TAGートレーディング悪役令嬢ゲーム

藤井由加

イントロダクション

フリーズドライ悪役令嬢

 ヌンノウ王国の第一王子であるイオーマーク・ユカーケルティワース皇太子は、城内の廊下を歩いていた。すると、干からびた蛙を踏んだかのようなパキッという嫌な音が鳴ったので、彼は足元に視線を落とした。そこには、乾燥悪役令嬢が落ちていた。それは手のひらに収まり、羽のように軽い。実に見事に水分が抜けている。


 イオーマーク王子は、漬物づくりの名手として国中にその名を知られていた。野菜、肉、穀物、などなど、あらゆる食品を塩漬けにする大工場を個人で所有しており、国中が深い雪に閉ざされる冬の間に国民に対して供給するための漬物を大量に生産する事業を展開している。その漬物は、塩に溶けてしまいそうなほど長期間の漬け工程を踏み、徹底的に脱水したうえで真空の容器にパッキングしているので、短くても10年以上は保存が効く。そのため、領土拡大のために絶え間なく戦争に勤しんでいるインリャック現国王の治世においても、食料枯渇による国民の疲弊という現象は起こらず、ヌンノウ国は当世一の繁栄を誇る大国にまで成長した。


 ただし、王子の漬物は魔力によって吸湿力が高められた塩にさらされ続けているため、とてもしょっぱい。湯がくなどの工程を経なければとても食べられない。これは干ばつが発生した際には致命的な欠陥である。冬の間は水に困ることはないだろうが、水も食料もない状況にあっては、王子の漬物とて無力である。だが問題ない。ユカーケルティワース家の人間には代々、無からお湯を錬成できる魔法が受け継がれている。いつでもどこでも漬物を湯がき放題というわけだ。


 さて、この王子、乾燥悪役令嬢を拾ったのはこの時が初めてであった。干からびて床や地面の上に転がっている悪役令嬢は今までにも数え切れないほど見かけていたが、その度に使用人に掃除させていたのである。しかしその時だけは違った。王子はふと、好奇心にかられて、その干からびた蛙のような悪役令嬢に手を伸ばしたのである。王子はこれまで、悪役令嬢というものがどれほど中身のない、軽い、無味乾燥なものであるのか知らなかった。もはや完璧と言っても過言ではないほど無水に近い。これなら恐らく100年でも1000年でも保存が利くだろう。王子が漬物づくりを好む理由はここにある。例えばこの見事に脱水された悪役令嬢が、100年先や1000年先の姿と同じ状態になっているのだとしたら、それは未来を先取りしていることになる。王子は、漬物を通じて未来が見える、そのことがたまらなく大好きなのである。


 それにしても、なんと中身のない、軽くて、色のない、無味乾燥なオブジェクトであろうか。王子は感心した。王子はその悪役令嬢を自室に持ち帰り、大きな鍋にお湯を張り、ぶくぶくと沸騰するそのお湯の中に悪役令嬢を投げ込んだ。


「あぶぶぶぶぶ、あつっ!!!!あついわ!あついですわ!!!誰!?私にこんな酷いことをなさるのは一体誰ですの!?」

「僕はヌンノウ国の第1王子、イオーマーク・ユーカケルティワースです。あなたは?」

「そんなの聞いてないですわ!早く助けてくださいまし!」


 王子は火を止め、鍋から姫を救い出した。


「し、死ぬかと思いましたわ・・・。」

「さっきまで干からびていた人には不似合いなセリフですね。」

「熱いものは熱いんですのよ!」

「そうですね。それで、あなたのお名前は何ですか?」

「とんでもない塩対応ですわね・・・。あなたに名乗る名なんてありませんわ。」

「それはとんだご無礼を。」

「あら、意外と素直ですわね。」

「父上からそう振る舞うようにと教育されておりますので。」

「そういえば、あなた、名前はなんて言ってたかしら。」

「イオーマーク。イオーマーク・ユーカケルティワースです。」

「皇太子さま!?失礼致しましたわ。中流貴族の分際で不躾な、誠に申し訳ございませんわ!!どうかお許しくださいませ!!」

「大丈夫、大丈夫。別に怒ってませんから。まあ、でも、代わりにと言ってはなんですが、あなたの名前を教えていただけませんか?」

「ええ、もちろんですわ。フィーリア・ベッルームドーノーですの。」


 ベッルームドーノー家は武器商人の家系である。ヌンノウ軍の軍備調達に関しては、100%彼らに依存している。ゴシップ誌のような言い回しをするのであれば、ズブズブである。癒着的な関係なのである。とはいえ、彼らはヌンノウ国にのみ武器を卸している訳では無い。この一家は戦争の運び屋、もしくは、地獄の運び屋と呼ばれており、世間の人々からはあまり良く思われていない。


「それなら、フィーリア姫と呼ぶことにしますね。」

「ええ、それがありがたいですわ。」

「なによりです。ところで、なぜフィーリア姫は我々の城の廊下で干からびていたのですか?」

「ふっふっふ・・・。全く身に覚えがありませんわ?」

「身に覚えがない、ですか。それは、どうして干からびていたのか分からないという意味ですか?それとも、どうしてこの城に入り込んでしまったのか分からないということですか?」

「全部ですわ。なーんにも、さっぱり分かりませんの!」


 何も分からないときっぱり宣言した彼女に対し、王子は小さく唸った。だが、別にこのご令嬢のために限りある己の知力を費やすべくもないと判断し、その日はもう夜も更けていたため、寝ることにした。フィーリア姫には客人用のベッドを用意した。使用人は呼ばず、完全なるプライベートとしてのおもてなしである。いくら悪役令嬢だからといって、部屋に連れ込んでいるところを誰かに知られてしまうのはまずい。


 満月が沈む真夜中に、王子は目が覚めた。物音を立てぬようにしてフィーリア姫の側に駆け寄る。彼女は寝息も立てずに眠っていた。息をしていなかった。意識の浮き沈みや、言語を操るだけの知能はあるものの、明らかに生命とは異なる何かであることを、王子は実感した。


「そういえば、悪役令嬢の漬物ってつくったことないなあ。」


 そう何気なく呟いた独り言は、実に見事に彼の好奇心を刺激した。王子は彼の部屋に隣接している、第一王子と国王にしか入室を認められていない塩蔵庫から、塩で満たされた棺を取り出して、そこにフィーリア姫を埋めた。


 翌朝、わくわくして王子が棺の蓋を開き、塩の中を探すと、手のひらに収まり、羽のように軽いあの乾燥体が出来上がっていた。彼はまた彼女を戻すことにした。王子の指先から、傾けたやかんの口から流れ出ていくような勢いで、フリーズドライ状態になった彼女の身体にお湯が注がれていく。


「あぶぶぶぶぶ、あつっ!!!!あついわ!あついですわ!!!誰!?私にこんな酷いことをなさるのは一体誰ですの!」

「僕です。」


 王子はお湯をかけ続けるのをやめた。


「・・・誰ですの?」

「えっ。」


 悪役令嬢は脱水されると、水と一緒にそれまでの記憶を失ってしまうらしい。


「僕はイオーマーク・ユカーケルティワースです。」

「こっ、皇太子さま!そんな、私どうしてこんな、恐れ多い場所にいるんですのですわ!?」

「しっ、落ち着いて、声が大きいですよ。」


 王子は姫の口をその手で塞いだ。その手の大きさたくましさに、姫は少しばかりときめいたのであった。

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