第3回
この際はっきり断言しておこう。
友達ではない。
時々口をきくことはあるがそれは席が近い級友だからであって、軽口を言い合ったことなどただの一度もない。
この「時々」というのだって今朝のように二言三言で、プリントを渡すときなど必要に迫られた口数だけだ。名前で呼び合ったことも一度もない――と、思う。たぶん。
(だけどこの「時々」も、クラスのやつらからすると、「時々話してる」になるんだろうなぁ)
それでも「それってクラス委員の仕事だろ」と突っぱねることはできた。それをしなかったのは、ひとえに「本当に知っている」からだ。
いや、「見当がつく」のほうが正しいのだろう。阿倍の居場所と聞いて、ふとある場所が浮かんだ。それでつい、間を開けてしまって「伊藤くん、お願いっ」「恩に着るからっ」と女生徒たちに懇願する暇を与えてしまったのだった。
見当がついているのに知らないふりをして女生徒たちを走り回らせるのも気が引ける。
「まったく。俺ってほんと、いいやつ」
自嘲気味に笑って、憂喜は屋上へ通じる階段を駆け上がった。
◆◆◆
安倍はおそらくこの時間、屋上にいる。
ではなぜそれを女生徒たちに教えなかったかといえば、屋上は立入禁止とされているからだ。
数十年前、生徒が集団飛び降り自殺をしたらしい。第二次ベビーブームの世代で、全国的に大学入試の倍率がとんでもない数字だったころのことだ。
受験戦争のストレスに耐えきれなかった者たちが、センター試験の日、一斉に屋上から飛び降りた。
それ以来屋上へ上がることは禁止され、ドアには鎖が巻かれて南京錠がかかっている。
ただこの南京錠がくせもので、見た目はそうは見えないが、時間経過ですっかりさぴが入り込んで内側がボロボロ。ちょっと指でつつくだけでポロリと外れてしまう状態になっていた。
憂喜が気付いたのは2年のとき。編入試験に合格して、学校説明の場で屋上は立入禁止だと説明を受けた。理由は聞かされず、ただ危険だからということだった。
そのときはそんなものかと思って深く考えなかったが、校内見学で回っていて屋上へ通じる階段を見つけたときにこの話を思い出した。そしてなんとなくの思いつきで階段を上がってみたら、南京錠が外れていたのだ。
本当なら引き返して教師に報告しなくてはいけなかったのだろうが……好奇心に負けた。
辺りを伺い、自分以外誰もいないのを確認した後、ドアノブを回して押し開く。ドアは厚い鉄板で、大部分でさび止めが剥がれて赤さびに浸食されていたが癒着はしておらず、多少力は必要だったがすんなり開いた。
ギギーっと蝶番がきしむ。
夏の日差しに照らされたそこは、ただの屋上だった。
おそらく立入禁止と定められて以来、本当に誰も入っていなかったのだろう、適切な手入れがされないまま放置され続けてきたコンクリート床はかなりの部分でひび割れて陥没していて、そこに雨水がたまっていたり雑草が生えていたり、黒かびが格子状の浅い溝に沿って生えていたり、2メートルくらいの高さの青い金網がたわんで一部倒れていたりと、かなり荒れてはいたが、憂喜の目には霊は1人も視えなかった。
詳しい事情は教えられなくても、屋上が立入禁止にされる理由なんて十中八九飛び降りだ。となれば、霊がいる可能性が高い。
そんな場所へ、なぜ上がってみようなどと思ったりしたのか。
このとき自覚はなかったが、あとなって憂喜は、頭上にいるかもしれないと思いながら学校生活を過ごしたくなかったから、はっきりさせるために自分は上がったのだと理由を付け、それに納得した。
ともかく。そこで初めて会ったのだ、安倍隼人という男に。
◆◆◆
鎖は片方のドアにかかったまま、南京錠は床に落ちていた。
「おーい、いるか?」
深呼吸のあと、重い鉄のドアを押し開けて、外に出ながら問う。「安倍」とは呼ばない。安倍以外の者がいるわけがない。
待っても返らない返答に、いないのかと思い始めたころ。足元に伸びた塔屋の影からひょこりと人の頭が突き出した。
振り仰ぐと安倍の頭だけが塔屋から見えていて、こちらを見下ろしている。体勢から、おそらく寝転んでいるのだろう。
向こうも憂喜の出現に驚いた様子はなく――このときに限らず、この男は表情が読みづらいのだが――頭を引っ込めて「何だ?」とぼそり訊き返してきた。
憂喜はドアと反対側の壁に埋め込まれた単管パイプの階段を使って塔屋へ上がる。その間に安倍は身を起こしていて、紙パックのイチゴ牛乳を飲んでいた。
近くには食べ終わったコンビニ弁当。
(ぼっち飯か)
なぜクラスで食べないのか、分からなかった。並のやつなら仲良しグループで集まってわいわい楽しく食べている中、独りで食べるのはつらいから、とかあるだろうが、この安倍にそういった神経があるようには思えない。
「なあ。なんでクラスで食べないんだ?」
と訊くと
「独りで食べるのは恥ずかしいから」
案の定、鼻で笑いながら答えた。1ミリもそんなこと思っていないのが丸分かりだ。
(こいつ……!)
思えば、初めて会ったときもそうだった、と憂喜は思い起こす。安倍はここで昼飯のパンを食べていて、紙パック牛乳を飲みながら「ここには何も残ってない。好奇心が満足したなら下へ戻れ」と言った。「俺は寝たい。1人で」とも。
「好奇心?」
内心、ぎくりとした。
見透かされた思いでいることを隠そうとして「やっぱりここで飛び降りがあったのか?」と訊き返した憂喜を見て、彼が本当に理解していないと悟った安倍が、面倒くさそうに、かつてここで集団飛び降り自殺があったと教えてくれたのだった。
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