円形の猫

事後和人

猫との対話

 円形の猫と出会った。

 その猫は地平線までずっと、ずっとずっとまっすぐ伸びていた。振り返る。地平線の向こうから猫が伸びてきて、目の前を横切っている。

 この猫は円形なのだ。

 地球を包むように、猫はその胴体を惑星の地表へ巻きつけているのである。

 しかし……とわたしは思った。

 惑星の表面は山あり谷あり。この猫が居場所を変えようとした時はどうするのだろう。たとえば高いビルにはさまれている場所があるかもしれないし、巨大な渓谷にはまりこんでいる箇所があるかもしれない。いやきっとあるだろう。なにしろ地球を一周しているのだから。

「まあそこは大変だね」

 と猫は答えた。

「やはりずっと同じところに居るのかい」

 続けて訪ねると、猫はため息をついた。

「そうだね。でもわずかながらに動くことはできるから、あとは慣れだね」

「慣れか」

 なるほど辛抱強い。いかにも円形の猫らしい答えだ。

「ただ時折、我慢ならないこともある」

 猫が続けた。わたしは猫の直線的な背中を見ているのだが、ふいに背中がぶるっと震えた。猫の胴体を波が伝搬していき、地平線の向こうへと消えた。

「なんだい」

「海に突っこんでいるところは常に濡れている。しかも深海は冷たい。と思えば、砂漠のところはじりじり熱いんだ」

「なるほど」

「ラクダにも踏まれるしね」

 わたしは同情した。円形の猫にも円形の猫の悩みがあるというものだ。世の中に楽な生き方というものは無いようだ。

「さっきの震えはそれかい」

「いや、これは自動車に踏まれたんだよ。ぼくの方が先に居たのに、胴体を持ち上げて都市を建設したのさ」

「なんてことだ」

 猫の背中をなでてやる。頭が見当たらないので仕方なくだ。どこかからごろごろと喉? を鳴らす音がする。

「まあそれも慣れだね」

「ふうむ」

 しばらくなでていると、意外にも自慢げな口調で猫は言った。

「いよいよとなれば、とっておきの手段があるんだよ」

「ほう?」

 猫がすっくと立った。無数の脚が地面と胴体の距離を開ける。

「こうやってね、走るんだ」

「走るのかい」

「そう。一所懸命にね。するとどうなると思う」

 わたしは眉を寄せて、しばし考えてみる。

 天啓があった。

「遠心力か」

 猫が笑う。

「そうとも。察しが良いな」

 つまりこういうことだ。円形の猫が一所懸命に走れば、その胴体には当然ながら遠心力が働く。加えて猫の胴体は伸びやすい。この猫は地球を一周するほど長いのだから、胴体がたとえ全長の一割でも伸びれば、地上と胴体の距離は膨大なものになるだろう。わたしは空を一直線に走る猫の胴体を想像してにんまりした。

「きっと成層圏まで達するだろうな」

「ああ。身体を十分伸ばしたら、えいっと向きを変えるのさ。身体の伸びる方と直角に回転して、走るのをやめる。そうしたら新天地に降り立てるのさ」

「すごいな!」

 わたしは猫の胴体を持ち上げた。近くの脚が地面を求めてばたつく。

「やめてくれ高いところは苦手だ」

「すまない」

 わたしは猫の胴体を地面に戻した。長い胴体を波が伝播していき、地平線の彼方へと消えた。

 

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円形の猫 事後和人 @kotogokazuhito

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