第04話 異世界での服装
お金のほとんどは妖精に作らせた金庫に保管し、ほんの一部だけをもって城下町へと出かけた。
城下町の商店街は賑やかで、人々が行き交い、露店や店の前にはさまざまな商品が並んでいた。前回街を見たのは夜、雰囲気も違う。全身に日の光を受ける、暖かな心地よさを神成は感じる。涼しい空気が鼻に通り、人々のガヤガヤとした活気ある声は、まるで未来の全身で体験できるゲームの世界へ飛び込んだようで心地よい。
商店では、商売をしている小人族もいたのだが、彼には子供と区別がつかなかった。耳の長い容姿の整ったエルフの男性が、旅のための保存食を買っている。獣の耳と尻尾を持つ、獣人族が一人、荷物の運搬を手伝っていたりもする。そうした種族は少ない。というのも、ここマゼス王国は人間を中心とする国だからだ。それは、勇者が人間族と同じ姿をしていて、人間族こそ世界を背負うべき種族である、とする思想が根付いているからである。
それはともかく、彼は場違いだな、と感じていた。
「服か……」
今着ている服は、この世界に召喚されたときに着ていたものだ。つまり、まったくもってこの世界になじまない、しかもボロボロな服である。その結果、周囲からじろじろと見られることになっている。
彼は、どこでもいいやと見つけた服屋に足を踏み入れた。店内には色とりどりの布が並び、異世界らしい模様や質感の衣服が目に飛び込んでくる。
「いらっしゃい!」
店主が元気よく声をかける。この世界の相場はあらかじめ物知り妖精に確認をとっておいた。
「何か、動きやすくて目立たない服をこの料金で頼めるか?」
店主はお金を確認するとすぐに笑顔が増し、いくつかの服を手に取って彼に渡す。
「これなんかどうでしょう。こちらは、丈夫で長持ちしますよ。西の行商人から仕入れた、ここでは見かけない生地のやつで、冬場はあったかいので、これからはいいんじゃないですかい?」
神成はそれを手に取り、試しに着てみると、思いのほか身体にフィットした。服装のセンスはまったくわからないが、生地の柔らかさと暖かさに包まれると、少しだけ心が安らぐのを感じた。こんな感覚は久しぶりだ。
「まぁ、悪くないな」
そのまま服を購入し、店を出た彼は、次に市場の方へと足を向けた。ここでは、異世界の食べ物や果物が数多く売られており、活気が溢れている。ショッピング、そこでの買い食いなどいつ以来だろうと思う。だいたいは、スーパーの空いている時間にはいけないので、ほとんどのものはコンビニで済ませていた。そういう意味では、今のこの状況は悪くないのかもしれない。といって、はしゃぎまわれるほど、ウキウキになれるほどの元気はない。彼はふと、見たことのない奇妙な形の果物に目を留めた。
「これなんだ?」
小人族の店主がにこやかに応じる。
「これはスフィリアの実です。酸味と甘みが絶妙で、噛むとシャキシャキした食感がクセになりますよ。ひとつ、試してみませんか?」
神成はとまどいつつ、試しに一つ手に取って口に運んでみた。最初に感じたのは、爽やかな酸味。続いて口いっぱいに広がる自然な甘さ。その絶妙なバランスに、思わず目を見開いた。予想外の美味しさに、心の奥が少し華やかになるのを感じた。
「……案外、悪くないな」
神成はその果物をいくつか購入し、次の店へと向かう。いくつか買い物をして荷物が増えつつ、露天の肉の串焼きを食べながら歩いていた。ようやく、生きている、という実感がわいてきた。
そんな中、ふと後ろから声がかけられた。
「お兄さん!」
振り返ると、そこにはあの少女が立っていた。彼女は笑顔で手を振りながら、彼のそばに駆け寄ってきた。
「外に出てきたんだね! 商店街にいるなんて、びっくり、髪型もなんか整ってるから、最初気づかなかった」
「ただの買い出しだ」
彼は淡々と答えたが、少女はそんな彼の無愛想さに慣れている様子で、にこにこ笑っている。
「パンを売りに来たとかじゃないの?」
「その気はないよ」
そうして、二人でぶらぶらと商店街を歩いた。少女は、もうすでに用事は済ませているようで、紙袋を持っていた。
「ねぇ、お兄さんはどういう人なの?」
「流浪のごくつぶしだ」
「南の方の人、魔王軍に追われてとか?」
「それは違う」
