」


 もう面白いくらい吃ってしまうけれど、しかし聞かないわけにもいかない。彼が私を、なんてとても信じられないけれど、かといってそんな嘘をつく理由も分からなくて心底怖い。

 罰ゲームの可能性が真っ先に浮かんだけれど、聖人として名を馳せる新村先輩がそんなことをするだろうか。実際心のうちが聖人のようにまっさら綺麗な人なんているのかはともかく、少なくとも彼が今までそういうイメージを保てる行動をしてきたのは間違いないはずで。

 罰ゲームで女子に告白、なんてイメージダウンにも程がある。それに私じゃ面白い反応もできないし、デメリットしかないんじゃなかろうか。


 私の疑惑の視線に動じた様子もなく、彼はにこりと人好きのする笑みを浮かべた。


「八雲さんにとってはいきなりだろうけど、俺は前から君のこと知ってたよ。俺、たまに運動部の助っ人をしてるんだけど、図書室の窓、グラウンドに面してるでしょ。誰も居なくても、図書室で一生懸命委員の仕事する八雲さんをよく見かけて、気になるなって思って……気がついたら好きになってたんだ」


 八雲さんの名前は同じクラスの図書委員からたまたま聞いて、と全く予想してなかったことを言われて、私はぱちぱちと目を瞬いた。照れたように首の後ろに手をやった新村先輩が、そっと瞼を伏せる。長いまつ毛が青みがかった瞳に影を作っていた。


「校内新聞、おすすめ図書の欄いつも見てるよ。八雲さん文才あるよね、いつも紹介文見ると面白そうに見えて、つい読んじゃうんだ。今回のミステリー特集で紹介されてた『蜻蛉とラムネサイダー』、ラストのどんでん返しがすごい良かった」


「え、……よ、読んでくださったんですか?」


 状況も忘れ、思わず喜色の滲んだ声を上げてしまったのも無理はなかった。だって委員の中でも誰もやりたがらないような、生徒のほとんどがまともに読んでいないだろうと思っていたおすすめ図書のコーナーが、誰かの目に留まっていたなんて。それも、あの新村先輩が読んでくれていたなんて、想像すらしていなかった。


「うん。好きな子と同じものを面白いって思えるのが嬉しくて、直接感想言い合ったり、話したりできたらどんなにいいかって思うようになって……ごめん、いきなり話したこともない男にこんなこと言われて、怖いかもしれないけど。でも、俺、本気だよ。何度でも言うけど……八雲さんが好きです、俺の彼女になってください」


 そう言って、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は、怖いくらいに真剣だった。それにあてられたみたいに、今更思い出したようにどくどくと鼓動が逸り出して、顔に熱が集まっていく。胸元で握りしめたてのひらに、汗が滲んだ。


 正直、罰ゲームではないにしろ、何かしら事情があってこんなことになっているのだろうと考えていて、だから……まさかあの新村先輩が、本当に私のことを、なんて可能性、欠片だって想像していなかったけれど。


 委員会を真面目に頑張っているのなんて全く私だけじゃなくて、探せばいくらだってそんな条件の子はいるだろう。新村先輩なら校内外から選び放題のはずで、それをわざわざ私なんて趣味が悪すぎるとも思うけれど、でも。

……騙されているんじゃないかとか、罰ゲームみたいな裏があるんじゃないかとか、心に燻っていた疑念は、彼のあんまり真剣な瞳を見ていたら不思議と氷解してしまった。


 正直、嬉しかった。ほとんど誰も読んでいないだろうと思いながら、それでも一生懸命書いたおすすめ図書のコーナーを見てくれていたことも勿論だけれど、……誰かに告白されたのなんて、生まれて初めてだったから。それもこんなに魅力的な人に、こんなに真剣に。


 普通に考えたら、こんな人生に何度あるかも分からない大チャンス、掴まない手はない。彼の人気を考えれば周囲の反応は恐ろしいけれど、それを補って余りあるほど、彼の隣は魅力的だ。

 格好良くて人気者で、誰からも求められるような人に愛される。そんな誰しも一度は妄想したことのある展開が現実に訪れることがあったら、殆どの人は躊躇いなく頷くことだろう。


……でも、私は。

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