彼は一瞬考え込んだ。魔王軍、それを倒してくれなどと言われたのだったか。自分には関係のない話だ。しかし、この無邪気な少女の前でそれらを語る気はない。魔王軍か、いずれこの地まで攻めてくるのだろうか。どうしようもなくなったら――仕方ない、逃げよう。
「そうだった、私の名前はねマチっていうの、お兄さんは?」
「そうだな、名乗る偽名くらいはいるよな」
「偽名なの?」
マチと名乗った少女は怪訝そうに彼を見つめている。
「あぁ」
彼としては、名乗るとしても、もう、あの陰鬱な人生の代名詞を使う気はなかった。ただ、だからといって、どうしたものかとも思う。
そして、名前を名乗るというのは、この世界に自分を縛る一つのくさびを打ち込むようで気が進まないと感じた。過去の自分を捨て去りたい反面、新しい自分を打ち立てる覚悟もまだできていない。名を持つことは、自分の存在を、どう在るかを決めることなのだ。
#
ボロ屋敷に帰った彼は、物知り妖精とこの世界で名乗る名前について相談していた。
「どういうのがいいと思う?」
「そうじゃの、まず、一般庶民は名しかもちません。また、国や地域ごとで決まっているのでその範囲で納めるのが良いでしょうな。
マゼス王国で活動ということであれば、その人間族の定番の範囲にすると、怪しまれないと考えられます」
「そういえば、エルフやドワーフもいるんだったか」
「そうですじゃ。いわゆる『たろう』にあたるのは『ジーク』になります」
「そこまで平凡なのはどうなのかとも思う」
いくつか話して候補を見出そうとするも、名前を決めるというのはなかなかにして難しい。いったい何をこだわっているのだろうとも思う。別に、名前も二転三転してもいいのではないか、とも思わなくもないし、大事なことのようにも思う。
この世界で最初に名乗った名前がどうであるかで、いろんな命運が固まってしまうような、そんな気がしてしまうのはどうしてだろう。
ゲームも、いろんな思いを込めてタイトル、名前が付けられる。
竜を倒す冒険もの、というのをシンプルにこめたものや、ゲームのテーマにあたる存在がタイトルになっていることもある。
主人公がどんな存在であるか、というのもタイトルにつながることがある。そして、それは一度世に出てしまえば、後から決して変えることはできない。
ときには、海外用に、日本での名前では不適切ということで変更せざるをえないものもある。
逆もしかり、ゾンビ映画なのに、全然違う名前にしたことでシリーズとして二作目の名前の時に違和感が出てしまったものもあった。
ただ、自身の名前がそこまで運命を縛っていたかというとそうではなかったように思う。あの名前だから、あの人生になった、というわけではない。
ふと、物知り妖精に、名前の候補を紙にリストアップしてもらったところで、厄介な問題に直面した。こちらの世界の文字は読めないのだ。
「この先文字を読み書きできないといろいろ不便が生じる……か……」
あったはずの技術がまるで失われたかのようで空虚さを感じる。日本語が使えればな。言葉は通じれど、読み書きはできないというのは、定番かもしれないが、面倒に感じる。克服するのはなかなかに大変だろう。読み書きの練習に良い思い出などない。
「読み書きを直接記憶に教えてくれる妖精を生み出す、ということもできそうではありますぞ」
「安全性は?」
「ご主人様の技量しだいかと」
自分で試す勇気はない。大きくため息を吐く。
名前を決める、というのはなかなかにして難しい。
#
星庭神成は、ボロ屋敷での生活が軌道に乗ってきたと思った矢先、予想もしなかった厄介ごとが押し寄せ始めた。
最初はほんの些細なことだった。街での噂が広まり、人々が好奇心から屋敷を訪れるようになった。「妖精使い」という異名が街中に広がり、神成に依頼や興味本位で話しかける者が急増したのだ。冒険者ギルドの職員、商人、さらには街の市民までがやってきては、妖精を使って何かしてくれと頼んでくる。断るだけだったが、しだいにその数が増え、ついには毎日のように誰かが訪れるようになっていった。
「おい、妖精使い、こいつを貸してくれ。魔物退治に使いたいんだ」
「演劇にお前さんの妖精を使いたいんだ。貸してもらえんか?」
そんな風に頼まれることが増え、無愛想に断り続けていたが、それでも彼らはめげずに何度もやってくる。ある一日は玄関前には列ができるほどで、神成はしだいに頭を抱えた。
それは彼にとって非常に煩わしく、イライラが募るものだった。そう、もう誰かに振り回されるなどということは御免被るのである。訪問の相手をするだけでもしんどい。
「……静かに暮らしたい」
そうつぶやいて、神成はひとまず物知り妖精を呼び出した。
「いろいろと騒々しくなってしまった、いい策はないか?」
物知り妖精は少し考えてから、静かに口を開いた。
「ご主人様、ひとつご注意いただきたいことがございます。最近、盗賊団『水の猫』の残党がご主人様を狙っておりますのじゃ」
「盗賊団……か」
彼は少し間を置いて考え込んだ。前に自分が妖精を使って盗賊団の金を盗み、それが引き金で彼らの多くが捕縛された。しかし、どうやら残党が復讐を企てているというのだ。物知り妖精によれば、彼らはすでに屋敷の周囲を調査し、襲撃の準備を進めているという。
「ここに留まっているのは危険ですぞ」
神成はため息をついた。うかつだったことを後悔する。妖精を使う人、ということ自体が珍しいらしいのだろうか。
「ふぅ……面倒くさいな」
もともと面倒事を避ける性格の彼にとって、この状況はますます居心地が悪くなるばかりだった。盗賊団の報復だけでも十分厄介だが、さらに物知り妖精からもう一つ厄介な話を聞かされた。
「それと、もう一つです。王国側が、ご主人様を消そうと動き出していますじゃ」
「どういうことだ?」
「勇者召喚が失敗したことは、王国にとって非常に不名誉なことです。世間一般には、魔術自体が失敗したことになっておりますが、魔術の成功したことはご主人様が生き証人です。口封じのために何者かが動いているという情報がございます」
彼は頭に血が上るのを感じた。王国側は、自分が勇者として召喚されたことそのものが隠匿すべきこととして、それを崩しかねない彼を消し去ろうとしているらしい。それはなかなかに身勝手で、腹立たしい対応だなと思う。勝手に召喚しておいてフォローもなく、あげく消し去ろうとは。
「うむうむ、このまま街にいては、王国の手も、盗賊団の復讐も避けられませんのぅ。今すぐにでもこの街を離れたほうがよいでしょうな」
神成は大きく息を吐き出しつつ無言で天井を見上げた。次々と降りかかる問題の数々が、彼の無気力さをさらに強くした。だが、それと同時に「ここにいるのはもう限界だ」という感覚も少しずつ湧き上がっていた。このままここにいたら、怒りで城を吹き飛ばしかねない。爆発の妖精とか作れるんじゃないだろうか……
「逃げよう……」
彼は自嘲気味にそう呟きながら、結局立ち上がった。外からは再び誰かが屋敷を訪ねてくるノックの音が聞こえていた。その音に、面倒くささを痛感した。もう、この場所にいることがしんどいのだ、ということを痛切に感じたのである。
来客を追い払った後、彼は旅の準備を始めた。物知り妖精と相談して、魔王軍とは反対側で、まだ争いから遠い地で、平穏な国であるリーディア商業連合国へと向かうことにした。
「本当にこれでいいのか……」
そう呟きながらも、神成は自らに反論する気力もない。物事は自然に進んでいるようでいて、彼自身が何かを選んだという実感はなかった。
物は妖精である程度作れるが、問題は秋になりやがて冬となることだ。北東のリーディアは、ここより気温は低い。そして、彼自身は旅慣れているわけでもない。とはいえ、ゆっくりもしていられず、夜を待たずに出立した。
空を飛ぶ妖精を気球のように見立て、籠に乗ってリーディアへと向かった。
空には見知らぬ鳥とも竜ともつかぬ生物が飛んでいた。悪さをするつもりはないらしい。空高くから夕陽が沈みかける王都マゼウムが一望できた。もしかしたら、それは彼が作りたかったゲームの街並みの一つだったのかもしれない。
彼はふと、自分が遠い未来がどうなるのか分からないまま、旅を続けるしかないことを認識した。それはつまり、自分では何も決めることのできていない状況が、これまでと同じように続いていると言っていい。ただ、周囲の状況に押し流されているだけ。
結局、何も変わらないんじゃないだろうか。
そんなふうに思いながら、彼はリーディアの地を目指して、暗くなっていく空の旅を続けた。
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